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「20thファイズ」が示すもの。〜仮面ライダー555 20th パラダイス・リゲインドを振り返る〜

〇はじめに

 皆様こんにちは、たろうです。今回は令和6年2月2日に劇場公開された『仮面ライダー555 20th パラダイス・リゲインド』について書いていきます。平成仮面ライダーシリーズ第4作目として2003年~2004年に放送され、今なお高い人気を誇る『仮面ライダー555』(以後、『ファイズ』)。20年越しにオリジナルキャスト&オリジナル脚本家が集結し、本編最終回後の物語を描く『パラダイス・リゲインド』(以後、『パラリゲ』)の発表は、各所に様々な意味で衝撃を与えました。

 今回は、筆者の独断と偏見で本編を振り返りつつ、『パラリゲ』の歴史的な位置づけについて筆者なりの所見を示していこうと思います。そんな感じで、本編どうぞ!(最初に言っておきますが、筆者的には『パラリゲ』めっちゃ面白かったです)



〇はじめるまえに

 園田真理(芳賀優里亜)は菊池啓太郎の甥・条太郎(浅川大治)、海堂直也(唐橋充)、そして、いつしか戻ってきた草加雅人(村上幸平)とともにクリーニング店「西洋洗濯舗 菊池クリーニング店」を経営しながらオルフェノクの庇護を行っていた。一方、政府により企業再生されたスマートブレイン社は、オルフェノクの殲滅を目指す企業へと変貌を遂げ、北崎(藤田玲)が社を率いていた。
ある日、追いつめられたオルフェノクを救うため、草加と海堂は仮面ライダーカイザとスネークオルフェノクとなり、殲滅隊隊長の胡桃玲菜(福田ルミカ)/仮面ライダーミューズと交戦。そこに現れたのは、数年前に真理たちの前から姿を消して以降、消息不明となっていた、あの乾巧(半田健人)だった。巧は、かつてとは異なる姿のファイズ・仮面ライダーネクストファイズへと変身し、スマートブレイン社の尖兵として、その力を使い始めた…!
ネクストファイズに攻撃されて混乱する真理たち。巧はなぜスマートブレインにいるのか?今まで何をしていたのか?
波乱を含んだ彼らの再会は、オルフェノクと人類をめぐる新たな物語のほんの序章に過ぎなかった。

https://www.toei-video.co.jp/55520th/

いつしか戻ってきた草加雅人とか社を率いていた北崎とかいう衝撃。
 ドンブラみたいに何も回収されなかったらそれはそれで面白いなとも思ってました(流石に)。


第一部 本編を振り返る

 「パラリゲ、ここがよかった!」的な視点を3つほど挙げて振り返っていきます。

〇新ライダー・仮面ライダーミューズの活躍


 これは…井上敏樹のヒロイン!!!!!!!!!!!!黒髪ロング所業ライン越えお嬢様という好きすぎる要素をこれでもかと詰め込んでくれた胡桃玲菜という新キャラにシンプルに感謝。ファイズ関係なしにこれは好き(好き)。

 「単なる同窓会映画にしたくない」と半田さんも各インタビューで述べていましたが、同窓会の枠を出るには「ゲストキャラの魅力」はかなり重要な要素といえます(同窓会そのものを否定する気は全くない)。そう考えると、このミューズ/玲菜というキャラの存在が、筆者の「パラリゲ」評価を決定づけたといっても過言ではない…。

 "変身を恥ずかしがる"ってだけでもう強烈な個性なのに、中盤に真理をオルフェノクに改造してからは「むしろ…燃えてます」と恥ずかしさを捨てる変化が起こるの面白い。オルフェノク化させたら巧さんの元カノ合法的に殺せますからね!そりゃ燃えますよ。玲菜さんは賢いなぁ(はいライン越え)
 改心した直後にメカ北崎に滅多裂きにされて絶命する流れも、因果応報に誠実すぎる「ファイズ」らしさが感じられてよかった。まともに死ねる訳ないんですよね

最初の15分を見た時点でもう「パラリゲ」来てよかったと思えた

「仮面ライダーミューズ」という新ライダーの魅力も見逃せない。「予測AI機能」という令和な戦闘スタイル自体は「ゼロワン」で馴染深いですが、これが平成の「ファイズ」単独の世界観で観られるというのだからあまりにも贅沢。"PREDICT AI"の音声と共に展開されるキングクリムゾンみたいな演出にはめちゃめちゃビビったし(敢えてBAD描写もやったの、パンフでもこだわりポイントとして触れられてた)、「BAD回避!」のコテコテな感じもたまらんですね…


 物語後半ではメカ北崎が変身。1本のベルトに対して複数の変身者がいるという「ファイズ」らしい展開も美味しいポイントか。20年経っても北崎がそういう枠なのもなんか面白いな…しかも馬鹿みたいに強いしこいつに一生アクセルフォーム効かないやん
 さりげなくミューズエッジ合体させてて玲菜ミューズと差別化図ってるの、配慮が細かくて上の上って感じである

〇大人になった登場人物たち

 本編最終回から20年後を描く今作。オリジナルキャスト陣も20年の月日を重ねており(真理役の芳賀優里亜さんは当時15歳、北崎役の藤田玲さんに至っては14歳…)、当時の雰囲気をどう表現するのかなと思っていたのですが、「20年経って精神的に落ち着いたキャラクター達」という目線で観てみると、これが凄く嵌る。思考とか行動は同じなんだけど、外側の立ち振る舞いとか言葉遣いが大人になっていて。「20年後の新作」じゃないとこの表現はできないよな…

 個人的に好きなのが、巧が真理の前から姿を消す回想のシーン。灰化が進み、自らの最期を悟った巧が「散歩に出る」と真理に告げると、真理は漠然と察して巧を引き留めようとする(「じゃあ私も行く。」)。これに対して巧は「散歩は一人で行くもんだ。」と受け流す。 当時だったら「ちょっとどこ行くの巧!」「うるせーな散歩だよ散歩!…」みたいな会話になってたのではなかろうか。現実と作中で20年が経過しているという背景を考えた時に、「大人になった巧と真理」の表現としてめちゃめちゃ面白いなと思ったし、決して元の巧と真理の雰囲気が失われているわけでもないため、この塩梅を表現できる半田さんと芳賀さんマジで凄いなって…

 メカ草加がちょいちょい巧を庇うような発言をしてたけど、これは「大人になって、ちょっと冷静かつ丸くなった草加」なのか、「メカバレの伏線として、ちょっと不自然な発言をする草加」なのか。オルフェノク庇護している時点で違和感しかないのは当然ではあるが、村上さんの演技プランが気になるところである…

〇"ネクスト"と"オリジナル"の対比

 今作にはファイズの新フォーム「ネクストファイズ」と、カイザの新フォーム「ネクストカイザ」が登場します。敢えて言い換えると「ファイズ型の新ライダー」と「カイザ型の新ライダー」な訳ですが、作中における新旧ベルトの役回りにも注目すべきポイントがあったように感じます。

おつまみ感覚で出てくるブラスター

 まずはファイズ。作中序盤では、スマートブレインの尖兵として現れた巧は「ネクストファイズ」に変身し真理たちに襲い掛かります。ワンタッチで出てくるファイズブラスターに、ファイズエッジ・ブラスターの二刀流エクシードチャージ、そしてゲーミング発光するファイズアクセル。冷静に考えて強すぎる。


その後、真理との関わりの中で生きる希望を取り戻した巧はネクストファイズの姿でミューズ(メカ北崎)に挑むも敗北。絶体絶命のピンチ…かと思われた矢先、巧の前に現れたのは菊池啓太郎の甥、条太郎。そして彼が巧に届けたのは…オリジナルのファイズギア!

「お前、分かってんじゃねえか!」
「俺はやっぱり、こっちで行くぜ!」

やはり、この一連の流れに「全て」が詰まっているように思えます。「Justiφ’s」をバックにミューズ、ネクストカイザ相手に無双するシーンは、当時の劇場作品「パラダイス・ロスト」で見せた、闇を切り裂き光を齎す救世主としてのファイズを幻視するほどに輝いていました(変身時はちゃんとパラロスでの変身シーンで使われたBGMがかかってたし)。個人的にはグランインパクトでゴルドスマッシュ相殺するところがめっちゃ好き。テクいファイズの戦闘たまらん~~!!


「ファイズ」本編では、一貫して"ファイズであること"が巧の精神的な軸として描かれてきました。啓太郎の「やっぱりファイズはたっくんじゃないと!」や、木場さんの「キミはもう一度、自信を持ってこのベルトを巻く時がくる」という本編の台詞が示すように、巧=ファイズは絶対なのです。だから、この一連のシーンによって「パラリゲ」という作品が

「ファイズでいられなくなってしまった巧が、再びファイズ=自分を取り戻す(リゲインドする)物語」であると分かるのです。

 最新鋭の「ネクストファイズ」は巧の摩耗した心を覆う鎧であり、メタ的にいってしまえば「仮面ライダー超デッドヒートドライブ」とか「仮面ライダー001」のような不完全・繋ぎの急造フォームみたいな位置づけだと解釈してみると、中々いい味が出てくるように思えます。
 ラストを真理や海堂らと食卓を囲む日常で締め括るのもまた、彼が自分の居場所を取り戻したことを示しているようで本当に良い…


 逆にカイザは、メカ草加がオリジナルのカイザフォンを握り潰す→カイザフォンXXに持ち替えて変身、という演出がなされています。
 これは「こいつ草加じゃないから!」というのをシンプルに表現するのみならず、「草加本人はもう死んでて≒生き切ってて、取り戻すべき未来がある人じゃないんだ」というのを暗に示しているように捉えることもできます。…ちょっと言い過ぎかもしれない。でも「ネクスト」の演出の違いが、巧という生者⇔草加という死者を対比しているってのはあるんじゃないかなって思います。

ブレイガンとショットが電子化されて腰回りがスッキリしている。スピンオフで披露されるらしい「カイザアクセル」もめっちゃ楽しみ

 あれこれと言いましたが、メカ草加=ネクストカイザに関してはとりあえずアウトサイダーズに来て1000%やレベルビリオンな方々と社長ライダー対決してください。

第二部 筆者所見

 劇場で初めて『パラリゲ』を見た時思ったのは、「20年前へのノスタルジー」的な要素があんまりなかったなぁということ。『ファイズ』が、巧と木場という運命に翻弄される2人の若者の生き様を描く中で、悩み、傷つき、迷いながらも‟夢“を信じることの美しさを肯定する物語であった以上、20年後の巧があの結末をどう感じて生きているのか…?みたいな部分に触れて欲しかったなとココロの片隅で思ったのは事実だったりします。

 しかしこう振り返ってみると、20年経って引きずってるのもアレかという話でした。皆もう大人になっているのですから、言葉に出さずとも割り切っている。少なくとも『パラリゲ』はそういう作品だったと思うし、そういう作品だったから面白かったのだと思います。

 それにメタ的な視点で考えてみると、そういうノスタルジー的な部分はこの20年間で十分描き切っているな、とも感じました。確かに設定や脚本は違うかもしれないけど、少なくとも巧を演じる半田健人さんはどの巧も巧として演じてくれている。当然、公式だって「偽物です」といって出してきているわけではない(※平成全般に広げると語弊を生むのが泣ける)。
 なにが言いたいかというと、いくら『パラリゲ』が時系列上の正統続編を謳ったとしても、『ファイズ』が終わってからの20年間に描かれてきた彼らの姿、言葉が嘘になるわけではないということ。それぞれの物語に繋がりがなかったとしても、それぞれで描かれた姿を私は肯定したい。『仮面ライダー4号』で巧がいった「今でも信じてる!意味無く死んだ奴は… いないってな・・・!」という言葉は、きっと『パラリゲ』の巧の中にも生きていると思うのです。故に、ひとえに乾巧が「取り戻す」物語を描いた『パラリゲ』は、20周年記念作品として完璧なものだったんじゃない!?というのが筆者の所見です。

 あれほど死や儚さと隣り合わせだった『ファイズ』の物語が、20年目にして「この先」を描く土壌を敷いて締め括られるというのは、本当に凄いことだよなぁと思います。『ファイズ』本編のラスト…巧の死は明確に描かれないけど、エンドロールが終わるころには穏やかに最期を迎えているのかな…みたいな、いろんな解釈ができるあの終わり―――穏やかな閉そく感で満ちていくような―――も凄い好きだったのですが、この20年間で色々なファイズ≒乾巧を見てきたこともあり、『パラリゲ』のラストがこれを塗りつぶしてしまったいう感覚はあんまりなく、「これはこれで良いものだな」と割り切って受け入れられました。生命線が…伸びてる(Identiφ’sイントロ)

〇おわりに

 いかがでしたか?マジで筆者所見でしかないので、読み苦しい部分はガンガン読み飛ばして下さい。そんな読者の方々に最後にいうことがあるとすれば、筆者はファイズが大好きだ!ということでしょうか。父さんの携帯電話で変身の真似をして遊んだり、DXファイズドライバーを買ってもらえなくて雑誌のペーパークラフトを必死に組み立てたりした20年前の自分から、それだけはずっと変わっていないなぁと書きながら改めて思いました。
 それが良いことなのか否か…答えはない。今に生き、その中で問い続けるしかないのでしょう。誤魔化してる?







~Open your eyes for the next note~

(海堂のギター)


「ミリオンライブ10thライブツアーAct4」

「ゴスロリが来るぞ伏せろ!」


「あっ格ゲーのテーマ曲じゃん」

「これが39人で作るステージ…」

「おい知ってるか。
"それぞれの夢、ぎゅっとつなげば大丈夫。一人じゃない"…らしいぜ」


-tarou-

 


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