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ソナエトロン ep.16 コミュニケーション不毛。信頼関係と幸福。

ソナエトロン

(音声:26分36秒、テキスト:約6500文字)

あ、ぶつかった。えー、よいしょ。はい、じゃあ、ソナエトロンの、エピソードが18になりますね。(*実際には、ソナエトロン ep.16です。)

今日は、ちょっと雨でね、雨の中、しかも、こんな車の中で収録していると言うね。もう何でも、何でもやっちゃおうと。さっきあの、東京から千葉に向かう間に、ツイキャスをやりながら来たんですけれども、これはAnchor(アンカー)にいま直接録っています。

で、あの何を、そうだ、雑談じゃなくて、エピソードトークって言って、今ちょっと考えながら、ツイキャスをやってきたんですけれども、まあここのところ、僕が個人的に問題にしてきた問題の一つに、コミュニケーションの不毛って言うか、何て言うのかな、なぜ、こう伝わらないのかっていう。

うーん、何がそこに、そこの間にね、相互理解の間に、何が横たわっているのかっていうの、ちょっと、ずっとまあ、色々考えてきたわけですけれども。まあ結論なんて、まあ簡単に出ませんけどね。

【2分14秒】

で、あの今日やっぱり、スポーツニュースで、まぁある有名高校、有名スポーツ高校の、監督であり、指導者、教員でもあるのかな、副校長かなんかで、監督でもあるクラブ。で、その人が、まあ多分その手を、手を出したわけですね。

なんかのまあ、そら何でも無いのに手ぇ出したら、そら傷害になっちゃいます。あ、なんでも無かろうが・あろうが、手出しちゃいけませんけどね。あの、あれですね、体罰と、言葉の暴力ですね。

あのね、言葉の暴力って、身体的な暴力よりも、えーと、影響が大きい場合があるんで。それを暴力だと取らない人が、どうも、いるみたいなんですけど、それは駄目なんですよね。暴力なんです、立派な。

でまた、そういう、これだけ色んなところで、まあ教師同士のその、いじめがあり。いろんな例えば大学とか、そういうものの、そういう組織内のトップが行うような暴力ね。これだけ続いているのに、まだあるかっていう疑問が、誰でも抱くと思うんですよね。僕だけじゃなくて。何で無くならないのかと。

その結果ね、やってる人いますよね、それ暴力を。俺はそうじゃないと思っているっていう可能性が、非常に高いんじゃないかってね、今、思い始めているんですよね。

僕は、私は違います。私のは指導ですと。

じゃあだから、さあ、子供じゃないんだからね、なんなのかなーと思っちゃうんだけど、でも、多分それが、あの、コミュニケーションの、俺ね、もしかして、それはあの、一種の障害みたいなものが、そこに潜んでいる可能性が高いんじゃないかって思っちゃうんですけれども。

その、何て言うのか、それ全部他人事になっちゃうって言うね。だから例えばニュースになってても、それが全然自分のものとして、自分の頭に入ってこないと。

で、例えば、えと-、あのあれ、モンスターペアレントとか、あと、クレイジークレーマーね。あとまあ、オレオレ詐欺にかかる人みたいなのも、一部その傾向があるような気がするんですけど。

あの、ニュースに例えばなってると、そういうことがね。じゃあオレオレ詐欺で、こういう風にかかってきて、あのこれ、こういうニュースになってますと。で、それを見た時に、うんと、なんもその自分の中に引っかかりを残さず、あの、流してしまって、実際に自分が似たような状況に置かれた時に、その記憶がフィードバックされてこないと言うね。

そういう一種の障害に、記憶障害とかなんかそういう、障害があるような、気がして仕方がないんですよね。それぐらい、あのちょっと根が深いっていうか、何で直らないんでしょうかっていう。

【6分55秒】

だから、あんなほらだって、もう何年も教育やってきた、指導実績もあって、尊敬も受けてた時代もあったろうっていう人が、そういう言葉の暴力とか、実際にその、体罰で手をあげてしまうとか。もうダメに決まってるのに。ダメだっていう事例も何度も見ているのに、俺は違うんだっていう風になってしまう、病理があるような気がするんですよね。

だからその、オレオレ詐欺も、うんと、私んとこに・僕んとこに・家(うち)に電話かかってきた時には、「あ、それは大変だ」とね、詐欺と思わずに、「ああ、大変だ」となってしまうっていう、なんかこう、へんてこな心理状態っていうのが、それがだから、加齢からくるものなのか、その脳の機能的なものからくるのか、あと心理的な機能障害からくるものなのか、ちょっと分からないんですけど、何かそこに、私は違う・僕は違うっていう風に思ってしまう傾向の何かですね。

で、それがだから、若い時にも、傾向としては既に、出ている場合があるんではないかっていう気が、最近少ししてきてしまってるわけですよね、なんか。

うーん、だから、いっくらこう「それは、駄目なんじゃないでしょうか」って言っても、「いや、私達は違うから」とか、「僕は違うから」とか、そういう心理が常に働いていくような傾向かな。

俺は、だから、自戒の意味も込めて、そうならないように、気をつけてはいますが、なっている部分も、勿論あるとは思うんですよね。ただ、それを、少しでもその、気をつけようっていう自覚が、あるかないかっていうのは、そこに大きなやっぱり開きがあるような気もするんですよね。

で、全く無頓着に、あっけらかんとそれやってしまうという場合の人もいるし、明らかに、それ分かりながら、何て言うのかな、悪用的に、その傾向を、こうだから、何て言うのかな、法の隙間をついてちゃうみたいな。まあどうでしょうかね。

【9分57秒】

だから、そういうことになってしまうと、えーと、一種のその、みんなで、例えばじゃあ、それで盛り上がったとかして、お祭りが続いている状態は良いんですけども、だといいんですけど、その状態が失われて、ふと我にかえった時ですね、その落差に、「大丈夫?、耐えられますか」っていうのが、ちょっと僕、気になっちゃうんですよね。

俺は、だからそういうお祭り騒ぎしないから、あの、そもそもが、落差はありませんけど、うーん、それ大丈夫なのかなって、ちょっとね、思ってしまうわけですよね。

例えば、ポッドキャスト配信も、配信とかのこともそうですけど、うーんまあ、ツイキャスなんかも、例えば、何十人・何百人っていう人が、集まってくるようなツイキャスをやられている方になってくると、まあその空間っていうのは、それだけ人が集まってくる、その一種の、お祭り空間になってるわけですよね。

で、その魔力に陥って、自分がその、盲目的に陥ってしまうと、何て言うのかな、その刺激がないと、もうちょっと、何て言うのか、自分のその、承認欲みたいのを満たしていかれないとか、その、もうちょっと、落ち込みのギャップに耐えられないとか、そういう傾向にならなければ良いなと、僕は思うんですね。

だから、つい依存しがちになっちゃうっていう。依存っていうのはその、何に依存してもダメですからね。何て言うのかな、あの、依存的になってしまっては、薬物だけではなく、なんだろうがダメなんですよね。

そこが、まあ魔法と言うか、魔力がありますからね。特に、例えば、昔だったら、えーとまあ、例えば、ライブを開くって簡単に言っても、じゃあ、必ずじゃあどっかの会場押さえて、でまあPA(ピーエー)ならPA、自分たちにでやるにしろ、機材を入れ、照明を入れ、そういうことをしなければできなかったものが、今そのコンピューターを使うと、コンピューターの前に立った、立ってマイクつけて、スイッチ押しただけで、その擬似的なそのお祭り空間っていうのを、簡単に作れちゃうんですよね。

で、僕は、そのリアルにその苦労したっていう。苦労したって別になんです、本当に何て言うのかな、プロになろうと思って苦しいんだとか、そういうわけじゃないんですけど。アマチュアがやることだって、要するに、会場を押さえたりとか、チケット売ったりとかするのは、手売りで売ろうがなんだろうが、同じですからね、仕掛けとしては。

それをやったことがあるから、こっちはこんなにインスタントにできちゃうのはヤバイんだぞっていうのが、ある程度まあ想像がつくから、そんなにまあ、例えばこれで、どんなに、僕のツイキャスなんか、そんな盛り上がるってことはないとは思いますけども、もしそういう風になったとしても、これは一種のまやかしだぞっていうのが、常にその脳裏にね、あるから、それは依存的になってしまうっていうことは、僕は年齢的に言っても、そんなことはないですけど。

まあなかなかね、そういう体験を持たずに、こっちの体験だけで、わーって盛り上がるっていうような体験を繰り返すと、ちょっと麻痺しちゃうんじゃないかなっていう。

で、それが、ただのまやかしだぞっていうのが露呈した時に、その時に落ち込むそのギャップに、耐える覚悟がないと、ちょっと危うい感じがしちゃうんですよね。

【15分6秒】

だから、良し悪しっていうか、まぁ表現するっていうのは、もちろん良いことですけどね。何でもあの、自分なりに、色々考えてしゃべることでも何でもね。

そりゃああの、天才じゃない限り、無尽蔵に話が湧き出してくるっていう人っていうのも、そうはいないでしょうからね。それなりに、無計画に、ノープランでっていう場合でも、ある程度のその、下地はあるはずですからね。例えば、そういう、話に慣れてるとか、その下地を元にした、ノープランですからね。

ただのノープランとは訳が違う。本当にノープランで、ただ喋られるって言うのは、それはもうプロの人とか、そういう人じゃないと、なかなかね。だから、全部反射で喋っても、ある程度大丈夫なことが言えてけるっていうふうになるのは、そこそこやっぱり、場数なり、あとはだから、例えば、ある程度原稿をしっかり作っちゃうとか、そういう事しないと、なかなかね、思ったようには、それでも思ったようには、いかないんですからね。

で、だから、実際、ほんとに例えば、ライブで客前で、客の顔が見えたりすると、まぁそれだけでも結構な、プレッシャーになりますからね。

ネット上は、そこが見えない。例えば、ポッドキャストのような、録音配信みたいな形だと、更にそこが見えないと。だからあの、まあ例えば、番組の感想を是非っていうふうになるのは、もちろん当然だと思うんですよね。お便りがあったらいいなとか、反応があったらいいなとかね。

でもまあ僕はあくまで、誰もいない、ゼロでも構わないっていう、一応の、こう何て言うのかな、心構えで、喋ってるってことは喋ってるので、それは聴いてる人がいれば、嬉しいことは嬉しいですけれども、仮にゼロでも、まあリスナーが俺であっても構わない、だけであっても構わない。

【17分49秒】

で、そこら辺を考えていった時に、うんと、こないだ自分の考えるその、幸せな関係性って言うかな、信頼関係の行き着く、究極の形っていうのが、あの、アウトプットとインプットが、同時に起こる状態ですね。

だから、例えばギター弾くなんていうことも、それに当たるんですけれども、もう弾くっていうのはその、音を出すっていうアウトプットがあるんですけれども、そのそれが、弾いてる体験として、自分にインプットされるものが、まあほぼ等しい状態で、アウトプットの量と等しい状態で、自分に来るわけですね。

それはだからうまくいかないとか、いうことも、同じ引き受ける意味で、うまくいくっていうこととね、うまくいかないということは、両方あるんですけれども、でも、いずれにせよ、アウトプットとインプットが、同時に起こっていると。

で、人間関係でも、例えば、信頼関係がある間柄だと、相手のためを思ってしたことが、したことがっていうか、相手のためだけを思って考えてやってることが、それが本当に相手にとっての喜びとなってくれて、その喜んでくれているっていうことを、自分が感じ取れることが、その、自分の喜びになるというね。人の喜んでる姿が、自分の喜びになると。

で、同じように、誰かが、あの自分に対してしてくれてることが、やっぱり、ああ、ありがたいなぁっていうことで、非常にその自分の中でその喜びとなって、それが自然とその、喜んでる姿が、見てくれることが、相手の喜びになってくるというね。

だから、非常にアウトプット・インプットの同時性が、そのお互いのやり取りの中でも、起こってくると。で、それが幸せの姿じゃないかなっていうのが、ここのところその、まあちょっと、ひとつ、たどり着いた考え方なんですね。

そうすれば、例えば、人間同士の関係性であれば、一緒にいても・いなくても、離れていても、話していても・話していなくても、想像上で、それが常にこう蘇らせて、やっぱ自分のアウトプットとインプットに、つなげられるという。

でまぁ例えばギターなんかでも、ギター持ってなくても、常にギターのことを考え、弾いてることを考えている。で、それがどういう風に弾けてるかっていうことまで含めて考え、想像力を膨らませていけば、何て言うのかな、実際に楽器を持っている・持っていないっていうことが、関係なくなってくるというね。

で、だから、そのうちだから、人間同士の本当のその共鳴、それは異性であろうが同性であろうが、そういう信頼関係ができてくれば、「あー、もうこいつが言ってることは大体わかる、聞かなくても、もうその話は分かった」と。そういう風になってこれる関係っていうのは、構築できるんじゃないかって思うんですよね。

【22分32秒】

だからその、上辺だけのお祭り状態、で、お祭り状態の中から、そういうその本当の意味のシンクロ状態みたいのが、個々、個人として結べればいいんですけど、うんとその、じゃあ、チヤホヤされてるような状態っていうのは、言葉だけでチヤホヤするの、非常に簡単ですからね。

そこらにあるチヤホヤ言葉を、キラキラした・輝いたみたいな言葉を、全部相手に投げつけちゃえばいいわけで、簡単なんですよね。自分の心を一切動かさずに、その行為だけをすることは、可能なんで。で、それがだから、どういうふうにだから、相手が受け取るかっていうのがね。

だから全部は全部、本当だと思わないほうがいいですよっというような感じも少ししてしまうし、仮にじゃあ顔の見えないところでその、非難が来るとしても、それはただだから、その何て言うのかな、批判としてきちんと受け止めて、改善とかそういうことに結びつけてもいいですけれども、そんなに深く考えずに、「あー、そういうことも言う人もいるよね」っていうふうに片付けてしまっても、それは構わないと思うんですね。

例えばだから、それが体罰とか、そういう本当に社会的な問題だと、そういう態度で上の人にいられると、ちょっと困りますけれども、そうでない限りは別に、何て言うのかな、深く考えないでもっていうことも出来ますけどね。

で、だから、何て言うのかな、よっぽどやっぱり、少しその、コミュニケーションって、本当のコミュニケーションって、どういうものなのかなっていうのを、結論が出る出ないではなく、一度は深く掘り下げて考えてみるっていうことは、大事だと思うんですよね。

自分なりに、その時に一定の答えを、暫定的な答えを出しておいて、で、また新しいその、なんかこう意見なりなんなり、良い意見を感じた時に、それをシェイプアップしていけばいいわけで、全然何も考えずに、だーーっと流して、あの上辺(うわべ)だけの流れに、ばーーっと乗ってっちゃうみたいだと、いずれそのシッペ返しがきちゃった時に、立ち直れなくなりますよっていうのが、僕はそこがすごく心配してしまうわけですね。

まあこれで、ちょっと車も混んでますね。これで今日の、エピソード18は、そうね、コミュニケーションのあり方と、まあ幸福論の一部ですかね。そういうことになりますけど、これで今の配信は終わろうと思います。

ご清聴いただきまして、ありがとうございました。

【26分36秒】

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