『外交的勝利』について-ヘルシンキ宣言で考えてみる。 byカルロ・ゼン
Q:ヘルシンキ宣言とはなんですか?
たぶん、悲しいまでにマイナーな宣言ですね。今日では。
さて、どんなものかをご説明しましょう。
ずばり、ソ連の『外交的勝利』である!!!!!
とかなんとかいうと、ちょっと語弊があるんですが……そういうものの『ハズ』でした。
世界医師会倫理綱領として知られる『ヘルシンキ宣言』とは別に、全欧安全保障協力会議(CSCE)の最終文書としてヘルシンキ宣言なるものがあるんです。
ただ、今回は『外交における勝利とは何か?』というテーマで軽ーく、ざつーに、てきとーにやるんで、要点だけ。
取りあえず『昔々、あるところにソビエトがありました。ソビエトは、ヘルシンキ宣言で勝利を確信し、そしてヘルシンキ宣言が一因となって体制が壊れちゃいました』と最初にご記憶いただければ幸いです。
CSCEとサインへの道
さて、ソ連の体制崩壊を誘発する一因となったCSCEという会議。
きっと、邪悪な帝国主義アメリカがNATOみたいに作ったに違いない!
……なんてCIA陰謀論大好きなそこのあなた!
ことの発端はモロトフってやつの提案です。
早速、バックミュージックとしてNjet, Molotoffとか流してみましょう(*‘ω‘ *)
さて、このモロトフ氏が1954年に『全欧州条約』の締結を米英仏ソ4か国外相会議で提案。
第二次世界大戦後でしたからね、戦後処理の確保(ポーランド問題・東独の承認)とか、色々と『戦後欧州のフレーム確定』を目論む動きが図られていたんですね。
簡略化すると
WW2でソ連が勝ち取った勢力圏(権益)を、公認しろ!
という大変(ソ連的には)ささやかな要求。
まぁ、アメリカみたいなのからは
『バルト三国併合どうみてもNGじゃね? ソ連のそれ、正当性あるん? だいたいさー、どう考えても、東欧って誰がどうみてもソ連の軍事占領下でしょ? 常識的に考えて、ソ連の勢力圏を追認する宣言とか認めるわけないよね。そもそも東欧諸国で臨んでソ連側にとどまる人々どれぐらいよ? それを自由を愛する合衆国が公認しろって? マジで言ってるの? マジ?』
みたいな大反発が。
当然、まとまるものも纏まらない。だけれども……色々とあってついにデタントの必要性を西側諸国も認めました。
かくして、モロトフ氏の提案から18年ぐらいたった1972年にヘルシンキにおける大使級準備会議がスタートしました。やったね、モロトフ。
(なお、ご存知の通り、モロトフっていうのはソ連の外相だったりします)
対する、米国は卑劣な牛歩戦術ならぬ引き延ばし! 兎に角、嫌だ、めんどうだ、やりたくない……頑張り、結局、最終的な文章ができるのは1975年!
と言うわけで、1972年から延々と『ソ連のイニシアティブ』で頑張った結果、1975年に『ヘルシンキ宣言』として西側・東側が合意しました。
米国世論の大反発
当然ですが、欧州の現状(ソ連覇権)を追認する文章に(米国・NATO諸国が)サインするとか米国をはじめとする西側では『大不評』。
当時のフォード大統領なぞ散々に批判され、『基本的人権や自由な往来は決して悪くないんだよ!』と懸命にサインするのを擁護したんですが……当然ながら、デタントの必要から不承不承サインした模様。
※ちなみに全米のメディアにぼっこぼっこに批判されました。
挙句、CSCEがらみの失言とかもあって
There is no Soviet domination of Eastern Europe
https://www.realclearpolitics.com/lists/debatemoments/geraldford.html
なんと1976年の大統領選挙で落選。
ソ連共産党、Vへ大きく前進(か)!
東側? 有頂天モードですね。
1)戦後国境の不可侵
2)東独の承認
→ソ連がWW2で勝ち取った権益を西側が完全承認だ! とブレジネフ氏は勝利の決めポーズ。これだけみれば、誰がどう見ても偉大なソビエトの外交勝利。
宣言全文を党機関紙他で刷りに刷ってばらまき、自慢のアピール。
まぁね、ちょびっとだけ『参加国は思想とか人権だとか自由だとかを尊重する』って譲歩をアメリカのためにしてやったけどね?
これ、ソビエトの1977年憲法に『人権と基本的自由の尊重』を掲げてやったけどね、『内政不干渉』っていう大切な原理原則もあるからね?
米国をはじめとすると『外の連中』には、ごちゃごちゃ言わせないのさ。
ソ連の国内法秩序に影響はなく、対外的には正当性を獲得し、完璧じゃん……とすげぇ喜んだソビエト、東側陣営。
Vやねん、ソビエト!
おもわぬ展開
ところがどっこい。
『ソ連等の反体制派』にとってみれば、『宣言違反だ!』と叫ぶ根拠をプレゼントされたのです。なんせ、ブレジネフさんの憲法にすら書かれていますからね。
もちろん、西側があーだ、コーダというのはNG。でも、『その国の市民』が声を上げるのは、内政干渉ではないですよね?
さらに、『履行をチェックするフォローアップの仕組み』とかも盛り込まれてましたよね?
OH、つまり、例えばソ連市民が『宣言を履行しろ!』っていうのを無視すると……『チェックに引っかかるね』?
さて、頭の痛いことがもう一つ。
ソ連にしてみれば、現状を認めさせるささやかな代償として、西側のありがたがる『人権』なるものを認め、渋々人的交流も認めてあげたんですが……。
※当然、清く正しい共産主義勢力は、少数民族の権利などをきっちり擁護! 『分かってんよな? お前ら西側だって、人種問題や民族問題ちゃんとやれよ?』とばっちり釘さしました。(ユーゴスラビア等の提案らしい。おや……?)
西側(腐敗した帝国主義者と強欲な資本主義者の巣窟)へ、(清く正しい)東側から旅行した人々が『あっちの方がいい!』と言い出す始末(昔からそうだったけれども、『交流』が宣言に入っていたので、止めにくいのだ)。
おや……?
とか、なんとか、こう、ちょっとソ連は大変なことになります。
超カッコイイソ連的大勝利(予定)
A:ヘルシンキ宣言で『領土』は認めさせた。
B:ヘルシンキ宣言で『内政不干渉』も認めさせた。
→つまり、外部からの問題は排除して何一つ問題がない。
現実
A:反体制派が『ヘルシンキ宣言を根拠に体制批判』
B:『内政不干渉』の原則はあるが、『協定履行』を確認するのは条約にある。
C:ヘルシンキ宣言の履行を要求する反体制派を抑圧すると、Bで突っ込まれる。
→ぐぬぬぬ
さらに頭の痛い展開に
『東欧諸国がソ連から離れる(民主化する)』際に、『ヘルシンキ宣言曰く、内政不干渉!』と唱えていたソ連が『ソ連から離れるとぶん殴るぞ(ブレジネフ・ドクトリン)』を東欧へ適用しえるの? という問題に。
プラハの春は粉砕で来たけど、連帯はどうなの……? とかなるソ連。
こういうわけで、領土確定大勝利のはずのヘルシンキ宣言が、『ソ連の体制へブローパンチ』となる不思議な展開へ。
もちろん、この宣言一つでソ連の体制が決定的に崩壊したわけではないんですが、間違いなく『一因』としては大きなものが。
今日の結論
Vやねん、ソビエトと喜ぶのは早かったのだ……。
と言うわけで、誰がどうみてもソビエトの『外交勝利』と目された文章が『致命的大問題』となることもあるって話です
当事者が予想だにしない展開。これだから、現実って楽しい。