20年1月12日読書会サロン「正義の教室」飲茶著

こんにちは、そもんずです。
今回は飲茶さんの「正義の教室」をとりあげたいと思います。

■日時:2020年1月12日22時〜

■zoom URL
こちらのnoteの最後に記載しています。
■質問
①あなたが倫理の父親と同じ状況だったら、どんな選択をしますか?またその理由は?

②焼きそばパンの転売に関して3つの主義の中でどの意見が自分の考えに近いですか?

倫理:お金を得ることだけを目的としているので倫理に反する
千幸:おばちゃん、購入者、販売者、みんながハッピーだからいい
ミユウ:自分のお金で何をどれだけ買おうか自由

③功利主義、自由主義、直観主義と色々な考え方がありますが、10歳くらいの子供から「正義ってなに?」と聞かれたらどのように答えますか?

④ベンサムは「幸福とは快楽だ!」と主張しました。
あなたが思う「幸福とは●●だ!」の●●にはどんな言葉が入りますか?

⑤正義君は演説の中で、他者の視線に操られることなく自由で幸福な人生を送るには「善く生きること」つまり自分が「善い」と思った通りに生きることと言いました。
あなたは何を『善い』と思う人間ですか?
また、その為に今後何をしていきますか?

⑥最後の結末(正義君と風祭先生のハッピーエンド)に関してどう思われますか?

■要約
第1章
焼きそばパンの転売は正義に反するか?
倫理:お金を得ることだけを目的としているので倫理に反する
千幸:おばちゃん、購入者、販売者、みんながハッピーだからいい
ミユウ:自分のお金で何をどれだけ買おうか自由

第2章
正義の判断基準は3つ『平等、自由、宗教』
平等の正義→功利主義(幸福を重視)
自由の正義→自由主義(自由を重視)
宗教の正義→直感主義(道徳を重視)

何が正しいのかの基準は人それぞれなので、まとまりづらい。
何かを正しいと主張したり考えたりする時、それを正しいと思っている自分が必ず存在する。

第3章
多数決は平等ではない→多数派による少数派への暴力を正当化したやり方

功利主義:物事の正しさを幸福の量によって決めようという考え方。人数ではなく『量』を問題にする

功利主義における殺人犯を刑務所に入れる理由は不幸の量を比べる。
野放しにすることで発生する不幸の量>拘束することで発生する不幸の量

ベンサムの幸福の定義
幸福→快楽の増加、苦痛が現象(不幸は反対)
肉体的な快楽を基本的に指し、快楽計算の法則を作った。●●が100点とか。
だが、最大多数の最大幸福を望むのなら自分の食料や資産を全部途上国に送らなければいけない。

第4章
功利主義の問題点
・幸福度を客観的に計算できるのか?→万人共通の基準となる単位は作れない
・肉体的な快楽が本当に幸福か?→高級な人間ほど高尚な快楽を選ぶ
・功利主義は強権的になりがち→弱者のためと他人を抑圧する行為につながりやすい

問題点の一つとして、功利主義の結論が自分たちの感性と違う可能性がある。もう一つは、その感性に合わないことが正義の名の下に押し付けられる可能性がある。

第5章
リベラリズム:弱者に優しい福祉社会を作ろう
リバタリアニズム:弱肉強食の自由競争を推進
弱い自由主義:幸福になるには自由が必要、だから自由を尊重しよう(功利主義と同じ)
強い自由主義:自由にやれ。他人の自由を侵害しないなら

どれだけ多くの人が死のうが、他人の権利を侵害してはならないという自由主義のスタンス。ただし、他人の権利を侵害する人(有害な人間)の権利は保障しない。他人の自由を奪うな。

自由主義の行き着く先→バカな人間は死ねばいい

第6章
自由主義の問題点
・富の再分配の停止による格差の拡大、弱者の排除
・自己責任、個人主義の横行によるモラルの低下
・当人同士の合意による非道徳行為の増加(売春、臓器売買、人身売買など)

他人の自由を奪う行為
麻薬を吸ったり未来を台無しにする行為は、「10年後の自分という他人」の人権を奪い自由を阻害することになる。

第7章
宗教的であるということは、神様を信じる宗教に入ることとは関係ない。
『物質または理性を超えたところにある何かを信じていること』それが宗教的であることの唯一の条件である。
善や正義は言葉や理屈で説明できない、だから枠の内側にはなく枠の外側にある。

正義が説明不可能なものならどう知るか、枠の外にある正義を『観れば』いい。:直観主義
このペンは何色?殺人は悪いこと?それにすぐ答えている状態が「直ちに観る」

相対主義:物事の価値は他との関係性によって決まる
絶対主義:絶対的にただしモノが世の中にある

イデア論:善や正義などの概念(イデア)は、物質を超えた世界に存在しているという考え方

唯名論:唯の名前だよ論。それ以上でもそれ以下でもない
実在論:実在するんだ世論。人間という概念はどこかに本当に実在している
経験主義:人間が思い浮かべられる概念はすべて経験から作られたものである
合理主義:合理的に考えれば、人間は絶対的な正しさに到達できる

結局とのところ、人間は善や正義といったものが『枠の外』にあるかどうかをずっと議論してきた。

第8章
直観主義の問題点
「人間は正義を直観できない」「人間に正義なんて分かるわけがない」

何が正しいか分からない状況で、どんな人が正義の人だといえるのか?
それは、自分の正しさに確信を持てず不安の中で最後の最後まで悩んで苦しみながらも何かを選択した人間ではないか。

第9章
構造主義、ポスト構造主義も似たようなことを言っている。
「人間は何らかの社会構造に支配されており、決して自由に物事を判断しているわけではない」

スタンフォードの監獄実験→囚人は囚人らしく、看守は看守らしくなった
制服→「立場の自覚」「集団変への帰属意識」を促している

上記のように、周囲の環境や構造によって無意識のうちにそのように考えさせられている。多くの人は本来の意味を省みることなく、自分が生きる社会システムの価値観で無意識に答えている。

ポスト構造主義:構造主義以降という意味。人間が構造(システム)に支配されているという部分においては同じ。
構造主義は構造の欠陥を見つけ修復しようとしたが、ポスト構造主義の哲学者たちは人間が自分の意思で構造を作りかえることなど絶対にできない!元の構造を超えられないと言った。

我々が住む社会(コップ)は、実は「監視社会による矯正」という、刑務所と同じ構造で出来上がっているのである。
監視社会から相互監視社会へと変わり、我々が暮らす巨大刑務所は破壊不可能になった。
もはや人間が「人間にとって正しい社会」を作っているのではなく、社会が「社会にとって正しい人間」を作っている。

あらゆる知的な活動は、正しいという概念の上に成り立っている。そして正しいという概念を正しいとさせている上位の概念は『善い』である。
何かを考え、疑い、悩んでいるとき、そこには『善』『善を目指す意思』が必ず存在している。

どうすれば他者の視線に操られることなく、自由で幸福な人生を送ることができるか?

『善く生きること』
自分が『善い』と思った通りに生きることです。
誰に見られていてもいなくても、自分がやるべきだと思ったことが自分にとっての善いことである。

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