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神様が教えてくれた、努力のいらない“愛されオーラ”の作り方

【より良い人生を目指すあなたに】

Truth(真実)とFact(事実)。どんなに真実を語ろうと、たった一つの事実には敵わない。真実だと思った愛も、ほんのわずかな疑いを抱いたという事実があれば、いとも簡単に崩れてしまう。

有能な医師ほど患者に起きた事実のみに対峙し、Fact(事実)ベースのエビデンスをもとに最適な治療法を考える。たとえ末期の患者が相手でも、有能な医師は事実に基づいた「例外」という名の希望を提示することで、患者やクライアントに勇気と安心を与えるのである。

真実への扉を追い求めようとするほど、人は大切な“何か”を見失う。人類よりもはるか前から存在している宇宙という全体性の中に生じた、僅かな不均衡によって人は常に突き動かされているという事実を忘れてはいけない。

多くの人は事実を恐れる。けれども、自分の存在という事実ほど愛しいものはなく、その愛しさは宇宙という全体性が、じつは自分の体の中にも存在していると気付いた者にしか感じることが出来ない。

二日前、わたしは沖縄県南城市にいた。沖縄最高位の聖地であり、世界遺産にも指定されている斎場御嶽(せいふぁーうたき)を再訪するためである。本来、この場所は男子禁制であり、すべての神事は現在でも女性によって行われている。だから男であるわたしが“なにかパワーを感じたい”と思うこと自体不謹慎である。わたしは、ただただその場所で認定のガイドさんの話を聞くことに徹しようと決めていた。

このエリア最大の見所は、三庫理(さんぐーい)と呼ばれる垂直に切り立った巨大な二枚の岩がもたれかかるようにしてできた三角形の空間である。本土に建てられている神社と違い、この場所に神は存在しない。神は女性によって呼ばれ、光とともに垂直な岩の壁をつたい降りてくると言われている。

まわりの人たちがグループの者同士で記念撮影に興じている中、ひとり参加のわたしの手持ち無沙汰に気付いたガイドさんが気を遣って写真を撮ってくださった。それまで、不謹慎ながらもわたしは光とともに、なにか啓示が降りてくるのではないかと淡い期待を抱いていたが、正直手応えはまったくなかった。

しかし、そのときだった。それまで向き合っていた岩の壁に背を向けてカメラを見つめた瞬間、わたしの中にどこからか一つの“メッセージ”が降りてきたのである。

人は生まれてから物心つくまで、「見て、見て」と言って親の注目を集めようとする。これは、自分の命を守るための動物的本能と言われている。しかし、この習性は大人になっても続いていることに多くの人は気付いていない。例えば、トラウマや負の記憶を和らげるためには徹底的な自己の観察が欠かせない。この場合、見られている相手が自分になっただけだが、客観的に自分の身体に表面化された心の“こわばり”を観察するだけでも、嫌な記憶から逃避したり自暴自棄にならずに自分の身を守ることができるのである。

他者から愛されるためには必要なこと、それはまず自分で自分を愛することである。たくさんの人から愛されている人ほど、自分の愛すべき部分を熟知しており、その愛すべきものを他者と共有することにあまり抵抗を感じない。まさにこれも子どもが親に向けて発する「見て、見て」のメッセージと似たようなところがある。

斎場御嶽において、わたしに降りてきたメッセージも、間違いなくこのことを思い出させるためのものだった。それは、スピリチュアルという一言で片付けられるような抽象的なレベルでの話ではない。生きる上で誰もが知っておくべき、極めて現実的な啓示なのである。

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