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他人の目なんて気にするな。ダッサイ青春の残党兵にならないために。

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私は生粋のハマッ子である。生まれも育ちもいまもヨコハマだ。何故か、埼玉や滋賀といった海に面していない地域出身者があこがれる地名のようである。確か、矢沢永吉さんは広島から上京するときに「ヨコハマ」という響きにビートルズの出身地であるリバプールの港町を連想して新横浜で降りてしまったという逸話を本の中で書いていた。

ヨコハマの人間はダサい。とにかくオシャレがヘタクソだ。いや、オシャレで気取った人が嫌いなのである、ハマッ子は。あるブランドショップのスタッフも言っていた、「ヨコハマでは売れない」と。
そして、ヨコハマは寂しい。夜は異様なほど寂しさが増す。これはトーキョーのおこぼれを享受するベッドタウンの宿命でもある。

元旦のヨコハマはさらにひどい寂しさだった。夕方私はパンを買い求め、久々に車で新横浜へ向かった。ホテル街も閑散としている。いつもこの辺りを通ると、胸が締め付けられる。「ギャッツビー」。これは学生時代に昔の彼女と利用したホテルの名前だ。いまは全然違う名前に変わっている。当時から読書好きだった私はいまでも覚えている、その向かいにあったホテルの名前が「Daisy」であったことも。ちなみに以前は「1984」という名前のホテルもあった。多分「イクわよ」という意味だと思う。

昨年は人生の棚卸しの時期でもあった。今年もまだまだ続く。なんとかして自分を裏切ることしか考えていない(いい意味で)。過去を捨てるのって意外と難しい。だから、形から入るのがいいと思う。

私は所有物を片っ端から「メルカリ」に出品した。4ヶ月で70万ほど売り上げた。清々しいってこういうことかと感動した。釣り竿がよく売れることも学んだ。中古のブーツに需要があることに驚いた。青春の思い出が詰まったコムデギャルソンのコートも売った。舐められたくないと思ってセールス時代に購入したロレックスも売った。あれは絶対売れる!と思って押し入れから取り出したissey miyakeのモヘヤニットには、昔飼っていた猫の毛が付いていた。なんと長い年月を惰性で生きていたのか!と改めて思い知らされた瞬間でもあった。

以前、私は会社員生活と並行して格闘技の選手もやっていた。インストラクターとして食べていけそうなくらいのレベルでやっていた。教えを乞う声はなんとなくいまでも私の耳に届いてる。けど、私が現場に戻ることはなさそうだ。未来の私がそう言っている。

一緒に練習していた人たちは皆、いまではいいオッサンたちである。SNSを眺めていると、“試合に出て負けました”とか“怪我しました”とか“手術しました”といったような「俺はまだまだやるぜ!」アピール合戦繰り広げられている。けれども、その根底には「こんな歳でも」といった自虐と「見て見てアピール」が含まれているのは誰が見ても伝わってくる。

私はそういう、他人の目を気にした“弱者スタンス”が大嫌いなのだ。世間を賑わす犯罪犯して有名になりたいとか言う若者とまったく変わらない。SNSやブログでの“メンタル弱ってます”アピールもやめたほうがいい。ダメな自分の現状肯定癖があるほどそのループから容易には抜けられない。次第に、いい人生だけを夢見る利己的なマインドが強化されて、いずれ甘い誘惑に乗ってダマされるのがオチである。

私は言いたい。他人の目、他人の評価、世間からの“対価”を気にせず求道(ぐどう)したほうが結果的に他人の役に立つということを。Easyなフィードバックが得られるいまの時代こそ、以前は“イケ好かない”と思われていたゴーイングマイウェイ的な生き方を貫いてる人に需要が集まるのだ。

だから、この記事に辿り着いたあなたには迷わず突き進んでいただきたい。今年はいい年になる。絶対に。

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