女性起業×動画クリエイターになるまでの道 vol.2

ここまでの私の

OL生活を経て、写真、動画が好き!から未経験で動画クリエイターになるまでの女性起業家としての成長期

を記していっています。


ふつーーーーのOLさんだって

地方にいたって

なんの資格もなくたって

未経験のことだって。



独立して生きていけるほど

(考えるとOL時代からは8倍くらいになってる!)


そしてお仕事の絶えない、

そんな動画クリエイターになることができました。



ここまできた道になにがあったのか?

今の私ができている素っていうんでしょうか。



コネクティング・ザ・ドット


というように、

今までつないできた「


ターニングポイントだったり、

”とのご縁について

今日も記していきますね^^


・・・・・・


vol.1では、

就活を経て新卒で入社した会社、人とのご縁を記しました✨



さあ今日はその会社へ入社後。



私は1年でやめています。



運命的なご縁だったんですが、

さて何があったか(笑)



早い!というお言葉はごもっともすぎるので、

ひとまずスルーさせてください(苦笑)




私がやめるまでに行っていたことは

エンジニアさんの派遣先をとってくる新規開拓営業でした。



機械系、電機系、システム系の設計やもろもろができる方々の

転職、というか私の会社から派遣、って形になってもらう


ので、私はその方々へのお仕事をとってくる!


って感じのお仕事です^^



メーカー企業をリストアップし、

1日100件のテレアポ、

そこから「来てもいいよ」と言ってくれる1件2件へ新規訪問し

会社説明から希望される人材像や業務内容のヒアリングを行う。



登録してくれているエンジニアさんの経歴書ファイルから

該当者を探し連絡し

仕事の説明や現在の状況等を面談。


経歴書の概要と見積を作成し企業側へ提出。


企業との面接に同行し

無事に!内定から就業中において管理・フォローを行っていく。



そんな感じでした。


そしてメールや電話の対応といった社会人基礎力は

この時学んだかなと思います。



まま、営業マンの方だったら

大まかなことは変わらないんじゃないのかと思いますが、



パソコンを使って事務作業ができたので重宝されたり、

(メーカー等エンジニアがいそうな企業を探しリスト化、登録者のリスト化、履歴書→(面接時に仕える)経歴書への書き換え、会社訪問時のオリジナルヒアリングシートの作成など)


営業活動による移動時間が多かったため、

個人的に通信関係(iphoneやパソコンを買って)を整え、スキマ時間の整備に取り組んだり


また、
ほんまに小さなベンチャー企業だったので、ブランド力は弱く、

(やはり大手はリクルートさんとかなので)

小さな世界でした。


けど、だからこそ融通がきいたし、

営業だけでなく

採用活動の説明会を担当させてもらったり。

(学生向けに会社説明のパワポを使って2時間のプレゼン、質問の応対など。日頃は営業なので、質問には親身に応えられた)



それに加えて部署異動も多く、

4月当初は看護師の紹介事業部へ配属。


入社時憧れていた女性の上司には
そのヒステリックさに辟易し、会長へ直談判して希望していた

エンジニア派遣の部署への異動をなんとか獲得。


(vol.1でも書きましたが、インターンから入った新卒1期生だった事もあり、ひいきされる方だった)



その2ヶ月後には、受託開発を請け負う部署へ異動し、

設計者さんと同行営業を行う経験も積む。


(専門用語が多い中、知らない事を勉強する事は楽しく、

 年配のベテラン技術者さんからはウケがよくたくさん教えてもらえた)



「なにかを創る」ってことには興味があったため、

テレアポで見つけた新規先から設計図の受注依頼はなんとか獲得。


ただ無理くりとった仕事のため、手間がかかるが売上は小さく反省したり。


そんな感じでお役に建てず・・・

部署は閉鎖に(T_T)


7月には

エンジニア派遣の部署へ戻される。


TOP営業マンの先輩とともに兵庫エリアの開拓チームに
抜擢され、エリアの小ささに苦しみつつも

(兵庫は大きな会社が多いが、企業数が少ない、
 他チームは企業数の多い大阪・京都・滋賀がエリアで嫉妬…)


10月にはついに!

新規で大手企業への風穴を開けることに成功!!


3名の技術者さんを送り込み、管理させてもらえる事に。


と、紆余曲折…


というか、そこまでの目まぐるしい半年間のあいだに

ほぼ売上ってのを建てられていなかった私は

数字を追うことにすでに疲弊していて・・



大口がとれてよくやった!!と褒めてもらえはしたものの


ようやくとれた新規獲得に、私の中でのやりがい的なものは薄かった。


「取りたかった数字ってこれか・・」


なんても思ったりしていた。



毎日、

9時から終電まで電話リストを作成したり、

案件に該当する候補者を探すために500枚ほどの経歴書を

ひたすらめくる生活スタイル。


それがやっと報われて

電機業界の大手企業への新規ルートを開拓することに成功!


でも、肩をなでおろせたのは束の間で。



新規開拓の営業マンとしてのルーティンは変わらず、

数字のとれない苦しみはずっと抜けない。



常に新規獲得を目指さなければいけないことに苦悩することは

変わりませんでした。


そして、派遣の決まったエンジニアさんの管理・フォローをするうちに、

”人”を商品として扱うということにジレンマを抱えるようになりました。



お客様の要望と技術者さんの夢(=経験はないけどやりたい事)は

マッチングすることが少なく


(企業側は派遣エンジニアに対して「○○ができる、即戦略になる人」を求めているのに対して、エンジニアさん側は明らかなスキル不足(実務不足、コミュニケーション能力の低さ))
 

だからもう最後は、「やる気があって真面目な方なんです!」など

人柄でしか推薦する所がなく…企業側のお客様とも苦笑い


なんてことが続いた。

しかもようやくこじ開けた先に派遣でいってもらったエンジニアさんは



通いなれた職場への派遣を無理やり変更させ

片道3時間の通勤を強いることになったベテランの方。



やりたい想いとは裏腹にスキル不足、

また派遣先とのコミュニケーションがうまく取れずクレームに

なってしまった方。



真面目な実直さでとてもウケはいいものの、やはりスキル不足がいなめず「いい人なんだけどね・・」と数ヶ月で派遣終了となってしまった方。


数字がとれないうちは

面接してもらうまでが大変だったり・・

だけど「管理」をさせてもらうようになってからは

企業側が求める人材像をあてこむ難しさを痛感。


逆にエンジニアさんのステップアップを夢見る仕事先を

探しきれない不甲斐なさに辟易。



人材マッチングの醍醐味とも言われていた


「Win−Winの関係」


ってものはとてつもなく薄く、


無理くり押し込むような営業しかできない自分に日々、

落ち込んでいきました。



そしてそんなやりきれない想いで電話をかけ続けてもうまくいかないし
毎日なんのために残業して休日出勤してまでやっているのかわからず
毎朝出社するのが辛くなりました。。


会社としても無理くり押し込んだ後に起きるトラブルに

後手後手でしか動かない様子を見ていて、
先の見えなさに嫌気がさすようになっていきました。。



・・・・・


そんな時、成人式以来の再開となった幼馴染

久々に飲みに行ったんです。



そして入ったバーのマスターからこんな話を聞かされます。


女の子の営業は、もって3年だよ



「女の子は無理しちゃって、生理も止まっちゃったりさ・・」

「もうたくさん見てきたよ・・」


なんて

会話をして悟りました。



石の上にも3年、って話。

新卒で入ったなら3年は・・


とかとか、せっかくのご縁で入った会社をやめる


なんて選択肢はなかったものの。



でも、自分が限界点にきてるんやな


ということを理解しました。


マスターがいうように、

実際に私もストレスで、それこそ生理も止まっていたし

休みの日にマッサージに行くのが唯一の楽しみ、、


なんて状態だったからです。


「なんのために頑張ったらいいか?」


自分がわからなくなってきていました。


けど、実際

やめるって?


正直現実をつきつけられ

目の前が真っ暗になりました。



そしたらね、



「初めての挫折ちゃう?」って



幼馴染から言われたんです。



小中高と私を知る幼馴染にとって

私は学歴至上主義の親元で育ったこともあり

塾通いの末、難関大学にも受かった自慢の友達、

だったそうなんですが


その幼馴染も

美容師を目指し、けれどもヘルニアを患ってしまい

道半ばに夢を諦めて・・


けれど弁護士事務所に事務員として

働きにでだして結婚も間近に^^


ちょうどそんな時でした。



「翔ちゃん、何度だってやり直せるよ」



幼馴染はそう言ってくれて。


「私も美容師って夢は1こなくなったけど、

 弁護士事務所って全然知らなかった世界、面白いよ!」と。


「新しい彼ともうまくいきそう!」と。


だから・・・


「翔ちゃんだって、道はその仕事だけじゃないよ^^」


そう言って笑顔で背中をさすってくれました。


地元の駅前にある鳥貴族で散々愚痴を聞いてくれて

さらに撃沈することになったバーからの

帰り道。


「今まで、ずっとうまいこと来てたからかな?めちゃくちゃ怖く感じるだけやで!」と。



私はやっと涙を流せました。

腑に落ちて(笑)



毎日疲れすぎて

泣くこともできずにいた私。



けど、「ああ、そっか・・・」とやっと諦められました。


結構頑張ったな、と。






そして、じゃあどうする!?と。

泣いてちゃだめだ!


という気持ちも出てきました。


人生を転換させよう。



その想いで。



そこから半年かけて

転職活動をはじめることになります。



・・・・・


はい。

ご縁を感じて始まった新社会人生活でしたが


頑張り方がわからなくなってしまった私。


久々に幼馴染という、私をよく知っている、、

けれども第3者的な友達に会って話せたことで


迎えられた「ターニングポイント」だったと感じています。



今回は少し大変だったりメソメソ部分を書き出してみましたが


そうして

私は次の「点」へ向かうことに。



また続き、記して行きますね^^!




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?