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キモノ産業の悉皆屋ってどんな仕事?

皆さんは、魚屋さんと聞いて、どんな仕事を想像されるでしょうか。

商店街やデパ地下で、威勢のよい掛け声よろしく商いされている光景を思い浮かべる方も多いと思います。

魚屋さんは、魚を商材として販売、流通させるのが仕事です。
一般感覚では、魚を獲ることを含んでいません。

つまり、漁師さんを魚屋さんとは呼ばないということです。
小売や卸売の流通業者と、漁業や水産業者は別業種の仕事となります。

キモノ産業の中の職種に「染め屋」があります。
では、この「染め屋」については、どんな仕事だと思われるでしょうか。

和装業者で自分自身のことを「私は、染め屋です。」と発言される方が少なくなった気がします。
キモノに携わるプロの人々も誤って認識している場合があるからではないかと推測しています。
はっきりと調べたわけではありませんが…

「染め屋」は、染め物を商材として扱い、商売するのが業です。

「染め屋」は、「そめもの屋」です。

染め加工をする職人が営む、製造加工業のことを指す言葉ではありません。

染め加工に関わる職人を、染め屋と呼ぶのは正しくありません。

染め加工する職工人の職業を指し示す場合には、何々染め屋(引き染め屋、たき染め屋、糸染め屋、黒染め屋などなど)と呼んで、染め屋の言葉の前に、加工する方法やアイテムを付け加えます。

繰り返しになりますが、「染め屋」は、言葉の前になにもつかない単独の言葉で使われると、「染め物で商いをする職業」となります。
染め物を扱う流通業者のことを指します。

ところで、この「染め屋」の仕事の範疇に、「悉皆」という仕事がありますが、ご存知でしょうか?

特に、悉皆業務に専心する業者を、悉皆屋と呼びます。

この悉皆屋についても、なかなか正しく理解されていないようです。
(ここでは、悉皆屋さんの中でも、後染め品にまつわる方々の話を中心にして述べていきます。(*2021年11月分から再編集))

悉皆屋は、加工業者と流通業者を取り持つ調整役や指示役で、製作のために企画や立案することを生業とします。
(今風に言い換えますと、コーディネーターやディレクター、プランナーとなるのでしょうか。)

悉皆屋を和装クリーニング屋さんとか、何でも屋さんとかと、誤って理解している人も、少なからずいらっしゃるようです。

悉皆という言葉が「ことごとくみな」と読めるために、悉皆屋というものは、際限なく、底なしの範囲を取り扱うものだ、とキモノの小売り業をしているプロの方でも間違って認識していることがあります。

今後是非、この悉皆という仕事内容やその範囲を、多くの方に理解して欲しいと思います。

悉皆と言えば、すぐに「悉皆、厄介」というステレオタイプの言葉を引き合いに出す御仁がいらっしゃいますが、些末なことなので、ここでは触れません。

悉皆屋は、業者間を取り持つ業のことなので、流通業者、あるいはサービス業者に分類できます。

問屋さんが、留袖を既製品の商材として手に入れたい、と思った場合を例にしてみましょう。
この問屋さんは、まず、白生地屋さんから素材の反物を仕入れます。
その反物を悉皆屋に預け渡して、加工の発注をします。

悉皆屋の仕事は、その白生地に加工を施す依頼を受注することから始まります。

そして、湯のし屋、下絵羽屋、下絵屋、紋糊屋、糊置き屋、地入屋、友禅屋、蒸し屋、伏せ屋、黒染め屋、水元屋、印金屋、繍い屋、地直し屋、上げ絵羽屋など、加工する職工人や工場、工房を廻って、外注発注する場合が多く見受けられます。

それらの製造内容を企画、指示しつつ、加工工程を管理、調整していきます。
分業と協業で、加工が終了します。

最後に、発注者である呉服問屋へ納品することで、仕事が終わります。

このような悉皆屋を、仕入れ悉皆屋と呼びます。
(商売熱心な仕入れ悉皆屋さんは、ご自身のことを”染匠”という言葉に置き換えて、自己紹介される場合があります。ただ、自分自身のことを″匠″と言われることに、少し違和感があるのですが…)

前述の職工人の場合と同じようなパターンです。

仕入れ品(既製品)を取り扱う悉皆屋なので、仕入れ悉皆屋ということになります。

そのほか、湯のしや洗い、地直しやクリーニングを専門分野として取り扱う悉皆屋は、整理悉皆屋と呼ばれます。
(かつて昭和の時代、この種の悉皆屋が多かったので、令和の今でも、悉皆屋=整理悉皆屋だと、誤って認識されている場合があります。)

刺繍加工職人に発注することを専門に取り扱う悉皆屋は、刺繍悉皆屋と呼ばれます。
単に刺繡屋と呼ぶ場合もあります。
(実際に刺繍加工する職人や工房については、刺繍屋とは呼びません。繍い屋と呼びます。加工する立場と、悉皆屋の立場とを、呼び方で分けることが、業者内では通例となっています。)

八掛や胴裏を用意して、本仕立てをする裁縫屋さんに発注する悉皆屋は、仕立て悉皆屋と呼ばれます。
単に、仕立て屋と呼ぶ場合もあります。
反物を仕立て上った製品になるように、段取りするのが仕事です。
(呉服屋さんの中には、今でも、悉皆屋=仕立て悉皆屋だと勘違いしているお店や、仕立ての裁縫屋さんと、仕立て悉皆屋さんを混同されているお店も多々あります。注意が必要です。)

板場染め屋さん廻りや紋型屋さん廻りをして、小紋を中心に取り扱う悉皆屋は、小紋悉皆屋と呼ばれます。

下絵羽、中絵羽、上絵羽を受注し、絵羽屋さんへ発注することを専門にする悉皆屋は、絵羽悉皆屋と呼ばれます。

縫い紋や上絵紋を受注し、紋糊屋さん、縫い紋屋さん、上絵屋さん、抜き紋屋さんの廻りに専心する悉皆屋さんは、紋悉皆屋と呼ばれます。

中には、どの分野の悉皆屋さんに対しても、屋を付けずに、単に、何々悉皆と呼ぶ方もいらっしゃいます。

この様に、注文形態や加工内容、加工種類を、悉皆屋の言葉の前に付け加えるのが、元々の呼び方です。
悉皆屋という言葉だけでは、その仕事内容が分からないほど、数多くあります。
このことこそ、「ことごとくみな」の仕事を取り扱う業種である、という意味に通じるのでしょう。

現在では、悉皆屋の人数自体が減ってしまったので、多くの呼び名があることも、業界の中でさえ、知らない方が増えてしまいました。

「私は、小売屋をしています。」と聞けば、「何の小売屋さんですか?」と聞き返したくなります。
小売屋だけでは取り扱い商品がわからないからです。
「台所用品を扱っています。」と返答されれば、「ああ、荒物の小売屋さんなのですね。」と腑に落ちます。

キモノ産業の方から、「あそこにいる方は、悉皆屋さんです。」と聞けば、「何の悉皆屋さんですか?」と尋ねます。
しかしながら、怪訝な顔つきで、「悉皆屋さんは悉皆屋さんでしょ。」と返答された経験は、何度もありました。

中には、「仲間さんに出入りされている裏もんの染め屋さんです。」というように、質問の意図をわかってもらえて、返答をしてくれる方も、勿論いらっしゃいます。

ここでは、「仲間問屋さんから注文を受けている悉皆屋さんです。
取り扱う品物は八掛や胴裏です。
それらは、白生地ではなく、染め物です」という意味になります。

先ほども述べましたが、悉皆屋と言えば、整理悉皆屋や仕立て悉皆屋を指すものだ、と間違って認識しているプロの方も、いらっしゃいます。

さらに、困ったことに、何でも屋だとか、よろず屋だと勘違いしている的外れな先入観を持っている場合もあるようです。

悉皆屋には、ここから、ここまでという、ハッキリとした仕事の範囲があります。

是非、認識してほしいと願っています。 

ちなみに、私も悉皆屋です。
正確に言いますと、誂呉服模様染悉皆屋(あつらえごふくもようぞめしっかいや)です。
悉皆屋の前に3つの言葉がついています。
(単に、模様悉皆とか、模様染め屋とか、呉服悉皆と、呼ばれることもあります。)

①誂
誂え注文を基本とする悉皆屋です。
着用するユーザーが既に決まっているケースを中心に取り扱います。
オーダーメイド品ということです。
(注)「誂え」は、草案、図案製作など、一から始める手法です。
ブックなる見本帳に載っている既製品を、寸法や色印象を変えて注文するような、イージーオーダー的な類ではありません。

②呉服
呉服屋(専門小売店)からの受注を、基本とする悉皆屋です。
帯ではなく、キモノ(=呉服)を扱う悉皆屋だからという理由で、呉服の言葉を使っているのではありません。
受注する先が、一般消費者や問屋ではなく、小売店(呉服屋)からだ、という意味での「呉服」という言葉です。

③模様染
取り扱う加工方法が、模様染めを基本としている悉皆屋です。
総合的で、手の込んだ方法の模様染めに対応出来ることを指します。
友禅染めが中心となります。
小紋や無地、ぼかし染めなどは、周辺アイテムとして扱います。

京都の中で、現在どれくらいの人数の悉皆屋がいるかは分かりません。

しかしながら、この3つの呼び名がつく者は5人もいない、と随分前に言われた記憶があります。
今は、令和です。
本当は、もう他に、誰もいなくなったのではないだろうかと危惧しています。

斜陽の中で、時間と共に、呼び名の意味がぼんやりとしていくことは、よく理解しているつもりです。

でも、その足跡ぐらい、21世紀を越えるほどには、残っていてほしいと願っています。

染めものを介して、人と人とを紡ぎながら、コミュニティを広げる、エレガントな仕事だと思っているからです。

おわり                                            

PROFILE
中井 亮 | nakai ryou
1966年生まれ。京都府出身。
幼少の頃より 家業のキモノ製作現場に親しむ。
京都市立芸術大学 大学院 美術研究科 中退(染織専攻:染めゼミ)
友禅染めを中心に、古典柄から洒落着まで、様々なジャンルの後染めキモノ製作に携わる。
模様染め呉服悉皆業を営む。
また、染色作品の個人制作や、中高校生へ基礎美術の指導を行っている。

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