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複雑なのは自分の頭

noteは楽しい。
人のを見るのも、自分のことを書くのも
何も気にせずにいられる。
まるで子どものように
まだここのことを知り尽くしていない
無知に近い状態だからこそ
自分らしく居られる。

人と比べると果てしない。
私はここで自分を表現していきたい。

周りを知ることで自分を知ることがある。
向上心を燃やしたり、疲れたり。

人のふり見て我がふり直せという言葉を思い出したのだが
その考えが邪魔なのだ。

だからわざわざ見る事はあまりない。

インスタグラムはちょこちょこ開くのだが、欲する前から
次から次に新しい情報を届けてくれて
ありがたいがペースが乱されるのが少し嫌だ。

こっちは見たい人だけ見れるようにフォローをしているというのに
勝手におすすめで知らない人を色々表示させないで欲しい。

ここにこんな愚痴を書く前に、調べたら解決法もありそうだが
私の好みに合わせて出してくるもんだからそのままにしてしまっている。

何の話をしようとしていただろうか、忘れてしまった。

頭の中に浮かんだままに、書いているけれど
よく話し方が変わる。さっき見た人の書き方を無意識になぞっているのかもしれない。不思議だ。

1人時間が好きだったり苦じゃない人の独断と偏見若しくは持論だが
みんな脳内でのお喋りがすごい人たちなんじゃないかと思う。

少なくとも私は1人で脳内でめっちゃ会話している。
何人かいて、喋り方も違う。
感覚的には感情が個人として存在していて、本能と理性とか喜怒哀楽とかが
それぞれの意見を私に伝えてくるのだ。

でも鬱になった時にこの声たちを無視していたから、なるべくしてなったのだと今なら思う。ただその経験を通して、自分とより対話をするようになったり、物事を深く考えるようになったり、自己理解にハマっていった。

まだ捜索中ではあるが、私の目指す所には向かっている気がする。

なんだろう
何がしたいんだろう。

見つけたいのに見つからない。
見つかった気がしても上手く使えない。

この状況すら勉強なのだろう。
もどかしい。

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