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pre「peace pact」 #1

始まりは、いつも突然です。

1995年に発売されたスパイラル・ライフ「FLOURISH」のジャケットデザインを見た、pre-schoolのディレクターから電話連絡があったのが1996年の晩夏だったのかなぁ、、、


電話越しの声が「あのさ、今度メジャーデビューするバンドのさ、ジャケのデザイン頼みたいんだけどさ、とりあえず会える?」みたいな、かなり上からの態度で気分が悪かったのは鮮明に覚えてるんですよね。電話切った後、隣に座ってた相方に「今、めちゃくちゃ感じ悪いヤツにデザイン頼まれたんだけどさ、どうしようかな〜」ってコボしたのを今でも覚えてるくらい、感じの悪さは歴代ナンバー1だと思う。


それでも、とりあえず会うことになり実際に会ってみたら電話の印象とは全然違う、凄く感じの良い人で、、、、、、

なんてことはなく、電話の時のまんま態度デカいというか、不遜というか、それまでのボクが会ってきたディレクターの人たちとは違う「ザ・業界人」みたいな、安っぽいドラマに出てくるような「ザ・ディレクター」の態度をする人でした。
とにかく一方的に「あのジャケ良かったよ~」「この仕事やって、どれくらいなの?」「他にどんなジャケやってんの?」と、のべつ幕なしに話してきて本当にイヤな感じでした。
のちにそのディレクターのことを深く知っていくと分かるんですけども、結局、そのディレクターはどんなに偉い重鎮だろうが、どんなに無名の若手だろうが分け隔てなく、良く言えば「裏表のないフラット」な、悪く言えば「無礼講」な接し方をする真っ直ぐな人だっただけのこと。
相手の立場や状況で顔色窺って、その時その時でカメレオンみたいにコロコロ変わる人よりも、ウソのないこのディレクターのが(若干、怪しい部分もあったけど)よっぽど心底信用できる人でした。

話の内容としては「『pre-school』ってバンドが来年メジャーデビューすることが決まってるんだけど、その前にインディーズ時代に出したアルバムのジャケがダサいから、まずそれを新装したい」ということだった。

ちょうど世界的にブリットポップが流行っていて「ブラーVSオアシス戦争」なんていう、マスコミが作り上げた話題で盛り上がっていた頃だったんだろうなぁ。そのディレクターも「日本の『ブラー』みたいにしたいんだよね」と、臆面もなく言い放った。
当時、ボクはソニックユースやニルヴァーナ以降のグランジロック、ペイブメントやフォークインプロージョンみたいなローファイ、ビースティーにベック、ジョンスペ、G・ラブなどなど他のジャンルに夢中でブリットポップは「過去の音楽」になってて、もうすっかり飽きていた時期だった。そんな時に「ブラーみたいに、って、、、え?う~~~~ん、、、」というのが率直な感想だったなぁ(そのタイミングだったのか手元に資料が残ってないから不確実なんだけども、「ロッキンオンジャパン」の「ニューカマー」的な記事の見出しにもデカデカと「和製ブラー!」とかなんとか書かれてた記憶がある。おそらく鹿野くんが書いたんだろうけども、、、)。

そんな感情を抱きながらも、とりあえず引き受けたジャケットが「POP-CULT DO-DO」の再発盤だった。

何か絶対的な元ネタが存在していたわけじゃく、その当時のボクが「ブラー的」だと思えるシチュエーションやモチーフでディレクションし、デザインしたのがこのジャケットですね。


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1996年当時、もちろんすでにMac(ソフトはAdobeイラストレーター)を使ってのデザイン作業はしてたけど、今のように「完全デジタルデータ」状態じゃなかった。それはソフトの性能面だけじゃなくて、ボク自身の技術的未熟さもあって「3割デジタル/7割アナログ」という作業スタイルだった。
2021年の現在でも、下拵えとしてアナログ作業で作って準備したりすることはあるけど、最終的には全てモニタ上、デジタルデータとして仕上げるのが当たり前になってる。そうしないと、そもそも印刷所に受け取ってもらえない時代になってるからね。
で、このジャケデザイン作業も他のデザイン案件と同様に、技術的レベルの問題で「3割デジタル/7割アナログ」というわけではなく、デザインの方向性として「1割デジタル/9割アナログ」にした。

今はタイポグラフィー含め、ほとんどの作業はフォトショップで加工、仕上げをやっているんだけども、この頃のボクはフォトショップに関して知識的にも技術的にもレベルが3歳児並みだったから、こうやって見直してみると「ここ、もっとちゃんと見やすくできるのに、、、」とか反省点だらけなのはご愛嬌、ということでご勘弁願いたい。

写真はもちろんフィルムでの撮影。
印画紙にプリントしてもらった「紙焼き」を受け取って、その印画紙に直接「落書き」を施す、というディレクション(といっても、自分で決めて自分で描くだけ)のもと、一発勝負で描いていった。一応、「万が一のために、、、」ということで、カメラマンに3枚ほどプリントしてもらったけど、「落書き」という偶然性を活かしたかったから、とにかく思いつくまま描いて、NGというのは無しにするつもりだったから結局は1枚だけで済んだ。

このジャケットで実際に使った「落書きされた紙焼き」がどこかに保管されてるはずなので、この原稿を書くに当たって目ぼしいファイルや箱を探してみたんだけど、どうしても見つからなかった、、、

ブックレットの中身に関してもメンバー直筆の歌詞をコピーしたり、コラージュしたり、あれやこれやの色んなアナログ手法で仕上げていった。今、見返してみると決して「ブラー的」なデザインじゃないんだけど、かなりの熱量が込められている。初めに「え?今、ブラーなの?」と思った「あんまり乗り気しないなぁ」という感情とは別に「やるからには徹底的に」という自分の気持ちが込められてるのは、四半世紀の時間が経った今でも伝わるのが自分としても嬉しい、というか誇らしい。ま、自画自賛です。


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バックカバーのデザイン(というか、写真で切り取ったモチーフ)は、ディレクターが「ダサい」と言ったインディーズ版のジャケットデザインに描かれていた、絶滅種の鳥“DoDo”を連想させる「鳥の丸焼き」。
確か、この「鳥の丸焼き」は肉屋さんで仕入れた、丸ごと一羽の鶏をメンバーの所属事務所スタッフが一晩かけて焼いてくれたものだった記憶が、、、


こうして、ボクとpre-schoolの「ロング・アンド・ワインディングロード」は始まったんですね。

そういえば、この「DO-DO」再発盤に併せて渋谷のタワレコで500本だか限定のカセットテープも販売しなかったっけか?ミントグリーンのパッケージデザインにしたはず。VHSも出さなかったっけか?「pre-prime TV」とか何とか、、、そっちはピンクのパッケージで、、、、あれ、どこ行っちゃったんだろ?


そして「DO-DO」再発から半年後の1997年、シングル「Spunky Josh」で彼らはメジャーデビューしました。その2ヶ月前にボクは今のTLGFことリンカーン・グラフィックス・ファミリーを法人として設立したばかりだったから、ある意味ボクもメジャーデビューしたばかり。なのでボクのデザイナー史でいうと、4年半続いた友達とのデザインユニット「smart Al’eck」名義としての最後の作品が「POP-CULT DO-DO」になったのでした。



デビューシングル「Spunky Josh」のジャケットも、当然ディレクターから「ブラーっぽく」という要請があったから、「じゃあ、もうそのまんまブラーのパクリでいいでしょ!?」と開き直って(ボクの中では、そういう気持ち)、ブラーのファーストアルバム「レジャー」の裏ジャケをモチーフにしたわけです。

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ちなみに、このジャケットに採用した写真は撮影が始まってすぐ、メンバー後ろの牛が「いざこざ」を始めた瞬間で、エコちゃんが右手を隣のタカちゃんの膝に不安そうに置いてるのがリアルに驚いている証拠ですね。ちなみにカップリングの「ウロトアゼ」はバンド史上2曲しかない「日本語歌詞」のうちの1曲(残り1曲はファーストアルバム「peace pact」に収録の「僕が生まれた日の讃歌」。ボクの中では勝手にJD・サリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」のイメージソング)です。

先ほど、『「POP-CULT DO-DO」で実際に使った紙焼きを探したけど見つからなかった』と書いたんですけど、実はそれを探してたら、もっとすごい発見がありました。

「Spunky Josh」のラフデザインがボツ案と共にカラーコピー出力の状態で出てきたんです。本邦初公開!ってほどの価値はないけど、とりあえず世の中にお披露目するのが初めてなのは間違いないです。

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ラフ提出時のカラーコピー出力なので画質悪いですね。左がボツ案。でも、このボツ案は採用案(右)の表4にリサイクルされたので成仏できました。よく見ると、ラフの時点では採用案(右)の右下に「PS」マークが入ってません。

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リリースされたジャケの表4です。ラフとの色味の違いはプリントされた写真を使ってるからだけではなく、ボツになったラフは本番前のポラ(ロイド)撮影したモノをそのまま使ってるから色が浅いんです。


ついで、と言ったらなんですけども、、、、
「Spunky Josh」のプロモーションCDも、この際だから初披露しますね。

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ジャケット撮影時のモデルの女の子が着ていた「特製“SPUNKY JOSH”Tシャツ(海外の体操クラスの時に着るTシャツをイメージして作りました)」のデザインを使ってます。「pre-prime TV」のパッケージといい、どうやら、この時のボクは「ピンク」がブームだったみたいです。


そしてバンドは「Spunky Josh」発売から3ヶ月後にはセカンドシングル「MANHOOD-MAN」を出します。
前作「Spunky Josh」のポップさに変わって高速のカッティングギターが前面に出た、以降の彼らのライブでのモッシュ定番曲になります。(バクちゃんが歌い終わった後にマイクを捨てて客席にダイブしたラストライブは本当にイカしてた)
このシングルはタワレコ限定と一般発売でジャケットが2種類ありましたが、残念ながらボクの手元にタワレコ限定のジャケットが見当たりません。代わりにこちらもプロモーションCDと並べてお見せします。


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左がプロモーションCDですが、タワレコ限定ジャケをアレンジしたデザインになってます。右が一般発売のデザイン。


この時すでに「ブラーっぽさ」というデザインの方向性は影を潜めて、これ以降バンドのイメージを形作っていく「謎ジャケ」になっています。
メンバーに確かめたことがないので、あくまでもボクの推測ですが、そもそもメンバー自身も「ブラーっぽい」という「売り文句」はインディーズ時代にやり切ったと思ってたんじゃないですかね?

ここからpre-schoolのCDジャケットはボクのグラフィックデザイナーとしての「リトマス試験紙」(ジャケデザインにおいて「やれることの限界値」を測る立場)となるんですが、その第一歩がこれでした。



色んな資料探したり記憶を遡ってたら、本題だった「peace pact」のデザイン逸話に辿り着く前にチカラ尽きました、、、、


と、いうわけで「peace pact」に関するあれこれは次回書かせてもらいます。



次回もお付き合いください。よろしくお願いします。

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