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柔軟に、勇敢に生きてきた人から勇気をもらう。

2022/1/21(金)

昼前にホテルを出て、近所の「博多ごまさば屋」へ。

移住の先輩である赤坂太一さんとランチ&「珈琲舎のだ」でお茶。ランチは「何このボリューム!」と興奮してすぐに食べ始めてしまい、写真を撮るのを忘れていたので、食べかけを撮影……。

あら炊きの可食部の多さよ。。そして、さばの南蛮漬けは食べ放題。天国。

赤坂さんと赤坂でパチリ

こちらに住んで10年になる赤坂さんには、福岡のことをいろいろ教えてもらった。

福岡トーク以外では仕事の話も。35歳のときに家族と共に東京から福岡へやってきて、当初は出版・編集関連で転職活動をするものの、年齢がネックになり難しいとわかり、フリーでやっていこうと決めたのだという。

当時は福岡市内の出版社・編集系の会社に営業回りもした。でも、いろいろと考えた結果、東京で培った人脈や仕事を生かし、さらに、ときどき上京してあえて東京の仕事を多く獲得してきた赤坂さん。

それから10年。自分的にうまくいかないと感じて、別の仕事をしようと揺らいだこともあったらしい。

出てきた当初はアルバイトと本業の編集・執筆を掛け持ちしたり、数年前は半年ほど会社員をしたりと、赤坂さんの柔軟性や変化を厭わず飛び込む勇敢さは、私にはないものであり、かっこいいなあと感動した。

「僕はフリーも会社員もいけるんです」との言葉もささる。個人も団体も両方いける人というのが一番強いと私は思う。

数年前の一時的な会社勤めは、うまくいかないとモヤモヤしていた頃、知人から偶然「太一くん、うちで働かない?」と声をかけられたという。

赤坂さんが執筆も編集も撮影もできて、紙・Web共に経験していて、オールマイティな人だし、人あたりもとても良い人だから重宝されるのはわかる。

ただ、フリーから会社員へと環境がガラリと変わるのを、ひょいと波に乗るように、かろやかに受け入れ、そのまま波を乗りこなしているようなその在り方は、誰もが真似できるものではない。

私自身、個人で受けていた大型案件が12月末で急にクローズし、それに対する不安感や独立10年で初めて「あ、いまスランプでは?」「今年は年商が初めてかなり下がるのでは」と落ち込みを感じていたこともあり、赤坂さんの話はぐっと滲み入るように入ってきた。

「やっぱり、波というものはあるんだな」「それでも、行動さえしていれば、新しいものは入ってくるんだな」と勇気をもらうことができた。

これらの話は赤坂さんにOKをいただいて書いている。最近noteにもちょっとした「10年振り返り」記事を書かれていて、こちらも読み込んだ。

前編はこちら。

後編はこちら。

赤坂さんと別れて「マミーズ」という見慣れないスーパーで夜ごはん用の惣菜を買い込む。噂通り、惣菜が安い。ほうれん草のおひたしが3人分くらい入って120円くらい。

鰹のたたきが198円くらいで売られていたのも衝撃。プラントベース食生活は続けるけど、福岡に来たらやはり魚を定期的に食べたいなと思う。

ホテルに戻って仕事。夜は寒いから出たくなくて。

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