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お陀仏したらな

ぽたん、ぽたり、ちたん、ちたり。顔に水滴が当たる。一瞬、オレはどこにいるのかわからなかった。身体を動かそうにも、動かせない。無理に動かそうとしたら、激痛が走った。

古い真空管の白黒テレビのように、記憶が鮮明になっていく。そうだ。オレは落盤事故にあったんだ。まもなく、この炭坑(やま)は、閉山になろうというのに、なんで、よりによってこんな目にあわなきゃならないんだ。周囲には誰かいないのか。救助はどうした。不意に、どこからか、音もなく、トロッコがふわりとやって来た。

数人が覗き込んでいる。カンテラにヘルメット。声を出そうにも声が出ない。男たちは、最初、オレをトロッコにのせるつもりで、起こそうとした。しかし、驚いて途中で投げ出し、何やらささやきあっている。その声が、ひゅーひゅーと風のようにしか聞こえない。

集団の中から、がっしりとした体格の男が、オレに近づいて来る。
「トモヒロ…」
まさか。低く良くとおる声は、父親の声だった。父親は、オレが中学生のときに、この炭坑の爆発事故で亡くなったのに。民謡の名人で、酒席でよくオレを座らせて、自慢ののどを披露したっけ。
「いっしょに連れていこうと思ったが、止めた」
どうして。心の中でつぶやく。顔は、暗くてよくわからない。というよりも、なかった、顔は。底無しの闇がのぞいていた。
「お陀仏したらな…」
そういって、トロッコに乗って跡形もなく消えてしまった。トロッコに重なって積みこまれているのは、先輩や仲間の亡骸だろう。

おーい。おーい。誰かあ。

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