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「バッハを歌うものは謙虚であるべし」   ーインタビュー🎤ヘレヴェッヘ 

ホテルのロビーで待ち合わせていたインタビュアーの前に、ヘレヴェッへが登場するやいなや、、、「私の名前は、有名な指揮者と同じ、ヘレヴェッへです」とレセプショニストに話す姿に思わず笑みがこぼれてきます。そんな大指揮者のユーモアたっぷりのエピソードで始まる「テューリンゲン・バッハ週間」音楽祭、ヘレヴェッヘ🎤インタビュー記事。しかしタイトルはいたって真摯です:「バッハを歌うものは謙虚であるべし」。バッハの演奏界をリードしてきた彼のバッハ観とは、一体どのようなものなのでしょうか?

インタビュアー:(音楽祭のテーマ)Zuversicht(大丈夫、なんとかなる)で何を連想されますか?
ヘレヴェッヘ:Zuversichtとはどんな意味でしょうか?信頼?
インタビュアー:意味が近くなってきました。
ヘレヴェッヘ:信頼でしたら、指揮者としての仕事を思い浮かべます。オーケストラやソリスト間との信頼を得ることは、指揮者としての最重要課題ですから。信頼があるからこそ、美しいものを一緒に作ることができます。
インタビュアー:20歳の時にバッハのカンタータの全録音を指揮されたんですよね。それも独学で!そうした自分自身への信頼はどこから来たのでしょうか。
ヘレヴェッヘ:医学、ピアノ、ファゴットは勉強しましたが、指揮だけは大学で専門的に勉強しませんでした。でも音楽をどう演奏するかは分かっていると、自負していました。友人も私も革新的である自分たちのやり方に疑いはありませんでした。うまくいかないかもしれないという不安は全くなかったんです。
インタビュアー:今ではどうですか?
ヘレヴェッヘ:あれから50も歳をとりましたから、経験は昔よりもたくさんあります。しかし、コンサートをするのに、今の方が1000倍ストレスフルになったと思います。パーフェクトでなければならない。(…)
インタビュアー:バッハを演奏するには何が必要ですか?
ヘレヴェッヘ:強さ、卓越した音楽家であると同時に謙虚な。ものすごく上手い歌手たちがいます。そうした歌手たちは例えばブラームスには最高でしょう。でもバッハの場合は、上手いだけではNo。それだけだとエゴが強すぎるんです。バッハを歌うものは謙虚でなければなりません。そして基本的には信心深さがあった方が良い。
インタビュアー:あなたは宗教的な人でしょうか?
ヘレヴェッヘ:私はカトリックで育ちました。イエズス会の学校に行き、毎日ミサへ行って、聖書を読まなければなりませんでした。教育という意味ではそのことに感謝しています。後にシュッツ、シャイン、バッハといった、たくさんの宗教音楽をやりました。しかし今は教会に属していません。組織化されたものを批判的に見ているからです。でもカトリック教会の礼拝は今もなお好んでいます。
インタビュアー:バッハの音楽におけるスピリチュアル性についてはどうですか?
ヘレヴェッヘ:バッハ時代の歌詞を苦手に思うこともあります。「イエスの苦しみのおかげで私たちは解放された」ということは、個人的には信じていません。私にとって最も素晴らしいバッハの音楽とは、歌詞が私にとって邪魔になるアリアではなく、「フーガの技法」といったより抽象的な作品です。
インタビュアー:バッハの人生は決して楽なものではありませんでした。両親を若くして亡くし、妻や子供たちも失いました。それでもなお希望に満ちた音楽を書くことができたのはなぜでしょうか。
ヘレヴェッヘ:一つ言えることは、死そのものがその当時は今よりももっと身近だったということです。(…)30年戦争があってから、まだそんなに経っていないですし。それがリアリティーである中で、人間は何をするのかというと、、、何かを信じることでしょう。(…)
バッハの音楽は、その人の不幸な出来事が滲み出る他の作曲家と違って、常に希望と光に満ちています。だからこそ、バッハの音楽は世界中で人気があるのだと思います。
インタビュアー:Zuversichtとは自分自身のことだけを考えているのでは経験できないような、何かもっと大きなものを指しているのではないでしょうか?
ヘレヴェッヘ:世界や自然とつながることは、本来、当たり前のことです。自分のことにだけ集中している人は病気になります。素晴らしいコンサートでは、数千人もの人が共に精神的につながるという現象だって起こりえます。人と人との美しいつながりを体験できるのが音楽であり、人間というものの素晴らしい面でしょう。

「テューリンゲン・バッハ週間」音楽祭2023年パンフレット(以下)より意訳・抜粋


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