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消極的な死への憧れ

お盆のせいだろうか?

自然食品スーパーで
買い物かごを押しながら
突然「死」について考えはじめた。

長野県は女神山での
「魂とつながる歌の唄い方」
スペシャルリトリートを終えて
東京に戻り

空っぽの冷蔵庫を満たすために
出かけたその場所で、

「どうせいつかはなくなる命、
それが早く来るのを恐れるのは
なぜだろう?」

「いつか老いては、身体が
動かなくなる日が来るのは
誰もが一緒なのに

それがはやまるのを
恐れるのはなぜだろうか?」

そんなことを
考えはじめたのだ。

小松菜、厚揚げ、オーガニック卵
ブロッコリ、オクラ、
白菜の漬物、

豚肉、ちりめんじゃこ。

いつもの買い物。

それらをカゴに放り込み
意味なくサプリや化粧品などを
眺めながらそれはやがてそれは

「どうせいつか終わる命なら
さっさと終わりにしたい」

と言うような

消極的だが「命を終わらせること」を
歓迎するような気分へと
変わって行った。

積極的に

「死にたい」

というのとは全く違う。

まるで死へ憧れるかのような。

そこに私が見ているのは
何なのだろう?

今、私は仕事も私生活も
とってもいい感じなだけでなく
沢山の情熱を感じている。

家族にも友人にも仲間にも
クライアントさんたちにも
本当に恵まれては

自分の創造性を
これまでにないくらい
活かせる機会が増えており、

これからまだまだ
やりたいことだらけ!

それなのにたとえ消極的
とは言え

この命を
終わらせたいなんて!

死への憧れは
やすらぎへの憧れ、

胎内回帰や
悟りへの憧れにも
通じていると

以前から思っていたが、
今こんな風に感じると言うのは

合宿の疲れが
知らないうちに
出ているのかも知れない。

そんなことを考えながら

レジでお金を払い
買い物袋を忘れては
茶色の紙袋に入れられた
荷物を下げては

すぐにタクシーを拾わずに
お盆で人の少ない東京の夜の街を歩きながら
さらに考えた。

「私は何を恐れているのだろう?」

ふとそんな問いが
現れるとともに

自分が恐れているのは
生きることの苦しみを
味わう可能性だと言うことに

気づいた。

それはやって来るかも
知れない

病や怪我や痛み、
と言った物理的なことが
主のようだった。

それから三十代前半で
二人の子供と最愛の夫を残して
乳がんで亡くなった

大好きな叔母のことを
思い出していた。

その叔母は一年ほどだが
母が肺結核で
入院隔離されていた時に

母代わりとなってくれた人で
彼女は私に自分を

「ママ」

と呼ばせていた。

それほど可愛がって
くれていたのだ。

叔母は本当に綺麗な人で
芸能界デビューの話があったり
したのだが

愛する人との結婚を
選ぼうとした矢先に
吐血しては

肺結核だと言うことが
わかった。

結核はすでにかなり
進行しており
手術が必要だった。

彼女の背中には
50センチほど弓なりの
その時の手術の傷跡が
生々しく残っていた。

叔母の結婚は流れた。

婚約者だった資産家の息子は
親の反対に抗えなかったのだと言う。

叔母が退院して
少しして今度は
母が結核に感染していることが
わかった。

その後退院してきた母は
退院と同時に父の元を離れ

祖父からの遺産で
その叔母と二人で水商売を始めては
成功を収めることになる。

私と弟はおばあちゃんとお手伝いさんが
面倒を見てくれていた。

母と叔母は
本当に仲が良かった。

二人で仕事をしていると
嫌なことがあるときでも
楽しかったのだと言う。

店を始めて数年で叔母は
新しい恋人を見つけて
結婚をした。

地方の名士で
とてもハンサムな男性で
叔母に首ったけだった。

男女二人の子供をもうけ
幸せの絶頂にいた時に
叔母は乳腺炎と診断され
手術を受けた。

が、後にそれが誤診で
実は癌だったことがわかる。

それがわかった時には
すでにそれはあちこちに
転移していた。

当時癌というのは
「不治の病」とされ
本当に恐ろしい病気だった。

癌であることも
死期のことも

告知されることは
まだない時代であり
叔母は

「いつかは退院できる」

と信じながら
少しづつ小さくなって行った。

癌の痛みの中で。

私や弟たちは
病が進行するとともに
お見舞いに同行することを
許されなくった。

私は9歳だった。

死にゆく病人の姿を
子供に見せてはいけない、

という明治生まれの祖母の考えが
採用されていたのだ。

だから叔母の死は
私にとって突然に感じられた。

いつかは戻って来ると
信じていた叔母が
ある日帰らぬ人となった。

私が仏教の本を読み始め
般若心経を暗記しては唱え始めたのは
それがきっかけだったということを
今思い出した。

こうして書きながら
私の恐れの一部は

この叔母の持っていたものを
子供ながらに取りれて
しまった故かも知れないと
考えている。

それは全くの勘違いだというのに!

そしてドイツの精神科医
バート・へリンガーが
発展させたスピリチュアルなワーク

ファミリーコンスタレーションで
使われる言葉を思い出しては
口にしてみる。

「○○叔母さん、あなたは
私の心に特別な場所を持っています」

目頭が熱くなるとともに
胸のあたりが温かくなる。

それから亡くなった
父や祖母、叔父のことを思い
ご先祖様を思う。

身体が自然に深呼吸をすると

私は自分がこれを書き始めた時より
ずっと平和な気持ちになっていることに
気づいて微笑んだ。


「死への憧れ」は消え
ご先祖様と

永遠に続いている
命への感謝が残った。


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