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「式浦躁吾」さんという中毒性。


式浦躁吾さんの音楽との出会い

最近の

#私のプレイリスト  なのですが、

ある方のプレイリストを少し試し聞きしたところ↓↓

1曲目の「身体は正直だって言ってんの」に衝撃を受けまして。
それが式浦躁吾さんとの出会いです。

チャンネル登録数12万人とのことで決してコアな方ではないとは思うんですが、
何で今まで存じ上げなかったんだ!と悔やまれる位。



式浦躁吾さんの音楽の魅力


ネガティブさが心地良い不思議

歌詞は赤裸々でネガティブな傾向ながら表現が独特で、
陰鬱な心さえも鮮やかだと思えるほど弾む様に心地良い。
そんな楽曲はすべて非常に中毒性が高く、
何度も何度も繰り返し聞いてしまう。

これが個人的には強い魅力だと思っています。

だから気持ちが
ポジティブになる!という訳でも、
凄く病んでいく訳でもなく。

ただ、聞いていて心地いい。


人生よりも日々の生活に溶け込む音楽

壮大な人生をテーマにしているというよりは、
「日々の生活」という日常が焦点になっていて
それが私たちの中に染み込みやすいのかなと。

映画の様ではなく
ありふれていても
それが私の世界のすべてだと。


人間の正しい矛盾、純粋な狂気

正解か不正解か、
というよりは
心が絡まる「正しい矛盾」を。

純粋か不純か、
というよりは
感情が暴走する「純粋な狂気」を感じる。

相反する様で、
実際はその混沌が人間らしいのかなと。

そう思わせてくれる。


一節で背景を想像させる天才

歌詞を聴くと
直接的には言わないけど、
その一節で
「こんなことがあったのだろうな」
「こんなことをされたのかな」
「こう思っているのかな」
と想像されられるようなことが多いなと思って。

説明しなくても感じさせることが出来るって、
天才だと思うんですよね………………………
聡い。



揺れ動く乙女達が魅力的

YouTubeが一番わかりやすいですが、
曲のそれぞれのサムネも中身のMVも、
みんな可愛い女の子がひとりで写っている姿なんですよね。

この一貫性は、
音楽だけでなくInstagramなどでも使える
印象的に素晴らしいテクニックでもあると思います。


シンプルながら味わい深いMV

MVは前述で書いた女の子たちが登場するわけですが、

どれも視点が固定されていて、
わずかな表情や目線などの挙動で、
繊細な表現が成されているのが好き。

笑い方ひとつでも
強がっているのが読み取れるし。

途中の場面の切り替わりのイラストも、
ただ関連性があるものをぱっと描かれているのではなく、
感情が乗り移ったように動きが表現されていくのがいい。



「身体は正直だって言ってんの」

彼の曲の中で最も人気が高く、
私が好きになるキッカケでもあった一曲。

端的に言えば
「身体の関係はあれど愛されない女」
の感情が描かれています。

女の子がメイド姿なのは
行為が「奉仕」に近いということを表しているのならそれは深い…。
手首の傷も生々しい。

心も体も愛されたいのに愛されない。
官能的でありながら切ないメロディ。

ただこの曲も、

切なさというには綺麗過ぎる、
強い独占欲に支配された狂気。

強がりというには単純過ぎる、
心から愛されない事への葛藤。

それらが非常に魅力的。

あと細かいですが、
「みんな私が〇してあげるから」
の〇のところが見えないようになっているのもなんか憎い。


「先生のこと好きになっちゃう」

先生と生徒のあらゆる意味で限定的な恋愛模様を描いた一曲。

まず「脳が痩せるくらい」って表現が思いつくのが凄い。
単純に言うと
夢中になりすぎちゃう、
馬鹿になってしまう、
とかかな。

「綺麗なまま終われたらいいね」
「幸せだけを切り取って」

の切なさの破壊力がやばい。
それはつまり…ということは言わずもがな。

終盤に「先生のこと好きだったんだ」と過去形になるところ、
女の子がピアスをつけなくなっていることろとかも細かい…


「生活は簡単じゃないね」

惰性的で憂鬱なはずなのに、
不思議とさっぱりしている。

「燦燦と降る憂鬱」ってすごい表現だなって。

献身的であったこと。
一時でも愛したこと。

すべてが曖昧で惰性的だったけれど、
後悔しても無駄だとは言いたくない。

最期の表情が、
もう失ってしまったあの日を、
もう失ってしまったあなたを、
失うことが出来ない気持ちを、
物語っていると思った。

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