となりのトトロ

新海誠監督の映画がポストジブリには絶対なれない簡単な理由

こんにちは、高橋ソマリです。

先日、新海誠監督の最新作「天気の子」の感想レビュー記事を書きました。気分でバーっと書ききったザツな記事でしたが、思いのほか沢山の方に読んで頂けてとても光栄です。

(まだ読んでない人はぜひ……m(_ _)m↓)

それで本題。前回のnoteの補足っぽい感じです。

今回またnoteを書こうと思ったのは、上記の感想レビュー記事を読んで頂いた方から「新海映画はポストジブリになる可能性ありますよね!」みたいな反応を頂いたからです。

確かに、スタジオジブリは宮崎駿の通算800回目くらいの引退宣言もあり誰がどう見ても老い先短い雰囲気を出していて、「おいおい、今後のアニメ映画界は誰がリードするんだ」という国民の声に颯爽と手を挙げたケモナーこと細田守氏も「時をかける少女」「サマーウォーズ」で切った最高のスタートダッシュが「おおかみこども」で獣道へと切り替えし、「バケモノの子」「未来のミライ」と順調にケモノの森の迷宮へと消えていきつつあります。


そんな時に現れたのが、青春のハレー彗星こと新海誠監督でした。

前作「君の名は。」は興行収入250億円/観客動員数1900万人という大記録を打ち立て、数字だけで見れば日本映画興行収入ランキングで1位「千と千尋の神隠し(308億円)」に次ぐ2位の位置につけました。

この時点ではまだ「一発当たっただけかもしれない」という可能性がなきにしもあらずでしたが、”君の名はの監督の次回作”というこれ以上なく重い看板と期待を引っさげて公開された最新作「天気の子」も、公開10日時点で興収38億円突破と”君の名は”とほぼ同じペースで数字を伸ばしており、一発屋ではなく「本物」であることを現在進行形で世の中に示している最中であります。


……なるほど。ふむふむ。そう聞くと、確かに新海誠監督はポストジブリ・ポスト宮崎駿と期待されるのも分かる気がしますよね。

でも、ですね。私は、新海映画がジブリ映画のようなブランドを築くことは絶対にないと思っています。

なぜか? 答えは単純です。

”売っているモノ”が全然違うからです。ここが決定的に違います。

当たり前と言えば、当たり前の話ですけどね。

「君の名は」や「天気の子」が売っているモノって何だろう?

それは「憧れ性」です。

「私もこんなキラキラした青春がしたいよぉ!」
「俺もこんな甘酸っぱい恋がしたいよぉ!」
「こんな主人公になってみたい!」

といった「憧れ(あこがれ)」を観客に売っています。「こういうのいいなぁ」という気持ち。

(でも、その反動で「私の人生って一体……」みたいにならない? 私はなるよ!!)

新海映画のターゲットは10代20代の若い層です。草食化が進んで恋愛経験の浅い人が増加中の層であり、ポカリスエットのCM少女のような清純で黒髪の元気美少女がドンピシャで突き刺さるんですね。

(というか多分、実際に新海監督が学生時代に妄想していた脳内彼女が映画に具現化しているのでしょう)

まとめると、新海映画は「10代20代の若者」に「憧れ性」を売っています。

ジブリ映画が売っているモノって何だろう?

答えは「キャラクター」です。
誰に売っているか? 「子供」に売っています。

ナウシカ、キキ、サン、ハウル、トトロ、ネコバス、ポニョ、カオナシなどなど。ジブリ映画の代名詞は、その印象的にデザインされたキャラクターたちにあります。

正直、ジブリ映画のストーリーって抽象的で世界観もフワッとしたものが多いです。それゆえ、ジブリ映画の何が楽しいのか全く分からないという人が一定数います(私もどちらかというと、その一人です)。

ましてや、子供なんてジブリの味わい深いストーリーや世界観をちゃんと理解できるわけがありません。じゃあ何であんな子供達はキャッキャと楽しめるのかって、面白いキャラクター達がワーワーと騒いでいるだけで超楽しいからです。子供ってそういうものでしょ?

私の予想でしかないですが、ジブリ映画が好きという大人はほぼ100%、幼少期〜少年少女期にジブリ作品に触れてハマっています。逆に、子供のときにハマらないで大人になってからジブリ映画にハマったという人はそういないと思います(ジブリの何が良いのか分からない派は、たぶんこのタイプ)。

子供の頃に好きだったものって、大人になっても引きずるんですよね。


キャラクターは映画館を飛び越えて、私の生活圏にまで入り込む。

ジブリは映画を通して「キャラクター」を子供達に売っています。これはみんな大好きディズニー(ピクサー)やニンテンドーも同じ構造です。

一方で、新海映画はキャラクターを捨てました。前回の記事で書いた通り、新海映画のキャラに作家性はなく、「みんなこういう女の子が好きなんでしょ?」という”最大公約数にウケそうな類型キャラ”を毎回使っています。劇中でキャラの過去を描いたり掘り下げることもあまりしません。

この違いが、とてもつもなく大きいです。

確かに興行収入という「映画館」での戦いでは良い勝負をしています。しかし、その作品から社会全体に波及する「経済効果」でみるととてつもない差が生まれると感じています。

なぜキャラクター商売が強いかというと、映画館を飛び越えて私たちの生活圏にまで入り込んでくるからです。

分かりやすく言えば、映画館の外でも売れる かつ ブランドが育つからですね。

例えば、グッズ。寝て起きたらトトロの抱き枕があり、見上げた時計の中にはポニョがいたり、学校で使う筆箱にはネコバスがいたりします。

このようにジブリのキャラクターは映画館を超えて、私たちの暮らす生活圏の至るところに住み続けます。キャラクター達とともに暮らし、ともに大人になることでジブリという巨大なブランドが育まれてきました。

ウォルトディズニーはもっとすごい。映画の中のキャラクター達を外に連れ出して世界最大のテーマパークを作り出しました。

ディズニーランドは「遊園地」ではなく「夢が叶う場所」。子供たちにとってディズニー映画のキャラクター達は映画の中だけの存在ではなく、いつか本当に会いに行ける「夢のキャラたち」なんです(ディズニーって本当に凄いよね)。

ジブリもそう。ディズニーもそう。ニンテンドーもそう。

一つの産業に収まらないほどの巨大ブランドは、キャラクターという商品が絶対に必要不可欠です。

このキャラクターがない新海映画は、少なくとも今の時点では、ジブリのようなブランドは築けないと思っています。


……なんて言いつつ、新海監督自身はこれぽっちもポストジブリなんて意識してないと思いますけどね。周りが勝手にポストジブリだーポスト宮崎駿だーなんて言ってるだけで。

私は今の新海監督のキラッキラした映画がフツーに好きなので、ポストジブリなんて無視してこのままの路線でいてほしいなー。


【余談】細田守監督がケモナーになったのって、キャラクターを売る方向にシフトしたからじゃない?

細田監督がケモナーの片鱗を見せ始めたのは「おおかみこども」だと思ったけど、よく考えたら「サマーウォーズ」から匂ってたね。でもキングカズマは好きよ。

なんで細田監督はケモノにこだわり始めたんだろう?って思ってたけど、もしや今回書いたような「キャラクターを売る」を意識してのことだったりするのかな?

ポストジブリを目指して? うーむ。


今日はお出かけするのでこの辺で終わり!


※当記事の内容は全て私個人の考えであり、身勝手な妄想です。
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