レックス・スタウトと『料理長が多すぎる』(1938)を巡るいくつかの事実と考察

名古屋ミステリー読書会なる催しに、この2年ほど参加させていただいています。

翻訳ミステリー大賞シンジケートという団体が母体となって、各地で読書会を開催していますが、名古屋は書評家の大矢博子さんが中心となって、数年前から活発に活動されています。

*各地の過去の活動記録や今後のスケジュールはこちら

私も縁あって2年ほど前から何回か続けて参加させていただいています。とてもアットホームな雰囲気と読書好きな皆さんの情熱、それに私には思いもつかなかった読み方に触れることができて、毎回楽しみです。

昨日(2016年2月13日)が第16回読書会でしたが、今回の課題図書はレックス・スタウト(1886-1975)の『料理長が多すぎる』Too Many Cooks, 1938)。私立探偵のネロ・ウルフを主人公とした、スタウトの代表的シリーズの中でも、もっとも人気・知名度ともに高い名作です。

身長6フィート(183cm)、体重は1/7トン(約143kg)という巨漢で美食と蘭をこよなく愛する主人公のウルフと、その助手のアーチ―・グッドウィンが、ウェストヴァージニアの保養地のホテルで開催される晩餐会に招待されますが、そこで一人のシェフが殺害され、2人はやむなくその謎解きに関わることになる。簡単に言うとそんなプロットです。

レックス・スタウトとこの作品の名前は知ってはいましたが、これまで読む機会もなく過ごしてきました。今回初めて読んでみて、ミステリーとしてはいろいろと瑕疵はありそうだけど、小説としてはなかなか面白い、というのが率直な印象です。

でもそれ以上に、アメリカ文学研究者の私にとって、この作品のあちこちに気になる固有名詞や描写が出てくる。例えば11ページで、ウルフがアーチ―にこんな台詞を言います。

「すまないが、グッドウィン君、君にはちゃんと給料を払っとるんだから、バッグから本を取ってもらえないかね。ジョン・ガンサーの『ヨーロッパの内幕』だ」

ジョン・ガンサーは20世紀アメリカを代表するジャーナリストの一人ですが、その名を一躍国内外に轟かせたのがこの処女作『ヨーロッパの内幕』Inside Europe, 1936)でした。『料理長が多すぎる』出版は1938年ですから、このガンサーの本が出版されて間もない頃にこの記述が書かれているわけです(ちなみに『ヨーロッパの内幕』の改訂版が38年に出ています。それだけ反響が大きかった証拠でしょう)。

一種の流行現象だったとはいえ、ガンサーの硬派なノンフィクションを読む探偵。これを書いたのは一体どんな人なのか、がぜん興味が湧いてきました。

そこでレックス・スタウトについて調べることに。するともう、いろいろ出てきます。

【レックス・スタウトという人物】

レックス・スタウトについては日本語版Wikipediaには簡単な記述しかありません。それもあくまでミステリー作家としての側面にしか焦点が当てられていない。日本でスタウトの人気がいまいちだ、ということがよくわかります。

それに対して英語版ははるかに詳細で、とくにミステリー以外の作品や公的な活動についての記述が多く、これがたいへん面白い。

初期は『オール・ストーリー』誌を中心に短編を発表していたようです。この雑誌はエドガー・ライス・バローズの『ターザン』シリーズや『火星』シリーズが掲載されていたことからも分かるように、冒険小説やSFを得意とする雑誌です。つまりスタウトは必ずしもミステリーばかり書いてたわけではないのですね。

それから、最初の長編How Like a God (1929)は二人称で書かれた心理小説という、当時としては相当野心的な作品。そして1934年に出版した『消えた大統領』(The President Vanishes)は政治スリラーの先駆けで、斬新な作風の作家を目指していたようです。

そんな中で、ネロ・ウルフシリーズの第一作『毒蛇』Fer-de-Lance)が大当たり。スタウトはその後探偵小説作家に転身し、1940年以降はほとんどネロ・ウルフものばかり書くようになります。要するに、最初からミステリーを書こうと思っていたわけではなさそうなのですね。

それでもアメリカ推理作家協会の会長を務めたりと、ミステリー作家としての人生を全うしたことは間違いありません。

最初はなかなか作家として芽の出なかったスタウトですが、1916年頃に考案したSchool Banking Systemが全国で400以上の学校に採用され、その使用料で莫大な利益を得ます(この「学校金融システム」が一体どんなものか、調べてみたのですがよくわかりません。伝記を読めば少しは詳しく書かれているのでしょうか)。

同年フェイ・ケネディという女性と結婚したスタウトは、新妻を連れてヨーロッパ周遊の旅に出て、とくにパリに長期滞在したようです(フェイとは1932年1月に離婚、同年12月にデザイナーのポーラ・ホフマンという女性と再婚)。このヨーロッパ滞在中の美食体験が、ネロ・ウルフに投影されているのは間違いありません。

一方、1925年にスタウトはAmerican Civil Liberties Union(アメリカ自由人権協会)という団体の理事に選出されます。これは言論の自由を守るために個人や団体を支援するNPOで、要するにスタウトがリベラル知識人であると認められたことを示しています。

さらに翌年、The New Massesの創刊に$4,000を拠出します。これは言うまでもなく、John Reedらが創刊したThe Massesの衣鉢を継ぐコミュニスト系文芸雑誌で、1948年の廃刊までに錚々たる作家の作品を世に送り出します(その中にRichard WrightRalph Ellisonなどの黒人作家がいたことは、『料理長が多すぎる』を読むうえでも参考になるでしょう)。もっともスタウトは、Max Eastmanのあまりにソビエト共産党寄りの編集方針に嫌気がさして、数号出たところで手を引いてしまったようですが。

続いてスタウトが関わったのが、Vanguard Pressの創設です。この革新的、野心的な作品を世に問う出版社の立ち上げにやはり資金を提供し、1926年から28年まで最初の社主を務めました。先の処女長編How Like a Godもこのバンガード社から出版されています。

バンガードと言えば、その後Nelson AlgrenSaul Bellowらを世に送り出すことになる文学史上で重要な出版社です。ここにも、スタウトがミステリー作家と言うより文学者肌の持ち主であったことを伺うことができます。

ちなみに政治的にはフランクリン・デラノ・ルーズベルト(FDR)ニューディール政策国際連合構想などの支持者でした。第二次大戦中は戦時作家協会(Writers’ War Board)に参加したり、ラジオでドイツや日本のプロパガンダに対抗する宣伝放送を行ったりしていますが、これはFDRへの支援であると同時にナチスドイツへの批判行動でもあったようです。

このスタウトの事跡を辿って見えてくるのは、New York Intellectualsとも因縁浅からぬ関係にあるリベラル派知識人の姿です。スタウトの伝記を読めばさらにはっきりとしたことが分かるでしょうが(未入手、注文中)、とにかくこのスタウトの伝記的事実を念頭に置いて『料理長が多すぎる』を読み直してみましょう。

【『料理長が多すぎる』におけるマイノリティ問題】

まずこの作品の舞台になっているのがウェストヴァージニア州であるのが重要であることは、大矢博子さんも指摘されています。

ここはもともとヴァージニア州の一部でしたが、南北戦争を機に奴隷制反対派が独立し、1863年に合衆国の州に組み入れられます。この場所を舞台に選んだこと自体が、アメリカにおける奴隷制/黒人差別の歴史への言及である、とみることは自然でしょう。

この事件の舞台となるカノーワ・スパー(Kanawha Spa)の名前は明らかにネイティブ・アメリカン由来です。さらにご丁寧にスタウトは、このホテルの棟にポカホンタス・パヴィリオン(Pocahontas Pavilion)アップシャー・パヴィリオン(Upshur Pavilion)という名前を与えています。ポカホンタスは言うまでもなく、ヴァージニアに最初に作られたイギリスの植民地(1607)に深くかかわる人物ですが、もう一人エイベル・アップシャー(Abel P. Upshur)は日本人にはあまり馴染がないかもしれません。

アップシャーはヴァージニア州出身の弁護士・政治家で、アメリカの海軍長官や国務長官(外務大臣)を務めた人物です。政治的には保守主義者、州権主義者ですので、スタウトとは対極にある思想の持ち主です。

さらに重要なのはテキサス併合を巡り、テキサス州を「奴隷州」とする方向を決定づけたのがこのアップシャーだという事実でしょう。このアップシャーの名前をポカホンタスと並べているのは、スタウトがアメリカの歴史に深く刻み込まれている人種民族問題を念頭に置いてのことだと考えても間違いないでしょう。

この作品中で人種問題が小さくない扱いを受けているのは、すでに読んだ方には明らかです。その中心にあるのが第10章に出てくる、ホテルの黒人従業員たちとウルフとのやり取りであることにも異論がないはずです。

ここでスタウトは、ポール・ホイップル(Paul Whipple)という黒人青年を登場させます。ホイップルはハワード大学で人類学を学ぶ学生という設定で、これだけで分かる人には分かるでしょう。ハワード大学は南北戦争後に設立された全米初の黒人大学、それも職業訓練に力を入れるタスキーギ・インスティチュートと異なり、黒人たちのリーダーとなるべき人材の育成を目的とする学校です。そして人類学は、少なくとも20世紀前半にはもっともリベラルとされていた学問分野です。

つまりこのホイップルは、白人との融和や共生よりも白人支配からの脱却や自立を目指す、どちらかと言えばラディカルな思想の持ち主なのです。だから彼が最初、黒人たちにも丁寧に”Mr.”と呼びかけるウルフに対しても反抗的な態度をとっていること、他の黒人たちがウルフに”sir”と呼びかける中で一人だけぶっきらぼうな返答を繰り返すのは当然のことなのです。

ウルフに対するホイップルの態度が変わるのは、ウルフがフランツ・ボアズ(作中ではボーアズと表記されているが、ボアズが一般的)とポール・ローレンス・ダンバーに言及するところ、とくに後者の名前が出たところからです(119-120頁)。ここでウルフはあくまで軽口めかして、ボアズの本にサインをもらったとか、ダンバーのオポッサムへの言及を口にしますが、ウルフがこの二人の著書や作品に触れていることが重要なわけです。それでは一体この二人はどのような人物なのでしょうか。

フランツ・ボアズ/Franz Boas(1858-1942)

ボアズはドイツ生まれのユダヤ人で、19世紀末にアメリカに移住し、1899年にコロンビア大学の教授に就任します。文化相対主義の立場に立ち、ネイティブ・アメリカンの言語研究などを通じて西洋/白人中心の価値観に疑問を呈し続けるリベラルな思想家でした。多くの優れた後継者を輩出し、アメリカの人類学の発展にも大きく寄与しました。中でも有名なのは、「サピア・ウォーフ仮説」の提唱者エドワード・サピアと、『菊と刀』や『文化の型』の著者ルース・ベネディクトでしょう。

もう一つ有名なエピソードを。ボアズは1942年12月1日、コロンビア大学のファカルティ・クラブで心臓発作を起こし還らぬ人となりますが、そこにたまたま居合わせ最期を看取ったのが、その後構造人類学の祖となるクロード・レヴィ・ストロースでした。

ボアズの著書はあくまでアカデミックな研究書であり、一般読者向けの啓蒙書はほとんどありません。日本で翻訳されているものですと『北米インディアンの神話文化』(中央公論新社)や『プリミティブ・アート』(言叢社)などがありますが、いずれも専門家以外がそうすらすらと読めるものではありません。

つまりボアズの著書を読んでいる、あるいは少なくともそれに触れているウルフの知性を、ホイップルも認めざるを得ない、そういう場面であるわけです。

ポール・ローレンス・ダンバー/Paul Laurence Dunbar(1872-1906)

ダンバーはオハイオ州デイトン生まれの黒人詩人・作家です。アンテベラム期(南北戦争以前)の黒人方言をふんだんに散りばめた詩で注目を集め、ウィリアム・ディーン・ハウエルズなどによって絶賛され、アフリカ系アメリカ人詩人としては最も早く白人にも認められることになります。結核のために33歳の若さで夭折しますが、Alain LockeThe New Negro (1925) をはじめ、20世紀初頭のハーレム・ルネサンスの中でも先駆者として高く評価されています。

ダンバーの詩や小説は必ずしも黒人の方言ばかりではなく正統的な英語で書かれたものも数多く存在します。つまりこの方言はあくまで白人のステレオタイプを逆手に取り脱構築してみせるための戦略だったことが、今ではわかります。有名なWe Wear the Maskという詩を読めばそれがよくわかるでしょう。

ウルフはダンバーのことばとして、「オポッサムのすることの中でもっともいいことは、空腹を満たしてくれることだ(”the best thing a ‘possum ever does is fill an empty belly”’)」という一節を引きます。これは出典がはっきりせず、上記リンク先にあるダンバーの詩のデータベースからも検索できませんでした。なので、ウルフがとっさにでっち上げた可能性もあります。

ですがダンバーには’possum’を題材にした詩が数多くあり(”Possum”や”Possum Trot”などという題名の詩もあります)、その内容にしてもオポッサムの美味を讃えるものが少なくありません。つまり、いかにもダンバーの言いそうな(書きそうな)文章ではあるわけで、それはすなわちウルフがダンバーの作品に親しんでいることを示します。だからこそホイップルはここでさらに驚いたわけです。

焦点をウルフから作者のレックス・スタウトに移しましょう。ここでウルフの口から出た固有名詞や文章から、スタウトがウルフをマイノリティに対する理解や共感を備えた人物として造形しようとしていることは明らかです。だからこそ、その後で人種的偏見に満ちた保安官のペティグルーに対して辛辣な言葉を吐くのも自然な行為と映るわけです。こうした細部の意味が同時代の読者でもどの程度理解されたかはわかりません。ですがこうしたディテールをあえて書き込むことで、スタウトが自分自身の政治的スタンスを刻印しようとしていると読むことは不自然ではないでしょうし、そう考えたとき、本作品の中でやや唐突に登場する感のあるBlackfaceにしても、それをスタウトの批判として捉えることもできるかと思います。

本書はこの読書会で初めて読んだのですが、まさに拾い物でした。20世紀前半のアメリカにおける人種問題と北部リベラルの関わりについての絶好の二次資料となるでしょうし、レックス・スタウトという大衆作家の側からアメリカ文学史を照射することで、新たな視座が開けてくる予感があります。

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Tadashi Nagasawa

表の顔はアメリカ文学者&女子大教員。裏の顔はSFファン(おたくの域には達せず)。
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