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「好き」を仕事にするのはたぶん、不自由なことだ。


 どうも、さむです。

 久しぶりにnote書いてみました。

 今日は巷でよく言われる「好き」を仕事にする、ということについて書いてみます。

 いきなり単刀直入に言うと、基本的に「好き」を仕事にすることって、あんまりいいことじゃないと思うんです。

 その理由を述べます。

 ぶっちゃけ、幸せかどうかって、「他責思考を少なくする」ことにあるんじゃないかと思うんです。要は「〇〇が悪い・不満」「〇〇を矯正しないといけない」みたいにネガティブなことばかり考えてて、幸せになるわけないよな、ってことです。

 で、「好き」を仕事にしても、他責思考が強いと結局その「好き」の中に文句の種を見つけて不満を言いまくり、素敵なはずの環境を楽しめないマインドになってしまうような気がするのです。

 逆に他責思考が強すぎなければ、多少望まない環境でも楽しめるし、ある程度受け入れて生きていけますし、そこで「好き」なことを見つければ尚更輝けるのではないでしょうか。

 そもそも考えすぎ自体が疲れるので、考えずに楽しめるマインドが、幸せに好きを楽しむことができるような気がします。もしくは純粋に好きを追求することができるというか。余計なことを考えてしまう性格だと無駄に精神を消耗するような気がします

 いずれにせよ、「好き」を楽しめるマインドを作るのも、「好き」を仕事にするには重要なことな気がします。

 あと、もうひとつあるのは、「好き」を仕事にするなら、何年も磨いて技術を仕上げないと、お金を稼げるようにはならないのも事実ではないでしょうか。

 例えばプロ野球みたいに、二軍で塩漬けで実力不足と判断されるとチームから追放されるような職業もあり、「好き」なら安泰とか、仕事続けられて稼げるとか、そんな保証はどこにもないわけです。

 結局どういうことも多かれ少なかれ「ビジネス」の要素があるのが現代社会の職業なので、基本のビジネススキルをその集団としては持ってないといけないと思うのです。

 なので、そこで必要と言えるスキルがないと、「好き」で生きることはできない、あるいは非常に難しいわけです。好きなことを仕事でやっていくためには技術を上げる必要があって、その課題に取り組むために逆にやりたくないことをやらないといけない、ということになったりするのです。

 どの業界もうまく行ってるなんてことはないので、「好き」だけの基準で選ぶと厳しい業界に足を突っ込んでいくことになるし、最近流行してる「10年後になくなる職業」的なリストに入ってる業界だったりすれば、存続のために色々動かないといけなかったりします。趣味でなく仕事なら、やってくためには義務も増えてしまいます。

 好きを仕事にするとなると、基本的には「プロ」である必要があって、いつでもプロとして振舞わなければならないと考えると、それは、ある種の人からすると不自由なようにも感じてしまうのです

 だからサラリーマンやって稼いだ金で趣味で「好き」なことを遊ぶとか、そういう方が向いているのもありますし、逆に「好き」なことだけやって生活を蝕むのはどうしても心に不安を残す気がします。

 「将来が見えないという展望の不安定さ」を感じずに生きることは、大人になればなるほど難しいのではないでしょうか。再チャレンジだと前首相は言っていましたが、どうしても人生には取返しの付かないことはある気がいたします。

 サラリーマンももちろん、その分野においてプロとして振舞うのが理想ではありますが、一方で基本の職業として、ぺーぺーの新人も窓際のおじさまもある程度は許容して給料を支払ってはくれます。社畜として過労させられるかもしれない、そうじゃなくてもいろいろと縛られるリスクはありますが、ある程度は稼ぎやすいのも事実ではあると思います。

 なので、好きに生きるって響きはいいですけど、それは好きな分野でプロになって生き残れ、というのと同じものなので、それは本当に幸せかはわからない。

 マインドを変えていって今を受け入れつつ、好きなことをどうしていき、取り込んでいくかを考えたほうが、ほとんどの人にとって、結局はいい生活を送れることもあるのではないか、という気はしています。

 そんな感じで今回の話を終わります。

いじょ。

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