「何者か」にならないといけない病。

みたいなものが、流行っている気がしてならない。。
流行ってるのか、流行らそうとしてるのかは知らないけど。

「承認欲求」というワードが一般的になったのも本当ここ数年な気がする。

この病は自分が特別な何者かである、
という前提が生み出してる現代病みたいなものなのかもしれない。

特別な何者か、なんてものは元々存在しない。
何者でもない自分、から出発して、自分と言う名前を認めて初めて始まる。

承認欲求というのは、他者からの承認を求める、というのが
一般的ではあるんだけど、実は「自分からの承認」も含まれているんじゃないかなあ、と最近思う。

というか、自分の前提条件を見失っているということは
自分自身を他者として認識しているという事なので
いくら他者からの承認がある程度あっても、半分しか満たされない。

なので、永遠に満たされない物を延々と求める事になる。
それと共に自分の前提条件を見失っているという事は
他人との境界線を見失っている、という事になるんじゃなかろうか。

元々自分としての個が確立して初めて他人との境界線が見えるわけで
確立していない状態で他人を見ても、正しく存在として認識出来ない。

つまり薄ぼんやりした「自分とは別の存在」に承認されていたとしても
それはそれで満たされるわけがないんじゃないかと。

ここまではなんとなく考えが繋がったなー。

本当は「何者か」になんてなる必要がそもそもないんだけどね。
自分は生まれた時から自分であって、自分以外の何かにはどう足掻いてもなれないし。

その辺りの商売は人との優劣を付ける、とか差異を見出す、みたいなアイテムを売りつける所でストップさせて欲しかった。ブランド物とかその最たる物でしょ。

そこを人がそもそも持っている根源的な悩みまで商売にしちゃうのは
なんとなく気持ち悪い。というか嫌い。

と、いう事を最近考えてます。




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