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誠に勝手ながら、隣人の安否を心配し、お節介な行動に出た結果

隣人、亡くなっているんじゃないか。

1〜2週間前、私は隣室の男性の身を、ひとり勝手に案じていました。半年ほど前に引っ越してきた男性は50代半ば頃。全室1DKのマンションゆえ、単身赴任の可能性高め。内廊下に停められたクロスバイクが週末の日中だけ姿を消すのが恒例でした。

しかし、ある週末はクロスバイクがずっとそのままで、さらにその傍に束ねられた雑誌類も、1週間以上放置されていたのです。こんなに動きがないなんて、何かあったんじゃないか。もしかして、室内で倒れているんじゃないか。

嫌な想像ばかりが頭を駆け巡ります。これまで男性とは二度、エレベーターで顔を合わせ、笑顔で挨拶を交わしたことがあります。たったそれだけですが、妙に心配になってしまったのです。

何とかしたくて、だからといって当時は相談する相手も思いつかず、ネット上に「隣人 死んでる」と検索ワードを打ち込むと、思いのほか多くのページがヒットしました。私と同様に隣人の安否を不安に思う人は少なくなかった。そこには心配なら、エントランスでインターホンを鳴らしてみて、在宅(無事)であれば、間違えて鳴らしてしまった旨伝えて、ごまかせば気まずくない等のアドバイス(?)が書かれていました。

どうしよう。それからさらに2日ほど悩んで、やはりクロスバイク、雑誌の束共に動きがないのを見て、その日の夜、帰宅した私は思いきって伝言メモを書く、という方法を選択しました。

・隣人のイケダです

・1週間以上、雑誌などがそのままのため、少し心配になりました

・もし何もお変わりなければ、この手紙を私のポスト(◯◯◯)に入れてください

・出すぎた真似かもしれませんが、お許しください

といった要点を書いた紙を、自分と隣り合った男性のポストに入れたのです。男性のポストには数日分と思われる広告等が溜まっていました。

それから2日後くらいに、動きがありました。私のポストに男性から返信が入っていたのです。1枚のミニ便箋には、

・ご心配をおかけして申し訳ありませんでした

・6末で異動が決まり、地元へ戻るために、週末からしばらく帰省していました

・お心遣い誠にありがとうございました

といった内容が丁寧な字で綴られていました。

ホッとした思いもありましたが、自分はお節介なことをしてしまったのかもしれないな、侵入すべきではない領域に立ち入ってしまったのかもしれないな、とも感じました。

(その間、友人に「隣人が亡くなっているかもしれない。本当はインターホンを鳴らしたい」と相談したところ、一笑に付され、「出張中か旅行中なんだと思うよ」「隣人にインターホン鳴らされたら怖いよ。逆の立場で考えてみて」と忠告され、そりゃそうだよな、とも納得。滅多にないけれど、自分も1週間くらい旅行等で家をあけることはある)

と同時に、もし自分がマンションの室内で突然死んでも、誰も気づかないだろうなとも考えました。建物内に異臭が漂い始めるまで、死を意識され、発見されることはないだろうな、とも。

共有部に何も出していない私は、外から見ると住んでいるのかどうかもわからない状態。“変化”がないのです。それに、そもそも人間関係が希薄というより、ないに等しいといっても過言ではない、都会の単身者メインのマンション暮らし。

今回の出来事を通じて、生と死、お節介魂はどこまで発動させていいのか、等考えるきっかけを得ました。答えは出ていませんが。

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