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pre「peace pact」#2

第一章から続く。


発表の場や発信する人種がこれだけ多種多様に変化してきた2021年の今でも概ねそのスタイルが未だに踏襲されているというのがどうにも摩訶不思議というか、、、

最先端で、流行の発信元であった「音楽」というカルチャーが他のツールやメディアに追いやられて衰退していくのも至極当然だなと思える旧態依然なリリース形態や販促システムを続けているニッポンの音楽界なんですけども、四半世紀近く前の1997年当時はそれが当たり前で、ブレイクまでの方程式だった「ファーストアルバム発売までにマキシシングル3枚リリース」というホップ/ステップ/ジャンプ方式。
彼らプリ・スクールもその方程式に則って「Spunky Josh」「MANHOOD-MAN」「A SAD SONG」とリリースを重ね、翌1998年についにメジャーファーストアルバム「peace pact」を発売することになります。

アルバムに収録する楽曲はインディーズ時代からの曲も多く、上記シングル3曲も当然含まれますからアルバム発売決定時にはボクの手元にほとんどの音源が(当時は全部カセットテープで)届いていた記憶があります。
それを聴きながらアルバムジャケットのデザイン構想を練ったりしたと思うんですけども、話は少し前に遡る必要があります。


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「peace pact」案件の2年前、1995年に某音楽系撮影のため、毎年パリで6月21日に開かれる「Fête de la Musique(音楽の日)」に合わせて渡仏しました。パリでは映像チームがムービー撮影、ボクがスチール撮影を担当。現地でダンサー兼モデルの女性と就学前(まさにプリ・スクール!)の女の子を起用して、パリのあちこちで開かれている路上演奏会に乗じて、演奏シーンのロケをしたり、地下室にマネキンを積み上げて半裸のダンサーが踊ったり、と短編映画的な作品を撮りましたが結局これはお蔵入り(今観てもかなりエキセントリックで問題作だと思う仕上がり)。
そのパリロケの時に撮った多くのオン/オフ写真をメインに使い、他にもそれまでに日常生活で撮り溜めいていた写真も使ってカラーコピーで個人的に写真集を作り始めたのがTLGFを設立して間もない1997年夏。そうです。ちょうどプリ・スクールがメジャーデビューした頃です。

その写真集の表紙がこれです。

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蛍光オレンジの紙にモノクロコピーしたモノを「何かの束見本(A4サイズ)」に糊付けしただけ。両端のミントグリーンは補強のために貼ったクラフトテープです。


少しだけ中身もお見せします。


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多分これ、NIRVANA「INCESTICIDE」のブルーマーブルヴァイナルですね。


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左ページの女性がパリで起用したダンサー兼モデル。エキゾチックなダンスがめちゃ上手かったです。


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左ページの牛は「Spunky Josh」ジャケット撮影時に撮ったポラロイド。右ページがパリで撮影した就学前の女の子。


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これを作り始めた理由は、当時世間の「ヒロミックス」ブームに乗っかったのか対抗したのか?自分でも覚えてないんですけども、生来の「天邪鬼気質」から考えるに「んな、誰にでも撮れるような写真をただ並べただけで『写真集』を名乗るな」と鼻息荒かったんだろうな、と想像は出来ます。でも、このボクの写真集は途中までしか作られてなくて「未完成」のままなんですよ。途中で「あれ?思ってたほど簡単じゃないぞ?」と“ヒロミックスの凄さ”(のちにヒロミックスと一緒に仕事をさせてもらうんですけども、やっぱり「写真」に向かう気持ちの深さや独特の視点、軽やかさには敬服しっ放しになりました)に気づいたのと、写真集にするためにはそこに掲載するカットの裏に膨大な数の「死にショット」が必要だと分かってスピードが鈍ったんでしょうね。


こうやって、この写真集はこれといって打開の目処もつかないまま、なんとなく進んだり立ち止まったりを繰り返しながら少しづつ成長していくのを見守ろうと思っていました。

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パリでの撮影から2年後、制作開始から半年後、「peace pact」において、この写真集が目覚めることになります。

ディレクターとのジャケット打ち合わせ(そういう打ち合わせにメンバーが立ち会ったのって、、、あんまり記憶にないです)で、「peace pact」というアルバムタイトルを聞かされたボクが「じゃあ、『条約』というからには、本みたいな形態にしたらどうだろうか?」と切り出したんだったけかな、、、話の流れで、この写真集をディレクターに見せたところ「コレだ、コレ!コレにしてよ」と即決。


あっという間にジャケット表1のデザインは決まってしまった。

ご存知、これですね。

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こうやって、元ネタと並べてみると「そのまんま」ということがよく分かると思います。

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ちなみに、音楽雑誌などでジャケット写真を紹介されるとき、こういう向きで紹介されてましたが、

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デザイナー的には、この置き方は間違いです。正しくは文字が右側にくる置き方が正解です。24年ぶりに訂正できて、スッキリしました。


で、次の2枚の写真を見比べてください。


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違いは「文字の欠けの有無」です。
上のバージョンは、いわゆる「初校」と呼ばれるテスト印刷第一号。こんなのよく保管してたな、と自分でも思うんですけど、最近自宅の本棚を整理してたら、たまたま下のバージョン(端っこが猫に齧られてボロボロ)と一緒に出てきました。中を見たら何も印刷されていない真っ白の状態で、表紙だけ印刷されている「束見本」でした。
当初、ボクは「元ネタまんま」というのがイヤで、あの写真集のように「文字に欠けがある」加工はせず、フォントそのままを使ってデザインしましたが、この「初校」を見たディレクターから「やっぱり、あの表紙まんまがいいから、文字を欠けさせてくれ」と要望があったので、渋々ながら文字を欠けさせました。このジャケットが世の中に出て、それ以来20年以上見てきたので、「欠けている」ことに慣れただけで、結局、それが正解だったのか不正解だったのか、それは今も分かりません。そもそも「絶対値」としての正解なんてない世界ですから、どっちでもいいんですけど、このジャケットを愛してくれているファンや、このジャケット(を含めたブックレット全体のデザイン)を評価してくれている人たちも居る、ということが答えだと思ってます。それは本当にデザイナー冥利に尽きる、の一言ですね。


このジャケットの逸話はこれだけじゃなくてですね。
下の写真を見てください。


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上段は80ページブックレット仕様の初回限定盤。未だにプリ・スクールの呪縛(魅力)に囚われている人たちのほとんどが、この初回限定盤を持っていると思うんですが、下段の2枚を見たことはありますか?

どちらも通常盤なんですが、特に左側の蛍光グリーンのジャケットを持ってる人がいたら、それはかなり特殊なタイミングで「peace pact」に出会った人です。
初回限定盤はリリースのタイミングで生産数の全てが出荷/販売されることが予約段階で見えていたので、当然ながらすぐに通常盤が必要となります。なので、初回盤のオレンジとほとんど同時に印刷、出荷、販売されることになったのが左の「グリーン通常盤」です。これも初回盤のオレンジ同様、蛍光インクを使った特殊(高価)な印刷を施しているので、「通常盤」として半永久的に生産するにはコストがかかり過ぎることが印刷を始めてから判明。しかし、すでに相当数は印刷されていたために生産中止にするのも無理。ということで、初回盤(オレンジ)と同時に店頭に並んだのですが、予約してなくて初回盤を買えなかった、ほんのちょっとの遅れで初回盤を買い損ねた、という人たちが買ったと思われます。店頭に並んでいた時期も、かなり短かったんじゃないでしょうかね。
もしかしたら、その時の後悔をずっと引きずったまま人生を過ごした人がいるかもしれませんが、四半世紀近く経った今、その後悔をひっくり返すような朗報をお届けします。

オレンジ盤は初回限定で3万枚出荷されましたが、このグリーン盤はその半分以下にも満たない数しか出荷されませんでしたから、実は「peace pact」では一番貴重なバージョンになります。もし手元にこのグリーン盤をお持ちの人がいたら、ヤフオク!などには出さず、後生大事にしてください。ボクも、この写真に写っている開封モノと未開封モノ、2枚大切に保管しています。


下段右が本当の通常盤で「ピーチ通常盤」です。もしも初回盤オレンジ、通常盤のグリーンとピーチ、全てのバージョンをお持ちの人が居たらブックレットの最後、書籍でいうところの「奥付」に当たるページをご覧ください。全てのバージョン毎でちゃんと表記が違っていますからね。


ブックレットの中身については、、、、




次回書かせてもらうことにします。

もうしばらく、お付き合いください。よろしくお願いします。

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