創作と資料 第三回:トンカチで人を叩くということ
Q:これはなんですか?
A:ケーキ、ラーメン、そして平和への提言です。
特に真面目ではないですし、読まずにお夜食を食べてもいいです。エビデンスは特にありません。独断と偏見たっぷり!
・僕らについて
僕らは、道具を使う生き物です。
電動ドリルを買うとどうでしょうか?
勿論、さっそくギュイーンってやりたいはず。
いい包丁を買えば魚を捌いてみたい。マグロは無理でも、スーパーで売ってる魚を今晩は綺麗に三枚おろし!
可愛い型抜きならば、キャラ弁を作ってみたくなるかもしれないですね。
ことほど左様に、僕らは『道具を使ってみたい』と思う生き物なのです。
昔からよく言うではありませんか。
ハンカチを買うと釘を叩いてみたくなるもの、と(`・ω・´)
決めポーズを決めたところで、さて本日のお題に。
たぶん、大多数の方がこう思われたはずです。
『トンカチ』の間違いだろ? と。
ひょっとすると、『こいつ、こんなことを間違えてる癖に堂々とカッコつけてるとか滑稽だな』とお笑いになられた方もいるかもしれません。
なにしろ、皆さんはお持ちなのですから。
『正しい答え』という『知識』を。
そして、知識は道具です。従って、誤った単語を使った僕をガツーンと『知識』で叩くこともできるわけですね。
僕も結構な石頭ですが、ピコピコハンマー以外で叩かれるとそれなりに痛い。
とはいえ、これは『知識』をひけらかそうとして失敗したパターン。
或いは、教科書や論文や新書を書こうとして失敗したパターンもこれに該当するでしょうか。
道具を使いたがる僕らですが、不適切な場合なのでガツーンとやられてしまうのも、この場合は道理というものかもしれない。
・『知識』でガツーンとやられるのが当然な場合
カルロ・ゼンがお届けする最新歴史学!
『因習にとらわれない織田信長、その革新性に学ぶ創造的イノベーションの秘訣! IOTの時代だからこそ、学ぶべき一冊! 桶狭間で、信長は如何に決断したか?』
とか昨今の研究をガン無視して新書っぽいものを世の中に出せば、それはもう専門家によってたかって『不勉強だ!』と言われても仕方ない。
至極当然です。
ノンフィクションを謳うのであれば、これほど明確なこともない。
それは現実という世界において、知識という道具で十全に仕上げたものを世に問うのですから。
というわけで、ノンフィクションに関して言えば『知識』という道具は使うべきです。使われることは当然であり、それにガツーンとやられるのは過激に言えば不勉強だからです。
誰が悪いって、生半可な知識で知ったかぶりをする方が悪い。
・でも、じゃあ、フィクションは?
フィクションにおいても、ノンフィクション同様に『世界は完璧であるべきで、当然、完璧な知識が前提であるべき』なのでしょうか?
正直、これはかなり疑わしい。
そもそもエンターテイメントとは、字の如く『娯楽』です。
フィクションとは、架空のできごと。創作されたできごとです。
創造されたものを楽しむ娯楽なのですから、『嬉しいか、楽しいか、ワクワクするか』とかがポイントになるでしょう。
題材は実在したものでもいいですが、重要なのは『誰かを楽しませるために創作されたもの』は『ノンフィクション』とは違った物差しで測られてもいいのじゃないのかという点です。
・ちょっとした例で考えてみる。
お恥ずかしい話ですが、昔、父のオフィスには僕が幼稚園の頃に書いた家族の絵(父の絵)が飾ってありました。
父が感動したらしくて、未だに『親になるって大変だったけど、良いものだと思ったんだ』だとかいって額縁に入れてリビングに飾っている(この小噺はフィクションです。麗しい方が頭に入るでしょう? だから、これを読み終えたら忘れてくれて結構です)。
当然、今、第三者としての視点で見れば下手な絵でした(本当に酷い)。
ついでにいえば、厳密な事実に基づいて現実を忠実に描いたものでもありません。
なにしろ、父の指からして5本なかった。髪を上手く書けなかったからか、父の髪は逆立ってぼさぼさになっている。まるで怪獣。そういえば、歯も書いていない。
写実的ではないし、印象派でもないし、野獣派とも言い難い。キュビズムとだって違うだろう(当然である)
でも、寡聞にして父の同僚らから
『へたくそな絵だね。もっと遠近法を意識すべきだ。そもそも、絵の構図がてんでなってない。これは飾る価値がないし、展覧会でもいって新しい絵を買うべきじゃないかな』
とかの評価と助言を頂戴したという話は聞いたことがありません。
或いはこんな感じでしょうか。
職場の誰かが机に飾っている子供さんの手書きっぽい絵。貴方はそれに対して
『○○さん、その絵はセンスないですねぇ。殴り書きの絵じゃないですか。クレヨンで適当に書いたものなんてやめて、おしゃれでナイスなインテリアを買いに行きませんか?』
なんて言いますか?
世の中には色々な方がいると思うので念のために申し上げておきますと、一般に、それは『無粋』と呼ばれる行為です。
なぜならば、『その稚拙な絵』は『受け手』にとっては『この上なく大切で、見ることが喜ばしい物』だからです。
『芸術』という分野について『正しい知識』をお持ちの方だって、『その稚拙な絵』に勝るものを描けるか……というと中々難しいでしょう。
それにあれこれ言う方が、究極の無粋ですよ。
むしろ、『正しい知識』とやらでトンカチを振り回す『自称専門家』に対して眉を顰めるのが道理とやらでしょう。
・ケーキを食べる喜び-それは、何のために?
子供からのプレゼントというのは些か例としては極端ですが、世の中には『的外れ』な批判となりうる場合が多々あります。
例えば、ケーキ。
貴方が『ケーキ』を楽しんでいる時、『ケーキは栄養学的にはバランスが悪い。そんなものは食べる価値がない!』と言ってくる人間に『貴方の忠告は実にためになる。ありがとう!』と心から感謝しますか?
勿論、ケーキが完全栄養食じゃないことぐらいは存じ上げていますとも。
でも、欲するところは?
単純でしょう。
『甘いものが食べたい』。
それ以上でも、それ以下でもない。
『栄養バランスを整えよう』という目的でケーキを食べたのだったり、それこそカロリーに注意しろと糖尿病専門医辺りが『単位が~』とか繰り返している時でもなければ、『美味しいケーキを酸っぱくするな!』が人間の反応というものです。
これが『ケーキだけ食べていけば食事は問題ない』とか信じ込んで、バクバク三食ケーキとかであれば『それじゃあ病気になってしまう』と周囲が気を揉んで引き留めるのも善意でしょう。
ケーキが難病Xを解決する唯一の特効薬だ! とか、事実と異なる主張を始め、他人にも有害なデマをまき散らし始めたら引き留められても当然ではあります。
でも、いい年をして、自立した人間が、自分のお金で『甘いものが食べたい』と好きなケーキを食べているときに、『ケーキは栄養バランスが……』というのは『余計なおせっかいだ!』でしょう。
それは、善意ではない。
単なるご迷惑というものです。
強いて言えば、善意がないわけではないのかもしれないけれども、『独善』とでもいうべきモノに近い。
さて、子供の絵やケーキのように身近でイメージがしやすいものについては『無粋なことを言うなよ』で通じるわけですが、世の中というものは不思議なものです。
ライトノベルやWEB小説というものも、ケーキと同じで『楽しむための物』。
だというのに、『この描写/設定は間違っている。こんなものは読む価値が~』という強烈な言葉が割と平気で流れてくる。
リアルさを売りにしていて、リアルでも何でもなければ『謳い文句と違う!』という憤りを表明するのもいいでしょう。
リアリティと言う点で妥協している! という批判もまぁお好きにどうぞ。
でも、もうちょっと単純に『それは、貴方のためのエンターテイメントではなく、他の誰かのための物』と思うことができると大分平和になると思いませんか?
・道具と使い道について
そもそも、道具の使い方はケースバイケースです。
『知識』というのは一つの道具です。
言ってしまえば、『道具』に過ぎない。
立派な『道具』をお持ちなのは、誇らしいことでしょう。
でも、『道具』というのは使い方次第です。
ゾーリンゲンのステーキナイフ一式を用意して、レシピまで一流シェフから貰い受けたところで、僕では完璧なステーキなんて作れっこない。
だって、僕はシェフでも何でもないのだから。(一流シェフが気まぐれで、そこら辺の家庭用の調理器具で作ってくれるステーキの方がたぶん美味しいと思う)
料理を『創造する』という行為のプロと、アマチュアかも怪しい僕の差ですね。
さて、クリエイター。
クリエイターは、『物語』というフィクションを『創造』しているわけです。
そこに、知識という道具の使い方が稚拙であるという部分が場合によってはあり得るのは事実でしょう。
でも、『論文・教科書』を書いている訳じゃないんですね。
たぶん、
『先生の論文には、エンターテイメント性がない。読み手がちっともワクワクしない論文だし、ここ一番で盛り上がるストーリー展開でもない。こんなんじゃ、まるでエンタメじゃないですよ! 読んでいて楽しくないなんて、読む価値がない!』
なんて学術書を批判するのは滑稽でしょうが、
『このエンタメには、まるで正しい知識がない。こんなの、読む価値がない!』
っていう批判はどうなの?
※まとめ
・ノンフィクションはちゃんとやろう。そういうものだ。
・フィクションに一々突っ込むのって、ちょっとどうなの?
・ケーキぐらい好きに食べてもいいじゃない。
例外:他者を非人間化する行為をエンタメにするのはNGでどうぞ。
僕もプロならばプロとして、ちゃんとやるべきはやるべきかなぁ……とは思うことはあります。でも、自分には自分のやり方があり、人には人のやり方があるというのは尊重すべきです。
まぁ、プロとしてお仕事を世に堕してしまえば、その後はなにを言われるかはさっぱり分かりません。
こっちを絶対に批判するなとは(言いたくても)口が裂けても言ってはいけませんし、人には自由な意見を表明する権利があります。
ただ、それを楽しんでいる人がいるものに対し、『自分の価値観と相いれない』というただ一点で無条件に『これは間違いだ!』って『知識』というトンカチを振り下ろすのは正しいの? 単に道具自慢じゃないの? という視点で一度だけ深呼吸していただけるとより良いコミュニケーションにはなるんじゃないの?
なんだかもやもやしたけど、特にオチはなくお終い。
さて、今日は投票にいって市民的義務を果たしたし、エッセイっぽいものをでっち上げてクリエイティブなことをした気持ちになったし、原稿もちょびっとは進んだし、三つも徳行を重ねた自分へのご褒美気分なので深夜ラーメンに行ってきます。
分かりきったことを繰り替えすのは、やめてください。
お夜食を批判しないで!
僕はラーメンが食べたいのだ。
カロリーの話は聞きたくない!