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親の老いに向き合う - 母の変化とクルミッ子の因縁

新年最初の投稿なので、何かおめでたいことを書きたかったのだが、特にめでたくもないお話し。

年末年始は91歳一人暮らしの母の元に帰って一緒に過ごした。
noteには母とのことを何回か書き、「親の老いに向き合う」というマガジンにしている。
老いに伴う母の困った言動に、その時はイライラしたりあきれたりしてもnoteに吐き出せば自分の気持ちも収まり、キー!となる自分を半ば面白がる心の余裕もあった。

だけど今回はそんなのんきな気分ではもういられないと痛感。
去年までは一人暮らしでもささやかに整えていたお正月のしつらえや準備を母は何もしていなかった。
正月花、お鏡餅などの飾りや料理の用意もゼロ。
お節は父が死んで以来私が市販の物を注文して12月30日に届くようにしているが、煮しめやお雑煮は常に母が用意していた。
昨年末12月28日に実家に着き、今年は家の中にお餅も料理の食材も何もないとわかって軽くショックを受けた。

母のスケジュール帳には28日に丁寧掃除、30日に正月料理準備と書き込んであったが、本人何もせず。
29日に私が買い出しに行き、「料理も私がやるけど?」と言ったが「それくらい自分でやります!」とムッとしているので、じゃあと任せる。
が、30日になっても取り掛かる気配がない。
正月花も自分で買いに行くと言っていたが「お花は?」と聞いても「そうね〜」とぼんやり言うだけで出かけようとしない。あんまり頻繁に尋ねると「あ〜、もうあれしなさいこれしなさいって本当にうるさいんだから!」と機嫌が悪くなるので、家の掃除は30日に私がやり、31日になって花も私が買いに行き、料理も母がやろうとしないので結局全て私。
その間母は何をしていたかというと、特に何をするでもなく新聞を読んだり庭の落ち葉を拾ったりスケジュール帳を眺めたりお菓子を食べたり平常運転。
正月花は、買ってくればちゃんと玄関と床の間に生けてはいたが。

生け花を教えていたので、材料と道具があれば手は自然と動く。でも、この二つを生けるのに1時間以上かかっていた。

去年の夏に帰省した時に、母と老人施設を見学した。市内の便利な場所にあり、買い物や習い事などの外出や一時帰宅もできるかなり自由度のある所。60代から入所している人もいて、明るい雰囲気に母も「ここはいいね」と言っていた。
「お!これは入ってもいいということかな?」と思ったが、1時間ほど説明を受けた帰り道、「いい所だと思う。でもまだまだ先の話し。私が弱ってどうしようもなくなったらあそこに入れて」とのこと。

自分ではまだ元気で一人暮らしも大丈夫!と自負している。確かに身体は元気だが、一人で生活を回すのはそろそろ無理なんじゃないか?という思いが募る。
判断力も気力も明らかに落ちてきている。

ところでCMや広告を見て通販で化粧品を注文するのは相変わらず続いていて、帰省の度に私が見つけて解約手続き。注文した端から忘れて商品が届いても箱も開けずに放置しているので、中の振込み票も当然そのままで料金は滞納。
今回も2件あった。
解約の電話をかけて代金未納を謝り、振り込みに走る、というのがもう帰省の恒例行事になっている。

あと、お菓子爆食べはいよいよ加速。
帰省2日前に宅急便で届けた沢山のお菓子、前回までは私の到着までそのまま置いてあったのに、今回は箱を開けて1/4ほどは既に食べており、ゴミ箱にお菓子の外装フィルムやパッケージが溢れていた。
「お年賀」のし付きの、見て明らかにお正月用とわかる和菓子も開封して半分食べていたし。
まあほとんど母へのお土産だからいいんだけれど、ダンスの先生やお世話になっているご近所の方への菓子折りも取り出して食べられそうになっていたのを回収して、母の目の届かない場所にしまった。

一番ガックリきたのは、義母が私の帰省に合わせて送ってくれたお菓子を一人でほとんど食べていたこと。
鎌倉紅谷のサブレとクルミッ子の詰め合わせ。

実家に帰ったら残りはもうこれだけ

私がクルミッ子好きなことを知っている義母が、お母さんと一緒に食べてねと送ってくれたのだが。
食べ物のことでわーわー言うのはあれだけれど、今回が初めてではないのだ。
一緒に食べようと思って買ってきたケーキも、「私はそれそんなに好きじゃないから要らない」と言っていたアイスも、料理に使おうと冷蔵庫に入れておいたハムやカニカマも、気がつくと一人で食べ尽くしている。

「私の好物のクルミッ子まで…」と、夫と娘に上掲の写真をつけてLINEでチクる。
「まー、おいしく食べてお母さん幸せならそれでいいじゃない」と慰められたが、クルミっ子の恨みは深かった。だからこうしてnoteにもしつこく書いている。

東京に戻ると、義母が笑いながら「はい、お年玉」と渡してくれた。

嬉しいのと恥ずかしいのと半々。

その2日後に観に行った『PERFECT DAYS』。
期待以上によかったが、役所広司がやっぱり役所広司のままで、丁寧に作られた上等のCMを見ているような気にふとなることも。
でも、細部まで耳も目も奪われて、観た後色々感想を分かち合わずにはいられない作品だった。
言葉も含めて説明を省いたところに、感じる部分がたくさん潜んでいる。
俳優陣も贅沢。
あがた森魚のギター伴奏で石川さゆりのママが「朝日のあたる家」歌ってくれる飲み屋って…。

平山が妹から「これ、好きだったでしょ」(ってセリフだったかな?)と渡されたのは、鎌倉紅谷のピンクの紙袋。
あの中に入っていたのは缶入りのクルミッ子だったのだろうか。


・タイトル写真は神坂雪佳『滑稽図案』より

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