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心にリトル若林を住まわせるINFJ大学生の独り言

おはようございます、Nariです。

高校生の頃、倫理の先生と放課後に談笑をしていた時、「◯◯さんって心の中にリトル若林を住まわせているよね」と言われたことがあります。

注1: この「若林」は、オードリー若林さんのことです。呼び捨てにしてすみません。リトルトゥースの皆様に先に謝っておきます・・自分が若様に似てる!と言いたいわけではありません、、ご了承下さい、、!

注2: 私は、基本的に先生と仲良くなるタイプではありません。私にとって先生は全員敵でした。そのため、この時も先生と仲のいい友達の付き添いで談笑していました。

倫理の先生に突然そう言われた時、私はどのように返事をしたらいいか戸惑ってしまい、なんとなく流してしまった記憶があります。というのも、当時はオードリー若林さんを「おもしろい実力派芸人の1人」としか捉えておらず、若林さんの本を読んだこともなかったからです。


先日、若林さんが書いた『表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬』を読みました。彼は、本の中で新自由主義のことを批判していました。自分の心が受け付けない全てのことは、天が与えたものではなく、政治体制によるものだった、と語っていました。


「たくさん勉強し、優秀な大学に入って、大企業に勤め、そこで一生懸命働いて、たくさんのお金を稼いで、幸せになろう!!」

ニューヨークの街は、このような言葉を若林さんにかけました。

でも若林さんは、この言葉に救われなかった。そして同様、私もこの考え方には賛同できません。聞くだけで心がゾワゾワしてしまいます。

この言葉を聞いて、はじめにつっかかる点は、前提として、みんなが同じスタートラインに立っているわけではないということです。たくさん勉強する前に、生きることに精一杯の子がたくさんいます。金銭的に大学に入れない子だってたくさんいます。スタートラインが違うのに、一律に同じゴールを目指して競争だなんて、残酷です。

私は、中学受験をし、私立の中高一貫校に通っていました。私が受かった学校は、ものすごいお嬢様学校だったので、私の周りにはびっくりするようなお金持ちの子がたくさんいました。そして、私はこの6年間で、卑屈さを学びました。

6年間、楽しかった記憶はほとんどありません。厳しすぎる校則は、私に檻の中にいることを想像させました。「とにかく早く抜け出したい」というのが私の気持ちでした。

だから高1から高3までの3年間は、死ぬ気で勉強をしました。そしてなんとか指定校推薦の切符を手にし、今の大学に入学しました。(指定校推薦のために死ぬ気で勉強、なんてあまり聞かないかもしれませんが、私にとって指定校推薦で大学に行くことは、これ以上親にお金を払わせずにいい大学に合格する唯一の方法だったのです)

そんな中、私のいちばん仲良かった子は、途中で学校を退学し、アメリカの高校へ転校しました。親の転勤とかではなく、海外に留学に行ったら楽しかったから、という理由で。

他にもたくさんの子が留学に行き、前髪を伸ばして、日に焼けて帰ってきました。そして、その留学経験を武器に、公募推薦などで私よりはるかに優秀な大学への入学切符をサラリと手に入れていきました。

ある子は、親のお金でアフリカへボランティアに行き、そのことを意気揚々と面接で語ったそうです。

思春期にそういう光景ばかりを見て育った私は、元々の性格も相まって、どんどん卑屈になりました。貧富の差や格差社会に嫌気がさし、それらをグロテスクだと心の中で批判するようになりました。

だから、若林さんが新自由主義とは違う政治体制の国に行きたい!という理由で、ひとりでキューバに行ったことに、大きな希望を抱きました。しかし、結果としては、キューバにはキューバの格差社会があったので、私の希望は即、空気が抜かれてしまいましたが・・・

いずれにせよ、私もいつか(というか近いうちに)他の政治体制の国を自分の目で見に行ってみたいと思いました。今までは、海外への興味はもっぱら建築や絵画などのアートによっていたので、この本を読んだことで、行ってみたい国が増えたように感じます。

蒸し返すようですが、でもそもそも、仮にこの社会に貧富の差がなくなり、みんなが同じスタートラインに立てるようになったとしても、ニューヨーク(と東京)の街がかけてくるあの言葉が正当化されるのはおかしいとおもっています。

私の目指す社会は、「勝ち組」「負け組」という言葉が存在しない社会。みんながそれぞれのしあわせの形を見つけて、平和に生きることのできる社会。しあわせの答えが一つに絞られない世界です。

こんな壮大なことに頭を悩ませる前にさっさと就活をしろという声も聞こえてきそうですが・・・今の私は切実にこのことを願っています。 


追記

本の中に、「僕は考え続けてしまう。問題なく走り続けられる車のボンネットの中を誰も見ようとはしない。その車がうまく走り続けられないから、ボンネットの中を見ようとするんだ。僕は、うまく走り続けられない車だから、ボンネットの中を見なくちゃいけない、自己分析して考え続けなくてはいけない。」というようなことが書いてありました。

この文章を読んだとき、涙が止まりませんでした。

そうです。

ずっとみんなと同じように走ることができなかった。何かがおかしいと思っていた。


そしたらある日、自分の車の構造が気になった。自分の車の構造に問題があるのではないかと思った。

そして、ボンネットの中を覗いて考える日々が始まった。

今の私は、まさに、自分のボンネットの中を見ることに夢中で、なかなかアクセルを踏めない、その前に自分の車の中に乗り込むことすらできていない状態です。

いつか、きちんと自分の車の構造を理解して、車に乗り込み、自分のペースで気持ちよく走れたらいいなと思います。

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