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「ご自由にどうぞ」ボックスを置いて生まれた温かいやりとり

2022年1月12日(水)

今日も元気にキックボクシング。2日連続。

昼は急いでピザ(淡路島へのふるさと納税返礼品)、トマト

今日お会いした方に「ストレスが溜まることはないんですか? どうしてますか?」と聞かれて、「ストレスを感じることはありますが、そんなに溜まらないですかねえ。あ、キックいいですよ」と即座に勧めていた。

心身がすっきりする実感を味わえるのは、私にとっては運動なのだなあと思った。

かつ、団体競技ではなく、個人競技。一匹狼気質が強いから、チームプレーは苦手。

今日は不用品を「ご自由に持って行ってください」と書いた紙を貼った段ボール箱に入れて、マンション下に出してみた。

すると、いろいろなものが持って帰られていて、「あ、このやり方正解」と思った。以前、駒込で同じようなことをしているのを2-3件見かけたことがある。

上品な高齢女性がその箱を見て、いろいろと持って行ってくれるシーンにたまたま遭遇したさい、こんにちはと挨拶して近寄り、「それ、私のなんです。引越すことになりまして、使わないものを出してみたんです。持ち帰っていただき、ありがとうございます」と話しかけた。

八千草薫さん的な、ものすごい品が漂うその女性は、「これ、かわいいわね」「これは何に使うの?」などと言って、さらに興味を示してくれて、私が説明すると「いただくわね。〜〜に使いたいの」と、袋に入れてくれていた。

持ち主の顔が見えると、よりもらわれやすくなるのだろうなあと思う。偶然、普段は交わることのない近所の人とコミュニケーションできたのも、いい体験。

その後も、午後外出するタイミングなどに、また不用品を追加すると、いい感じでモノが持ち帰られ、減っていった。私の不用品が誰かのところで輝きを放てばうれしい。

今日は夕方、本棚を譲る機会があった。おかげさまですっきり。そして、とても喜んで、気に入ってくれていたから良かった。

こんなnoteを書いた。

夜はこちらを聴きながら、明日の荷造りやスキンケアなど。

コロナで分断は広がったり、この人とは確実に話が噛み合わないな、もう交わることはないなと感じるシーンが増えたりした。

結果、余計なものが削ぎ落とされた点は、悪いことではないと考えている。よりかろやかに生きられる。

ただ「大きなモノたち」の発信に対しては疑問だらけ。クローズしたい・衰退させたいのかなとか、自分の金じゃないから無駄使いできるんだなとか、自分の得しか考えてないなとか、目立ちたがり屋が多いなとか、受け取り手をバカにしすぎだなとか、げんなりすることしかない。日々、罪深い出来事にたくさん接していると感じる。

自分は自分で、冷静さを失わず、人間らしく生きていくしかない。大きなモノ=正しい、なんて1ミリたりとも思わずに。

朝食にとったアップルパイ(青森へのふるさと納税返礼品)が最高だった

今日の菜食

玄米、納豆、白菜サラダ、にんじん・ネギ・ほうれん草のスープ、ぬか漬け、トマト。晩酌は梅酒とナッツ


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