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【色彩学"的"】なぜ七草にちかはかわいいのか?かわいいからです!

かわいいからじゃないですか?


1.色相で読み解く七草にちか

 【♡まっクろはムウサぎ♡】のムービーを初めて見たとき。みなさん思いませんでしたか?











いや、かわいいな!!!!!!!!!!と。






 まず、 この七草にちかさんがかわいい理由の一つに、色相が関係すると考えて話していきます。

 青〜紫で色相が纏められた(類似色相配色の)服装と、色相環のぽつんと離れたところにある髪色。

 トップスとリュックに対して髪が、補色色相の関係になっています。このコントラストによって「無難でない」印象を与えています。
 その上で、服と髪の間に無彩色(に近い低彩度色の)のインナーと肌の色を挟んでいることで奇抜な強い印象を柔らかくしています。

補色配色のポイント
補色配色では、与えたい印象によって彩度をコントロールすることが重要になります。〔中略〕補色の間に無彩色や低彩度色を挟んで距離を開けたり〔中略〕することで印象をコントロールすることも可能です。

──── 伊達千代『配色デザイン見本帳 配色の基礎と考え方が学べるガイドブック』エムディエヌコーポレーション, 2014.

 塗りは低彩度で、またこのように隣合うことも避けているので、補色配色で気をつける必要のあるハレーション(目がチカチカすること)もありません。


 それだけではないんです。
 シャニマスは基本的に「低彩度・高明度」の塗りがなされています。
 無彩色かつ低明度の黒のベレー帽とリュックの肩紐や、明度・彩度ともに差があるネイビーのリュックが、この明度が高く彩度の低い服・肌・背景に対して引き締める色になっています。

セパレーション
低彩度のはっきりとしない配色をセパレーションで引き締めよう
比較的明度の高い低彩度色の配色なので、明度差のある低い明度の無彩色か低彩度色を、色と色の境界に入れるのが効果的です。

──── 『文部科学省後援 色彩検定公式テキスト3級編』内閣府認定 公益社団法人 色彩検定協会, 2019.

アクセントカラー
小さい面積で配色全体を引き締めるための色をアクセントカラーといいます。アクセントカラーは、配色に変化を与えたり、配色を強調したり、特定の部分を目立たせたりするときに効果的です。〔中略〕明度差も彩度差も大きくなる色が効果的で、高彩度色の場合には色の違いがはっきりとして、その効果をより明確に感じることができます。〔中略〕ほかの色との差が大きければ無彩色も使用することができます。

──── 『文部科学省後援 色彩検定公式テキスト3級編』内閣府認定 公益社団法人 色彩検定協会, 2019.


2.コンプレックスハーモニーは「不調和の調和」

 黄を明るく、青紫を暗くする配色を「ナチュラルハーモニー」といいます。ルードの色彩調和論(あるいは、なじみの原理)に則った、色相の自然連鎖通りの配色です。


 今回のにちかのコーデはその逆。
 黄色に近い色相のほうを暗く、青紫に近い色相のほうを明るく配色したものを、「コンプレックスハーモニー」といいます。

コンプレックスとは「複雑な」という意味で、自然の中ではあまり見慣れないような、新鮮な感じになることが多い配色です。
──── 『文部科学省後援 色彩検定公式テキスト2級編』内閣府認定 公益社団法人 色彩検定協会, 2019.

 自然界の色の基本的な見え方と反対のことをするため、人工的な印象になり、見る人の目を引く効果があります。
 自然では見慣れない配色が「コンプレックスハーモニー」なんですが、実はファッションやデザインで意図的によく用いられる配色なんですね。

人為的に感じられる分、都会的でおしゃれ、新しいといった印象があり、特に若い世代に向けたデザインやファッションでよく用いられます。
──── 伊達千代『配色デザイン見本帳 配色の基礎と考え方が学べるガイドブック』エムディエヌコーポレーション, 2014.

 この「コンプレックスハーモニー」は「不調和の調和」とも呼ばれます。
 色相の自然連鎖に対する不調和を利用した調和なんですね。

 あくまでコンプレックスハーモニーの効果は、この「見慣れない違和感によって目を引く」ところにあります。
 違和感という言葉を使うと誤解を招きやすいのですが、実際にファッションやデザインで頻繁に使われているように、この配色の目新しさは有効に利用されます。

 さらに言うと、「コンプレックスハーモニー」は、

無彩色との相性もよく、〔中略〕柔らかく仕上げたい場合は白もしくは白に近いグレーを組み合わせるとよいでしょう。
──── 伊達千代『配色デザイン見本帳 配色の基礎と考え方が学べるガイドブック』エムディエヌコーポレーション, 2014.

 というところがあるのですが、にちかのコーデでは、白色のベルトや白に近いグレーのインナーを組み合わせているんです。

 にちかの明度の低い緑の髪色があってにちかがこの服を着るから、全体としても「コンプレックスハーモニー」配色になっていて、このコンプレックスハーモニーの奇抜さを無彩色を間に入れ込んで和げているんですね。


 ただ、もちろん、ここまでは多少の客観性に基づく分析ではありますが、これ以上の言及は結局のところ主観ですし、"だから"と言い切るのは些か不適切ですが。






かわいい!!!!!!!!!!!!







3.【♡まっクろはムウサぎ♡】

 このように、少なくとも、「=ちぐはぐ」とだけなる配色ではありません。
 「コンプレックスハーモニー」という配色に意味を込めたのかはわかりませんが、それでも「コンプレックスハーモニー」を解釈の材料にして使うなら、「不調和」止まりではない、「不調和の"調和"」の部分まで触れるべきでしょう。

 ということで、コミュと繋げて実際に考えてみます。

※以下ネタバレ注意




 この「まっクろはムウサぎ」が登場するコミュは、

『やばいいきもの笑』です。
 ということで、このコミュから振り返ります。


 まずキーポイントになってくるのが、「名前」です。これはWING編でも強調されていた部分ですね。

 故に「消えないペンで名前を書く」という行為がメタ的な比喩として活きてきます(後述)。


 そして、肝心の「まっクろはムウサぎ」。

 (この話で重要なところの一つは、かつてにちかが「ウサギがいい」と言ったそのウサギについて、

↑こう言ってるところです。)


 他人がかわいいと思って描いたものに、自分がかわいいと思うものを付け加えられた「まっクろはムウサぎ」。

 それを描いているにちかは、楽しそうに笑うのです。


 では、ここで「コンプレックスハーモニー」の話をします。
 この配色は「見慣れない人為的な違和感によって目を引く」効果のある配色でした。

 この印象は「まっクろはムウサぎ」と似ているかもしれません。
 実際にこの話はプロデューサーのツボに入っていますからね。
 (形状で言えば、「類似色相配色でまとめられた服と対照色相の関係にあるにちか自身の髪の色の組み合わせ」ともこじつけることができます。こじつけ。)

 そして、なによりも重要なのは、決して「まっクろはムウサぎ」はマイナスのものとして扱われていないこと。
 むしろこれは、にちかのこれからを示唆する表現と考えられます(後述)。


「いいウサギにしてくれ
せっかく、油性ペンで描くんだから!」




 そして、True End。

「────にちかは……!ビッグに……なるぞーーーー…………!」

「────大声出したのは、にちかじゃないか」
「取り消さないだろ?」


 あの日、「やっ……ほー……!七草にちか、ごーうーかーくー……!」と彼女は叫びました。WING編ではそれ以降にちかの口から挙がることがなかった「七草にちか」という名前を。

 この「取り消さないだろ?」は、

(↑にちかWING編『〈she〉』より)

 にちかがその時に言った「取り消せませんよ!」にも、また、今回のTrue End直前のコミュの「油性ペンで、消えない名前と『まっクろはムウサぎ』を書く」という内容にもかかってくるんですね。


 では、『まっクろはムウサぎ』とは一体何を表していたか。

(↑ 【♡まっクろはムウサぎ♡】『へんないきもの笑』より)

 他人がよかれと思って描いた形(ハムスター)に、自分が本当に好きなもの(ウサギの部分)を延ばして、大きくなる。
 そんな形を楽しそうに笑って描く─────隠喩的に「しあわせ」の一つの在り方が提示されたコミュだったように思います。そうした「自我」の遡及の道程が今後描かれていくのでしょうか。

 (思い返せば、この「ハムスターにウサギの耳を生やしたもの」のことを、にちかは「ハムスターみたいなやつ」と形容したのですが、プロデューサーは一貫して「ウサギ」と呼んでいるんですよね。)


 だから。True Endの宣言が、

「び……ビッグになるぞーーーー!!!!」

 そういった文脈も乗る宣言になっているのです。

 そして、あの時と同じ長い暗転で終わります。
 やまびこになって返ってきたあの日との対比になっているのかもしれません。









 ……というこれも(ある程度は読解に近いとはいえ)個人的な解釈にはなります。
 今回は触れませんでしたが、True Endの『家』(天井社長が283プロを再出発させた際の理念/【まっクろはムウサぎ】ではPに対する反抗を見せた後に事務所のものには描けないハムうさぎをPになら描けるという内容を裏付けるテーマ、又、にちかの理想として語られており、にちかの幸せの形を叶える場所として描写/現状要素が少ない『みんなの妹』というにちかのコンセプトはゆくゆくここに繋がるか)というテーマは、今後のにちかのコミュやそろそろ来るであろうSHHisのイベコミュでも扱われそうですね。



 結局、言いたいところとしては、コンプレックスハーモニーあるいは補色色相的な色選びを何か他に意味があるに違いないと思うにしても、コミュを読んでいれば、それはにちかの、原体験的な『家』という夢と今の"アイドル"という理想の共存という、一見ちぐはぐでも故に目を引くような、彼女が彼女であるための在り方、あるいは「自我」のメタファー、と解釈するのが、最も尤もらしいように私は思います。



4.おわりに

 通説になりかけている例の記事(【色彩学】なぜ七草にちかより友達のほうが可愛いのか?)が色彩学を誤用しているのが気になったため、かなり遅ればせながらこれを書きました。

 例の記事の問題点はいくつか挙げられます。

1.色彩学の誤用
 「補色(対照色相)配色が目立つ、コンプレックスハーモニーが人の目を引く」までは色彩学の知識として異論はありません。そして、どちらもデザインでは決して珍しくない配色です。
 しかし、肝心の「それが悪い方向に作用している」とする根拠を一切述べることなく断定しています(寧ろ、前述の通り、ディテールに注目するとそう断定する方が不自然です)。さらに正確に言えば、行間を読むと、「私はダサいと感じた」をその根拠としているのです。
 つまり、あの記事の説明を要約すると、「ダサいんだから、コンプレックスハーモニーも補色配色も悪い効果をもたらしている。だから、ダサい。」となんとも奇天烈なことになります。少なくとも「ダサい」と思っていない人にとっては荒唐無稽でしょう。極めて主観の「ダサい」を客観的に説明することが記事の主張上求められていることを踏まえると、暴論と言わざるを得ません。
 そもそもですが、自分の知る限り、現在学問がそういった外向きの「価値」を規定することはありません。そのような「価値」を絶対化しようとするものがあれば、それは宗教です。学問が「価値」を絶対化しているように思う場合、それは受取手の価値判断から来るものです。学問で得た知見を、我々個々の社会的/文化的「価値」にすり替えているに過ぎないと私は思います。その意味でも、学問を題に掲げながら「価値」を絶対化する体裁を取り続ける某記事はひどく扇動的で、違和感を覚えます。
 自分が大学で学んでいるのは医学や薬学に系統する/関連する諸学問なので、色彩学という学問の性質をはかりかねる部分はあるのかもしれませんが、人への適応をどこか見据えているという点においては、少なくともたった一つの実験結果で大衆という対象から個人に還元すること或いはその逆の暴力性を軽視することがあってはならないのは共通する現代の基本倫理ではないのでしょうか。どころか、その実験結果すらないのに「色彩学」と銘打っているのですから、それは流石におかしいだろうと言わざるを得ません。
 こうして見ると、科学や心理学を歪めて利用している陰謀論であれば、それにハマる人を嘲る人は多いですが、未知の学問を掲げてみれば途端にこうなるのですから、案外他人事でもないのだと感じます。

 そもそも「色彩に対する多様で主観的な人間の感性を、客観的な体系に可能な限り落とし込む試み」にまで手を伸ばそうとする色彩学を引用しておきながら、何の断りもなく一個人の主観(どころか「価値観」)を客観的な公理とした挙句、やっていることが他人のコーディネート批判というのはなかなかです。
 また、ここでいう色彩学というものはつまり「色彩心理学」で、認知科学ですから、やはりその背景に慎重にならなければならないのでしょう。故に主観性がありそうな物言いにはある程度慎重になる必要があります。少なくとも元記事や本記事のように色彩学検定の参考書からの引用のみからシームレスに、関連する原著論文を挙げることも外的妥当性のある調査や実証も行うことなく一個人の感覚へ切り替えそれを主論としている以上、決して"学問"という反則的な聞こえの暴力を持つ看板を掲げるべきではないでしょう。(そのため、色彩学"的"と本記事では改めています。)

2.コミュに触れずに『まっクろはムウサぎ』の意味合いをマイナスと決めつけている
 色彩に注目した考察、という視点は面白いのですが、シナリオの内容に触れないのは、本末転倒です。

3.『「人がどんな服を着ても自由だ」と思っています』という主張との矛盾
 説明を飛躍させてまで「ダサい」「似合わない」と一辺倒に決めつけ、ナチュラルハーモニー配色や無難でまとまりのいい服を半ば強要して、『「人がどんな服を着ても自由だ」と思っています』は流石に矛盾も甚だしいです。
 そもそも書き手の好みで人のファッションに文句つけるために理屈を捏ねようとしている人の主張としては、無理があると思います。

4.にちかに対する過剰なマイナスのステレオタイプと、文字の破壊力と数字を持つ考察への盲信傾向
 例の記事がああいった内容になったのも、よく読めば誰でも破綻に気づけるはずにも関わらず絶賛されバズったのも、これが一番の原因だったと思います。
 もちろん、人・キャラクターを見る上で、ある程度のバイアスがかかるのは当然です。ただ、多くの人が「にちかだから」で納得し、ただの悪口を根拠もなく客観的是と認識する、という事態が起こったのは冷静に考えても恐ろしく、やはり科学や心理学を歪め悪用した陰謀論に傾倒していく様を目の当たりにしたようなものです(もっとも、受け取り手の振る舞いが似ているだけで、記事そのものに自覚的な悪意はなかったのでしょうし、陰謀論と並べるのは流石に申し訳ないです。要するに、どちらかというと読み手の話です。)。
 にちかのキャラクター性・シャニマスにおける特異性が肌に合わない人であればそんなもんだろうと納得できますが、多くの好意的なスタンスの人もこうなってしまうことに群衆心理の怖さがあるなと思います。

 正直、SHHisまわりの話というのは、扱いが難しい部分に切り込んだり暗い質感で描かれたりすることが多いんだろうなと感じます。
 特ににちかのコミュでは、我々の共感を誘うように描かれている節があり、「普通の女の子が、普通ではなれないアイドルという存在になろうとして苦しむ」という今後描かれるもののためのある種ミスリード的なプロット観をプレイヤーに与えています。
 SHHis個人のキャラクター性やテーマに加えて、2人の違いを以ってしてそうした質感で描かれることもあるでしょう。その質感の生々しさから、暗い部分にしか目がいかなくなってしまう人もいるかもしれません。
 我々がそういった部分をコンテンツとして消費しているのは確かで、そこを楽しめるのも、作品・創作物の良さではあります。しかし、自分の中で超えてはいけない一線があるなら、他者に靡いてそこを忘れるようなことがないようにしたいとも思います。

 「拡大解釈をするな」というつもりも「マイナスの表現を解釈するな」というつもりも全くないですし、そんなこと言う資格など当然自分にはありません。ここではただ単に、デマ(通説としては著しく根拠不十分)と言っただけのものだと思ってください。
 これは拡大解釈(こじつけ)とデマの違い、というか、より正確に言うと、「人のファッションにケチをつけることを是とする」という不健全性・暴力性に無自覚なまま、それでいて根拠不十分のこじつけであるにも関わらず少なくない人達の中で共通認識と化していたため、ある意味で昨今蔓延る度を越した陰謀論の様相を呈しており、その点を批判しただけと解釈していただければ幸いです。
 Twitterのトレンドなんか見てると、どの作品も、感想・考察の共有が流行なんだと思います。
 作品と向き合うことなく作品の上に立とうとしてしまうことや、作品そのものに対する思索より先に"強者"になろう(二項対立的な価値にすり替えよう)としてしまうこと、それゆえの、作品やキャラクターに対する雑なラベリングとその押しつけ───品定めが、倫理すら犯しうる、というのは、内向きな共有をしているつもりの自分も一回意識し直そうと思いました。

 偉そうな物言いになってしまっていたかもしれませんが、自分も抜かりのない人間では全くもってなく、これは自分自身気をつけようという自戒でもあります。
 読んでいて不快な思いをしてしまった方がいたら申し訳ありません。

 この記事は某記事に異議を唱えてはいますが、「色彩学から考える」という視点はとても興味深かったですし、そこは揺るぎません。しかし、学問を歪めて流布されるということが非常に暴力的であることは、世に蔓延る陰謀論が悲しくも証明していますし、こういうことがあるから、大量の情報に溺れる現代では気をつけたいというところを、共有したいと思った次第です。

 拙い文章でしたが、ここまで読んでくださってありがとうございました。


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