袋町夜話続き

 その後悠々非常線を突破し、潜行逃避を続けていた林犯人は、ついに安芸の宮島に現れ、旅館の販売部で子供シャツ及び土産の菓子を十五円五十銭で購入し、妻子に送達してきた事実が判明、妻子への思いが募り、帰松するであろうことを推認した捜査陣は、隠密うちに厳重な警戒網を敷いた。
 
 事件後三ヶ月経過した昭和十六年六月十二日松山に舞い戻った林は、衣山から潜入しようとしたが張り込み中の警察官に発見され再び逃走。その後の足取りが、松山駅裏、南江戸から、西山宝塔寺付近まで、確認されたところから松山署は、大手町、萱町、出渕町、新玉町を中心とした大捜査網を布き、三津浜も松山署に協力、第一陣は大峯台、久万の台を中心に、左翼は南斎院で松山署と連絡其の間東、西長戸、衣山、山西、味生を、一線で画し、水も洩らさぬ堅陣を張り、第二陣は、白石鼻から新刈屋、梅津寺、内港、大可賀に至る主として、海岸線を警戒して海上脱出を防ぎ、其の間を自転車隊が絶えず往来して緊密な連絡を保ち、南に隣接する郡中署では、林犯人の実弟が、管内に居住していることから署員を総動員し管内主要地点を固め、夜に入っては、警防団の応援を得て厳戒態勢をとるなど県下警察力を挙げての捜査であったことが、当時の記録、報道資料等によって明らかにされている。
 
このような経過をたどる事件の概要等は勿論、知るよしもなく、ただ推測と虚説で巨大化された「林犯人」という言葉に怯え、家族は六帖の店の間にたむろし、表通りの人声や足音に思いを凝らせていた。

 時の経過はさだかでないが、突然「ピピッピピッ、」と、闇を劈くように警笛が鳴り響く。
方向は裏庭の方向で遠くはない。極度の驚怖から母の膝に手を伸ばし膝頭を握りしめる。

 表は警笛の響きとともに足音がはげしくなり五人、十人、十五人と増えるにつれ騒然とした雰囲気が続く。
 
数人づつ走る足音は東へ西へと交又し、怒号に似た人声も聞こえる。

しばらくして表の様子に集中していた父は、店の戸を開け闇の中に飛び出した。

 一時して帰ってきた父の顔は、それまでの緊張から開放されたかのように柔らぎ、
「とうとうやってきたぞッ、裏の田村のとこで林犯人が捕まった。光こい、林犯人を見せてやる」
と、声が弾む。子供に万一のことがあってはと母はとめるが、そんなことにかまわず
「来いッ!連れて行ってやる」と、手を取り、三軒西隣りの角から、北に折れ、袋町に入る。
袋町は道巾三メートルほどの路地で、大手町に抜ける。その中ほどにまで進むと田村という家。前は人だかりがして前に進めない。
 
「肩車してやる。はよう乗れッ」
父の声に急かされ、父の肩に乗るや人混みの中を縫って大手町まで出る。
 
袋町を出た角地に「川端」という八百屋があったがその前は沢山の人がごったかえし、黒山を築いた有様で林犯人を罵倒する声と、逮捕を喜ぶ歓声で、湧きかえっている。
 
「林犯人がわかるかッ、手錠をかけられとろが、それが林犯じゃ」股の下から呼びかける父の声も、周囲のどよめきに消されがちになる。言われるまま人混みの頭越しに中央を覗く。
 四、五人の大人が一塊りとなり道路に座り込んでおり、いっれが犯人かわからず、見たこともない手錠などは目につかず、群衆の人波に押され戻され揉まれているうち
 
「コラッ、そこのかんかッ」と、警告する巡査の誘導で一台の自動車が到着した。

  林犯人を含む数人の一団はもつれあうように自動車に乗り込み
走り去った。
興奮した人達は、吉報の喜びに酔い浸りその場を動く気配もなくたむろするなかを、父は私を肩にしたまま袋町を引き返し、林犯人が潜んでいた田村宅の竈場に入らせてもらった
 
それも次々と尋ねてくる人波に押され流れこんだも同然であった。
 
当時の家庭の「おくどば」は、茶の間より一段低い土間にあり、薪で煮炊きをしていた時代のことである。
 
 田村家の「くどば」も同様で、壁は煤のため真っ黒に汚れている。
「くど」の上部は煙の抜けぐち代わりに開けられた破風の穴がある。
 
穴の下の壁には、煤が除き、三条四条と白線が鋭く壁に残されている。薄暗い「くどば」のなかで不気味なほど白いこん跡が目を射る
 
 家人は厠へ行こうとしてふと「くどば」を見ると「くど」の下の方で何か動く気配を感じ気味が悪かったので、大声を上げるとすぐに巡査が来てくれたッ。
犯人は「くどば」の上の穴に手をかけ、必死に逃げようともがいたが、巡査に足を持って引き摺りおろされ首すじを押さえられて捕まった。
 壁の白い線は林犯人がつけた爪あとよ」と話す。
 
家路につく道すがら「手錠言うたらの、動くほど締まるんぞッ。犯人の手首に食い込んどるかも知れん……」しきりに話かけてくれる父の話も、それまで抱いていた怖さ一辺倒の林犯人のイメージもしだいに薄らぎ、それとは裏腹に、煤壁に印象された白い爪あとの残像が強烈に目の前に浮かび、それが、林犯人という言葉と交錯し恟々となる。
 
 肩車の上で、背筋に寒気をおぼえ体をくねされ振りかえると何も見えず、袋町は闇に包まれていた。

 百年ぶりと言われる記録破りの酷暑、うだるような暑さのなか大手町の菩提寺で亡き父の五十回忌法事を終わらせる。
 五十年という永い歳月の流れの中の思い出は、年を重ねるごとに親への思いと、生まれ育った子供の時代が恋しく町並みを求め散策する。
 
昔の面影を残すものは、出渕町(三番町七丁目)に所在する古刹、最広寺山門の石橋だけが、その名残りをとどめている。石の火照りを受けながら、今はなき袋町の昔の夜を思い出す。  終わり

参考文献
伊予新報昭和十六年三月十四日〜同年六月十四日
海南新聞 昭和十六年六月十四日付
デカ部屋おぼえ書き 白石和夫著

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