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次に親になる時は小林先生みたいに - 『窓ぎわのトットちゃん』を観て


やっと観てきた『窓ぎわのトットちゃん』。
実は前に予告で観た時、アニメの絵と声優に「あ、これは私はちょっと苦手かも」と思った。

昨年12月に友だちと自由が丘を散歩した時も、駅前再開発工事の仮囲いにプリントされた映画の数場面を見ながら、「いい映画みたいだけど私は観に行くかわからないな〜」と話していた。
原作は読んだし、アニメの方はもういいかなと。

風景の描写はとてもいいと思っていた

でもこの時はまだ観に行く予定はナシ。

自由が丘駅前再開発中

今年に入ってすぐ、「なんか『窓ぎわのトットちゃん』、いいって言ってる人多いんだよ」と夫が一人で観に行き、普段はわりと何でも辛口なのに「すごく良かった!」と帰ってきた。
ふぅ〜んと思いつつも、その時もまだ、じゃあ私も、とはならなかった。
ところが、それ以降もいいという感想を何度か見聞きし、しかもそう言ってるのがおじさんおじいさん達に多い、というところが意外。
あの絵にあの声、あの原作。
おじさん達からは一番遠いところにある世界のような気がしていたけれど。
そんなこと考える私は相当頭が固くて偏見や決めつけが酷いのだが、とにかくそんなにおじさんたちにも評判いいのなら、と遅ればせながら映画館へ。

実際に観て、やはりアニメの人物の造形や描写は私の好みではなかった。声優の演じ方もちょっと過剰だったり違和感を感じたり(演じていることを感じさせない役所広司はとてもよかったけれど)。
全体的な物語の運びも、みんなが大絶賛するほどかなー?私の感性が鈍いせい?

でも、原作には描かれなかった部分や原作でサラッと書いてあった所がアニメで目にできて楽しめたし、黒柳徹子が訴えたかったという戦争の非情さがよく描かれていたと思う。
映像で見られてよかったなと思ったのは、お父さんのオーケストラの練習と自宅でタイスの瞑想曲を弾いたシーン。
それから、型破りで破天荒なトットちゃんが基本はそのままだけれどちょっぴり頼もしくなったラスト。小林先生の教えがしっかり引き継がれていて、次への希望を感じさせた。

学校のお便所でのエピソード、原作を読んだ時にはトットちゃんの行動の印象が強すぎて小林先生の対応のことは記憶からこぼれていたけれど、映画ではそこが丁寧に描かれていて、改めて小林先生のすごさに感じ入った。
子どもと対等に向き合って、じっくり話に耳を傾けるとかリトミック教育とか、小林先生の方針は色々すばらしいが、この時の対応は特にすごい。
子どもを信じ、認めて導くって、育むってこういうことか…。
私なんて子どもが小さい頃、テーブルのコップを倒しただけでもキーキー言っていたのに。
来世でまた親になることがあれば、この場面は覚えておきたい。

かつてトモエ学園があった場所は、スーパーに。
そこもなくなって去年の秋にスタイリッシュな複合施設に生まれ変わり、スーパーは地下へ。
学園の碑板が敷地内にある。

上のテラスからは、映画ではドーンと大きくくっきり見えていた富士山がうっすらと。
右手にはトットちゃんたちがお散歩に行った九品仏の木立。
今は暗渠の緑道になっている小川沿いを歩いていったのね。

この複合施設の上階には大手塾も入っている。周辺にも様々な中学受験塾が林立していて、この街の地名にも受け継がれたというのびのびと自由なトモエ学園跡が今は…とちょっぴり複雑な気分。

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