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人間の「薄気味悪さ」を描く「いちばんすきな花」

人間ほど「薄気味悪い」生き物はいないと思っている。

でもドラマで描かれる人間って「薄気味悪い」を超えて、視聴者が「うわ!気持ち悪い!最低!ない!自己中!」などと堂々と批判できるぐらいデフォルメされるのがセオリーだと思っていた。あえて「異常」な行動を描いて、笑いまで誘うことだってある(「M愛すべき人がいて」とか、古いけど「牡丹と薔薇」とか)。

だけれど今クールで放送中の「いちばんすきな花」では、人間のリアルな「薄気味悪さ」を描いている。まじめに直視するとしんどい。

このドラマ内で薄気味悪さを感じた言動を、ざざっと挙げてみると…。

・ゆくえの「(男女間には恋愛しか生まれない&友情はありえない、考えなんて)しょーもな」という吐き捨て
・椿の「喫煙所徘徊」
・紅葉の台詞「余っている奴がいると安心した」発言
・夜々の同僚の「モテない男ムーブ」
・夜々の母親の「娘の一人暮らしの家&職場突撃」
・紅葉のバイト仲間や元同級生の「紅葉に対する客寄せパンダ扱い」とそれに甘んじる紅葉

(私個人が勝手に薄気味悪いと感じただけ。そう感じない方もいらっしゃると思います。ただ価値観が違うだけなのです。不愉快でしたらごめんなさい。)

挙げた言動はどれも日常で見聞きしたことがあるし、自分がしてしまった経験のある人も少なからずいるはず。なので、視聴者は高みから登場人物をあれこれジャッジしづらくなっている気がする。

例えば、先ほど「薄気味悪い」として挙げた1つ目の、ゆくえの「しょーもな」。私は、色々と言いたくなった。ゆくえの気持ちはわからなくはないけれど、疑問に思った。ゆくえは自分が赤田の婚約者の立場だったら、自称・親友の他の女とのカラオケ(密室)に快く送り出せるのだろうか。そもそも親友の赤田が同性だったとしても、婚約したならカラオケへのお誘いはすごく遠慮すると思う。

でもそう感じた私だって「薄気味悪さ」のない人間では全くない。むしろとても「薄気味悪い」人間。だからゆくえちゃんや登場人物を、声高らかに批判できない。

他人を「薄気味悪い」と感じるのは、価値観が違うから、他人から「薄気味悪い」と思われるのは、価値観が違うから、だと思う(共感性羞恥心を抱いくことが原因の場合もあるか)。


そこかしこに落ちている、誰かとの価値観の不一致(という地雷)全部に気をつけられればいいけれど、そんなのは無理なわけで。(自分はできる!という人は素晴らしいです)。誰かの地雷を踏む回数を減らすには、世の中に多い価値観で生きて、少なくとも知って、表向きはそれをインストールしておく、しかないんじゃないかと。少数派を切り捨てることになるけど、ひとりひとりをよくよく観察しないと全部に配慮するのは無理。大事な人に対してだったり、必要な場面だったりでは頑張れる程度だと思う。

つまり「世の中の多数派でいれば、結局は生きやすい」って結論を導き出してしまったけど、きっと製作陣の意図と違いますよね!?違う違うそうじゃない…!

まだ物語は中盤。4人の中にちらほら恋愛感情も混ざってきて、ここからどういう結末を迎えるかわからりません。このドラマからのメッセージは、最後まで見届けてから考えようと思います(もしあるとするならば)。

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