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二つの出会い

コートの襟を立て、車から降りる。早朝のためか、月極めの駐車場に外の車は見られない。
 一瞬、朝の冷気にたきされ肩をちぢませる
身震いしながらバックの紐をかけなおし駐車場から続いている隣家の塀に沿って、職場に向かう。その塀は、おおよそ10メートルほどで途絶えてしまう。途絶えた先には西向ききの玄関があり、玄関前のポーチには目隠し代わりに煉瓦造りの植え込みがある。

 その道は、通い慣れた裏通りであるだけに、小さな植え込みには、五、六本の椿が、植わっていることも知りつくしていた。
 また、その辺りを通りかかるころには、塵取り(ちりとり)と箒(ほおき)を手にしたエプロン姿の老女と出会わすのが、日課の様になっていた。

 還暦もだいぶ過ぎたと思われる老女は、植え込みのある家の家族と見受けられたが、いつも忙しげに道端に捨てられたからし類を小気味よく掃除している。
 それは、半年もまえになるある日の出来事であった。
 いつものように植え込みのところを通りかかると、その足許の方から野趣に富んだ野地菊が、可憐な花を覗かせていた。決して好条件とは言えない環境の中で、殺風景な道路にむかい花を開かせている。
 その風情に目を向けていると、いつものように老女が出て来て視線が合う。
老女は早朝のわずかなの時間を惜しむかのように、その日も手早く道端の掃除にかかっている。
 
 別にこちらを気にとめた様子もなく、こちらも毎朝のことであるだけに、無言で通り過ぎてもおかしくはなかった。毎朝顔を合わせるだけのこととはいえ、いつかは言葉を交わさなければならないときも来るであろうと考え「いつも奇麗にされますネッ」
と軽く会釈をし、老女の前を通り過ぎた。
 その言葉の裏には老女から「いいえ」とか「早いお出かけですね」のありふれた朝の言葉を期待しての挨拶ではなかったが、毎朝通りかかる通行人とその住む人との軽い対話はあるものと思っていた。
 
 通り過ぎ数歩進むうちにも声がない。こちらの声が聞こえなかったのかなッ、それとも知りもしない男からの声に返事することもなかろうと思われたのかと詮索し、がらにもなく挨拶した自分が甘かったのかと悔やみ、黙っておけばよいものをッと自嘲する。
 照れ臭さをかくすように大きくふりかえり、老女はと見返えすと、風に翻弄される紙片を老女は精一杯、追っていた。

 そのような事があってから、別に臆したわけでもなく、ただ朝の挨拶というものがなく、今様の不干渉の中の安らぎというもは、
これほど味気ないものかと感じながら、その通りの往き来を繰り返していた。
 
 ある日、老女の掃除が早かったのか、エプロン姿は見当たらず、奇麗に箒目のついた道端を通りかかると、植え込みの中の椿が一輪
開花しているのが目にとまった。
 
小さな植え込みでありながら、秋には野地菊を足まわりに開かせ、早春には椿を楽しむ家人は、よほど花を好まれている人だろうなと私なりに空想し、膨らんだ蕾とともにその椿を眺める。ひかえめに、猪口咲に開いている花弁の姿態と花芯から、そこに咲く椿一輪は、侘助(わびすけ)と呼ばれている系統の花であることは、私にも理解できた。
 またその横に植え込まれている椿は咲き遅れてはいるものの、白色系統の物と思われる。椿は最近まで多くの人に嫌われていたなどの話ま耳にするが、一方炉の季節の花としても珍重されており、白玉椿は、めでたいものとして使われているなど、浅い知識を蘇えらせながら、花芯を眺めていると、その花姿に魅せられてしまった。
 通勤の時間帯とは言え、少し早めでもあり、その場所が裏通りの一方通行というところであるため、人通りもさほど多くはない。
 それでも一人また一人と通りかかる勤人風の人達は、小腰をかがめている私の姿に、いぶしかしげな眼差しを投げかけて行く。
 
 私は、バックからカメラを取り出し、花の構図を考えながら花弁を覗く。ファインダーの曇りをきにしながらも、花の姿にみとれているため、自分のすぐ側に近づいている人の気配は感じながらも。その人に気をとめるでもなく、レンズの中を覗き続ける。
「侘助ですか?」わびすけ)突然背後から重みのある声がかかってきた。「ハイ」と言って振り返り「そのようですネ」とこたえる。
 そこには、黒っぽい毛糸の分厚い感じの上っ張りを着重ね、同色の毛糸の襟巻きをし、ダブついた厚手作業着のようなズボンを履いた老人が立っていた。
 
 顔から頭にかけては、長い襟巻きて包んだようにしているが、短く刈り込んだ白い頭髪が、襟巻の縁からのぞかれる。
 大きく見開いている眼は、優しさにあふれている。「椿が好きですか?」低いが巾のある声で尋ねられる。その人は早朝城山登山の人とは足元が違い、時間的にも場所的にも、全く場違いの感じのする人で、すぐ近くに住まわれる人ともみられるが判然としない。ただそこにたたずむ老人は、花を好まれる人であることは。直感的に察する事ができた。
 
 「お邪魔しました」と会釈をし、異容な感じの後ろ姿を、底冷えする街並みの中に残しながら去って行った。
 その後姿、嵩張った(かさばった)襟巻きを見送りながら、なぜか気をひかされるものを感じた。異容な老人とはまったく面識もなく、その場限りの声を交わしただけの交わりであったが、なぜか遠い昔に見かけた人の幻像のように浮かんでくる。
 
 その幻像と老人とを頭の中で重ね合わせてみるが思いあたるふしもない。椿を愛でる言葉だけの交わりであったが、それだけにしきりと気にかかる。落ち着かぬまま職場に入り、それまでの気持ちは一掃される。
 
 机上に置かれた地方紙に目をとおす。無造作に開いた文面に ぼろ着て着ぶくれて、おめでたい顔で と刻み込まれた達磨大師に似た版画が登載されていた。
 
これを見たとき、さきほど言葉を交わした異容な老人を思い出した。山頭火の生きざま何ひとつ知らず、語るすべすらわきまえてもないが、早朝の街中で二つの出会いの中で、自由律をかもし出す風貌をもち、何のてらいもなく、花を奏でる言葉を交わせてくれた小さな出来事、その街角を通るたびに思い出されるであろう。
 椿の花が咲きつづけるかぎり。

建築設備だより 平成二年四月 会報18より

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