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『【カラメル】樋口円香』が凄い

and (call)

◯はじめに

※以下、LP編など諸々のコミュの内容を多々含み、また、個人的な感想であることをご留意ください。








この『【カラメル】樋口円香』では、ある対比に注目すると、テキスト量以上に、意味合いを読み取ることができるようになっています。


その一つが『【カラカラカラ】樋口円香』です。

……別に「"カラ"だから」そう言ってるわけではありません。

【カラカラカラ】『ニガニガ』


【カラメル】『にがい』


プロデューサーと同じコーヒーを円香が飲んだ【カラカラカラ】『ニガニガ』と、
円香と同じプリンをプロデューサーが食べた【カラメル】『にがい』。

また、

【カラカラカラ】『掴もうとして』
【カラメル】『and (call)』

このように【カラカラカラ】が引き合いに出されていることが窺えます。

もう少し言及すると、最近のp-SRコミュは直前のコミュをなんらかの形で補足することが多い(【ローポジション】→【階段式純情昇降機】、【ヴぇりべりいかシたサマー】→【一億回めくらいの、その夏】など)のですが、【カラメル】の直前は円香LP編になります。
円香LP編でも、【カラカラカラ】との対比構図、そして、ファン感謝祭編での"歌"に対する彼女の独白の掘り下げが見られました(↓)。

・【カラカラカラ】とLP編での構図の対比

【カラカラカラ】『水、風、緑』


↓LP編

樋口円香LP編『yoru ni』

ほぼ同じ構図に見えますが、【カラカラカラ】では、円香は転びかけたのみ(転びきってはいない)/プロデューサーが咄嗟に掴む、LP編では、円香は転んでいる/プロデューサーが円香に掴むように言う→自分から掴みにいく、という違いがあります。
昼でなく夜なのも、このコミュの冒頭、

空には数えきれない色がある
色は、混ざれば濁る
そうして塗りつぶされた夜になった

があるので、この場面の意味が映えた演出になっています(このフレーズ自体はLP編の最後で回収される)。

また、【カラカラカラ】『水、風、緑』での「まだ本当の円香はつかまえられないか」は、その後の『掴もうとして』(これが【カラメル】で同じ台詞「本当、ダメな人」があるコミュ、諸々後述)も相まって、LP編の構図の対比描写は効いています。



・ファン感謝祭編→LP編での歌に対する言及

「私は関係ない」
「だって、私は 誰かのために、歌っていない」
樋口円香ファン感謝祭編『然るに受信』


↓LP編

「他人のためなんて自己陶酔 そんな奉仕的な気持ちはない
もちろん自己承認の欲もない
───特に飢えてはいなかったから」
「でも、そうしたことより体が歌いたいと言っている
私はその衝動で歌う
誰のためでもない」
「そういう誰のためでもない歌だから───」
「それを聞く『ひとりひとり』の歌になれ」
「そして、それを聞きたいと集まった人がいることを」
「私は」
樋口円香LP編『color』

ここやばいですよね、樋口円香さんのライブ行きたい。
このように、ファン感謝祭編の最後で提示された『樋口円香』の根幹ともいえる独白に対して、LP編で追及があったわけです。

LP編では、【カラカラカラ】との対比構図、ファン感謝祭編でのテーマの再掲が見られました。

【カラカラカラ】と対比構図のある【カラメル】のコミュが、最近の傾向通り、直前(LP編)を補足するものであれば、「電話を通しての対話」というテーマはファン感謝祭編を意識したものでしょう。

ファン感謝祭編『無に送信』

ファン感謝祭編はユニット主体のため、個別シナリオは非常に短く、「電話を通しての対話」と先述の円香のモノローグで要約できます。

この2要素をLP編と【カラメル】で再掲し、また両者ともに【カラカラカラ】を引き合いとした構図の対比を描いていることから、【カラメル】はLP編と同様、ある程度の文脈を前提としてよさそうです。


似たようなメタ的対比構造であれば、他のノクチルメンバーで言うと、『【HAPPY-!NG】市川雛菜』etc.↔︎雛菜GRAD編がそれにあたるでしょうか(↓昔書いた感想)。

今回の【カラメル】においても、差異によって時間経過やそこまでの文脈を感じることができるようになっています。



◯あまい

着信音が鳴り、それに円香が応じるところから場面は始まります。

この時点で"プロデューサー"との会話であることがわかります。

が、それと同時に違和感に襲われるわけです。
これはファン感謝祭編での通話シーンと比較してもわかることですが、声色が明らかに柔らかい、ということ。そして、円香は(少なくともこれまでは)283プロのプロデューサーのことを「プロデューサー」と日常的に"呼ぶ"ことはありません。

まずここがこのコミュの面白いところだなと思いました。電話を通しての対話───相手が見えない状態での会話をテーマにし、だからこそ「声」や「言葉」に焦点がいく。
フルボイスだからこそ活きるコミュになっています。


その後もこのコミュでは、円香の言葉遣いと態度に疑問符を浮かべながら読み進めることになります。
そも、終盤までは画面に誰も映らないので、このコミュが円香の視点であるというミスリードになっているわけです。

この選択肢もミスディレクションについていくと
円香のものと思い込む



◯にがい

『あまい』同様に"プロデューサー"との通話から始まる

ここでネタバラシがあります。

要するに"プロデューサー"=番組プロデューサーだったわけで、だから『あまい』対応だったというちょっとしたトリックだったわけです。


そして、円香がプリンを2つ頼み、それをプロデューサーが食べる場面に移ります。

【カラカラカラ】『ニガニガ』でプロデューサーと同じコーヒーを飲んだ円香の感想が「なんでこんな苦いのを飲んでるの」だったことに対して、円香と同じプリンを食べて「ん……!うまい───」とプロデューサーが言っているのはなんというか、面白いところですね。
相手と同じものを食べる(飲む)みたいなのを、大枠で「理解する」の表現として使っているわけで、前の文脈があるおかげで相手に対するそういった部分が重なって読むことができます。

もう一つこのシーンの大きな違いがあるとすれば、【カラカラカラ】『ニガニガ』では、円香はプロデューサーと同じコーヒーを自分で買って飲んでいますが、【カラメル】『にがい』では、円香が同じプリンを頼んでプロデューサーが食べるという形になっています。
今回の【カラメル】では、円香からプロデューサーに対するアクションが今までに比べて見られます(後述)。

あと、プロデューサーのコーヒーに対して、円香のプリンというチョイスがいいですね。
【カラメル】、『あまい』『にがい』というタイトルに象徴されますが、今回の円香の対応の言葉遊びを兼ねている他、円香のコミュではプロデューサーその人の表現にすらなっている「苦いだけのコーヒー」に対して、「甘いだけじゃなくて苦さもほんの少しあるプリン」をここで持ってくるのがズルいところ。
対比構図がLP編を感じさせるところもあり、また実装時期的にも後日譚的な読み方ができるところもあって、円香からのプロデューサーに対する直接的なアクションが見られるのを、文脈+「プリン(カラメル)」というメタファーが一層感じることができるようになっています。



◯and (call)

そして、プロデューサー───283プロのプロデューサーとの通話がTrue Endのコミュになります。

番組プロデューサーの時と全く同じ文だが、「プロデューサー」と言っていた部分が「………」になっている。声色も違う。


このコミュでやはり印象的だったのは、

円香はプロデューサーのことを「プロデューサー」と呼んだけれど、当のプロデューサーは「円香が呼んだらわかる」と言いつつ番組プロデューサーのことだと思っている、というシーンです。

そして、【カラカラカラ】『掴もうとして』と同じ台詞で終わります。

円香はプロデューサーのことを基本的には「あなた」と言いますし、プロデューサーの前では番組プロデューサーのことを「彼女」と言っていますから、実際ここの「プロデューサー」はどっちかわかりにくい、むしろプロデューサーからすれば番組プロデューサーを電話で「プロデューサー」と呼んでいるところを聞いているため、こうなるのは仕方ないところです。

今回全体を通してやはり一番印象的なのは、『にがい』でもプロデューサーの分のプリンを円香が頼んだように、【カラメル】は今までに比べて円香の方からのプロデューサーに対する直接のアクションが多いコミュだということです。
ファン感謝祭編での通話が「何も聞こえない」だったことを踏まえると、「相手が見えない対話」を再掲しこのような演出をしていることで、この部分はより映えています。"言葉"に焦点がいくのもありますし。

LP編の「あなたを掴むくらいなら溺れて死ぬ」→「……勝手に助けるよ」「絶対に溺れさせたりしないから」の後に、ここのタイミングでこういった円香の変化のコミュをするのがズルいところです。
だからこそ、やばいのは、

これが【カラカラカラ】『掴もうとして』のセリフなことです。

【カラカラカラ】はプロデューサーが円香を『掴もうとして』の話ですが、【カラメル】は円香がプロデューサーを『掴もうとして』の話なんですよね。

……この『and (call)』というコミュタイトルですが、callが「電話する」と「(プロデューサーと)呼ぶ」のダブルミーニングになっているだけでなく、「アンコール」がかかっていると思うともう凄いとしか言えません。



この時、円香はどんな表情をしていたのでしょうか。
そういったところも「相手が見えない対話」をテーマにしていたからこそより一層気になるのかもしれません。




◯おわりに

これだけの試み・要素を詰め込みながら綺麗に短くまとめ上げたこのコミュは、対比や複合的な表現・メタファーで雰囲気と浸る余地を与えることの多いシャニマスのコミュ中でも指折りの名作だと思っています。
なにより、「フルボイスのサウンドノベル」である強みが存分に出ており、読んだ時は思わず唸ったものです。
また、シャニマスの連続的というより隣接的なシナリオの形式だからこそなのも良かったです。

ただの自己満感想メモでしたが、もしここまで読んでくださった方がいれば、ありがとうございました。











【オイサラバエル】は引けませんでした。

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