そうだ、リーダーを考える旅に出よう!

なんか、最初からダサい感じのタイトルだと思いつつも、これから(できれば)毎日、「リーダーシップ」について考える旅に出よう。そう思ったから始めてみる。

もともと関心の強い分野で、いつか本にするために、もっと考えをまとめたいと思っていた。それで、昨日ふと「今年はリーダーシップを再定義する年になるかもしれない」と感じた。だから、今日から始めよう。
朝に、1時間とって考えていることを書き切る。書き始める時に終わりは見えなくても、書いていれば落ち着くところに落ち着く。せっかくだから、やってみる。
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そもそも昨日「今年はリーダーシップを再定義する年だ」と思ったきっかけは、テレビのワイドショー(そう、朝に息子を小学校に送り出してから出勤までの至福の時間だ)で、某ボクシング協会のパワハラの話題を見て考えた事。(ちなみに、その話題について個別に思うことは特にない。)個人的には似た経験もあるけど、会社で実績を出している人で外から見たらすごい(人格の)人がメンバーにモラルから外れる指示をしてパワハラを起こす事が最近はよく見られる。昔からあったことが、公になって来ているのかもしれない。

これまで良く目にしてきた、いわゆるブラック企業でのパワハラの場合は、詳しく個別に知るわけではないので観念的な話だけど、「搾取する」っていう明確な悪意の元に行われているイメージだった。
でも、いま起きているパワハラの問題は悪意で起きているのだろうか?ましてや、それなりの規模の組織で悪意だけで大きな影響力を持つのは無理がある。それほど、組織を作る人は愚かじゃないし、規模が大きくなれば浄化作用もある。

※パワハラと書いていたけど、「個人にとっては理不尽な強圧的な要求」という意味くらいで使っているから定義が違うかもしれない。以下は、便宜的に「パワハラ」と書くけど上記の意味合いで書くよ。

今の組織でパワハラを起こす人がそもそも強い影響力を持ったのは、何か「正義」があったからじゃないかと思う。多くの場合は、組織を大きくするための「正義」で周りの人も反論することもなく盛り立てたから大きな影響力を持つんじゃないかな。
ただ、それが個人への要求に向いた時に、時に理不尽になる事があって、要求された人が傷つくことがある。個人的には、これまでの社会人経験でそういう経験を持ったことがある。

それで、疑問が生じた。多くの場合、組織の規模を成長させて来た人は「リーダーシップ」がある人と言われて来たと思う。困難な課題に、複雑な状況をまとめて、まわりの人を導いて成果を出す。結果として、組織の規模は拡大する。それをなす人は、「リーダー」として優秀とされてきた。でも、同じ人が個人に理不尽な強制をする。これは、優秀な「リーダー」が悪に心が染まって変わってしまったからだろうか?
あるいは、対処不可能な困難で複雑な問題を前にして、判断を誤ったのか。個人に負担を押し付けたのは、心が弱って何らかの誘惑に負けたの?

どれも、急に人が変わるようで違和感がある。もしかしたら、不完全にしか「リーダー」になれていないんじゃないだろうか?*「リーダー」である事の一部しか実現してないけど、それが世間一般でも「リーダー」として認知されているんじゃないだろうか?*

じゃあ、何が完全(世に完全があるのかという話もあるけど、相対的に)な「リーダー」なんだろう?

世の定義について熟知しているわけではない。個人的な感覚に頼るしかないけど、僕の*リーダーの定義は「まわりの人を幸せにする」*だ。一緒に仕事するメンバー、チームと関わる人々、世間の人。昔の近江商人の三方良しじゃないけど、みんなの幸せを引き出せるなら、そういう人がリーダーじゃないかな。

今日の考察はここで終わり。

また会おう。

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