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天才、奇才、凡才。

昨日の東京新聞朝刊の記事を見て、最初に浮かんだ言葉がタイトルにつけた「天才、奇才、凡才」。

いつのインタビューだったか忘れてしまったけど、ずいぶん前に高橋幸宏氏が「天才(坂本龍一氏)と奇才(細野晴臣氏)に挟まれて、凡才の僕はただただ必死について行くだけで精一杯だった」みたいな趣旨の答えをしていた記憶がある。


その天才、坂本龍一氏はアカデミー賞やグラミー賞など華々しい賞を数多く受賞する世界的なミュージシャンとして有名だけど、今回は映画界における貢献での川喜多賞受賞のニュース。

一方、奇才の細野晴臣氏は最近では星野源を始めとする多くの若手ミュージシャンたちから「リスペクトしてます!」の嵐で再評価の空気が過剰なほど高まってて、でも、もちろんそのリスペクトの嵐に値するだけの奇才だと思ってる。その細野氏の類い稀な音楽活動をまとめたドキュメンタリー映画「サヨナラ アメリカ」公開中というニュース。

この二つの記事が並んで新聞に掲載されてることは、リアルタイムでYMOに出会い、その後の人生にも大きな影響を受けたボク(ら)世代には嬉しいニュースなのは間違いないんですよ。

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でもね。

自らを「凡才」というユキヒロ(ファンは、こう呼ぶ)は、実はYMOの一番のヒット曲「ライディーン」の作曲者だったりするし、YMOおよびテクノファンの間では名盤との声が高い「テクノデリック」の、その中でも代表的な曲「ジャム」(A-1)もユキヒロの曲だったりするし、そこはかとなく隠れた実力者だってことも間違いないんだよね。

オシャレさんとしても名高いユキヒロはYMOの代名詞ともなっている、あのコスチューム(人民服)もデザインしてて、自身のブランドである「BRICKS(のちにBRICKS  MONO)」名義で出してる。

ボクも上京してすぐの1987年、当時キラー通り沿いにあった、とびきりお洒落な「BRICKS MONO」のショップに友達と行ったこともある。

ちなみにボクが桑沢の学生時代に組んでいたバンドのドラマー、守矢努くん(ILA STENCIL SERVICE)もユキヒロの影響でドラムを始めたくらいの大ファンだ。

「ボクは凡才だから」という発言は自虐と謙遜も込めたものなんだろうけど、半分は「凡才」を自認してたんだろうな、とも思う。その自覚的な想いこそが、きっと心の奥深くでユキヒロ自身を支えてたんだろうし、、、


YMO散開後のユキヒロはソロも含めて色んなスタイルで音楽活動してて、中でもボクの好きなアルバムが二枚ある。

一枚はソロとしてのセカンドアルバム「音楽殺人/MURDERED BY THE MUSIC」(1980)。

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ジャケットのシャープでグラフィカルなデザインはユキヒロのソロ作品で一番好きなデザイン。

ずっとずっと後に桑沢時代の友人である藤川浩一が、まさかユキヒロのジャケデザインをするようになるとは!でも、藤川には悪いけど、やっぱりユキヒロのソロ作品では、このジャケが一番好き。

このアルバムの収録曲「KID NAP, THE DREAMER」と「I-KASU!」は先述した桑沢時代のバンドで、守矢くんの強い要望でコピーしたこともある。


そして、もう一枚がムーンライダースの鈴木慶一氏と組んでいるユニット「THE BEATNIKS」のセカンドアルバム「EXITENTIALIST A GO GO/ビートで行こう」(1987年)。

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34年前ってことは、、、ユキヒロ35歳。今のボクより18歳も若い!

リリース当時19歳だったボクは、その洒落たサウンドも、大人の男の切ない心情を謳った歌詞も理解できていなかったけど、一生懸命背伸びして分かったフリをしてたと思う。でも、このアルバムは何回も何回も聴いていたくらい好きだったのも事実。

中でもB-1の「ちょっとツラインダ」とB-3の「大切な言葉は一つ『まだ君が好き』」は、この年齢になってホントにその意味が分かってきた。


こんな時 昔の恋人に会えたら うれしい気分になれるかな
こんな時 昔の友達に会えたら たのしい気分になれるかな

「ちょっとツラインダ」(作詞:鈴木慶一)


隣の部屋の夫婦はぼくがこんな気持ちでいるのに
先週と同じように傷つけあっててうるさい
夜になるとぼくはまた空缶を窓の外に投げる
今まで一度も傷ついたことのない奴は信じられない

「大切な言葉は一つ『まだ君が好き』」(作詞:鈴木慶一)




教授と細野さんの記事が二つ並んでいることで最初に書いたユキヒロの発言をふと思い出したのは、おこがましいけど実はボクもユキヒロの気持ちが少し分かる気がするから。

さっきも書いたように桑沢時代の友達がユキヒロのジャケデザインをやったり、同じバンドのドラマーだった友達がステンシルペインティングの第一人者となりつつあったり、他にも同年代の凄い才能を持つデザイナーたちに囲まれているボクはずっと「凡才」を感じさせられてきた。

そのことを自覚的に抱え込む勇気と覚悟を、見て見ぬフリで背伸びを続けてきたけど、この年齢にもなると見て見ぬフリもまた疲れる。


そんなタイミングでこの新聞記事を見つけたのと、小春日和の秋の日にピッタリなユキヒロの声が聴きたくなったのが重なって、かなり久しぶりにターンテーブルを回してみた。


「秋の日は釣瓶落とし」のように自分の心も急速に変化していく年齢になったんだろうなぁ。


ちょっとツライけど、それもまたちょっとイイかもな。

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