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「横死」者の怒りと悔しさ

今日7月8日は一日中、降ったり止んだりの日だった。夕方はダーっと勢いよく降った時間もあった。今、ものすごい音量の雷が轟いた。窓を閉めているのに、雨音がはっきり聞こえる。スマホの警報が鳴り出した。

1年前の7月8日もそうだった。土砂降りの夜、旧知の取材先と予定していた飲み会に向かった。横川はバケツをひっくり返したような雨だった。普通の暮らしの中で、特段イベントがあったわけでもない1年も前の日の天気など、だいたい覚えていない。だけど、昨年の7月8日の夜は強烈に記憶している。

安倍晋三元首相が、奈良県内で選挙の応援演説中に殺害された日。予定通り向かった小さな飲み屋でカウンターを見上げた瞬間、「死亡」の速報が流れた。
7月8日はずっと、安倍首相が凶弾に倒れた日として記憶されていく。
もちろん、わたしにとっても。

ただ、わたしにとっては、わたしだけにとっては、7月8日というのは、別の意味でも特別な日。2社で計21年間続けた会社員生活に終止符を打った日。いわば、脱サラ記念日なのだ。

自分の思いを整理しきれないままに、でも何かを書き留めておかないといけないと思って、noteを書いた。

この1年、本当に色々あった。初めて自分の名前で本を出し、ネットメディアで月一のコラムを書かせていただけることになり、ラジオに出たり、地元紙に寄稿したり、地元のタウン誌に定期的に書かせてもらったり、YouTube番組にでたり、そして、YouTube番組のMCをやることにもなった。これまでで一番、講演数が多かった1年でもあるように思う。

慣れないことにあれこれチャレンジしつつ、その過程で実にたくさんの、さまざまな世界を持っている人たちに出会った。こういう出会いが、今の自分を作っているんだなあ、としみじみ感謝。

脱サラ2年の記念日の今晩は、お世話になった出版社の社長さんらが広島に来られていたので、子連れで夕食をともにした。今後何を書くかみたいなことをワイワイ語り合った。



今朝の地元紙、中国新聞のオピニオン面に「安倍元首相銃撃1年」として、思想家の内田樹さんが寄稿していた。リードの文章はこうだった。

安倍晋三元首相襲撃事件から8日で1年。大きな存在感を放った現役政治家の横死が、その後の社会に与えた影響は何か。思想家の内田樹さんは、この国の衰運を可視化した転換点だったと語る。今の思いを聞いた。

2023年7月8日付中国新聞
通信社の配信記事らしく、各地方紙にも掲載されているようです

「横死」という言葉。長く新聞記者として、誰かが不慮の災難で亡くなるという出来事を、災害なり事件なりで何度も取材してきたが、記事にする際この言葉は使わなかった。わたしにとって馴染みのない言葉だ。

ちょっと前、どれくらい前だったか、広島の平和記念公園内にある「遭難横死者慰霊供養塔」を見上げながら、この、わたしたちが日常会話で使うことのない「横死」という表現についてあれこれ話した。

遭難横死者慰霊供養塔

広島市の公式HPによると、この碑は県下真言宗徒によって1957年9月に建立されたものらしい。 「仏教では、人間の間違った行いは心の迷いから生じると考え、その迷いは真実を知らない無知から起こると説く。無知が縁となって戦争も起こるので、真実を知って無知をなくせば平和が訪れる。この塔に梵字で刻まれた言葉には、そのような自覚を人々に促し、平和を求める願いが込められている」との説明がある。

「横死者」の文字

予期せぬ、非業の死。

その事実だけじゃなくて、なぜそんな理不尽な結果が起きてしまったのか。その死をもたらしめたものはなんなのか。

「死」という重い結果だけじゃなくて、横死の背景に何があったのか。それに至る経緯がきちんと解明されないと、そして同じようなことが二度と起きない社会を作らないと、きっと横死者は報われない。それもこれも、殺人なのだから、そんな結果をもたらした側の責任がきちんと問われなければならないというのは、最低ラインだと思う。


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