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日記 #あの頃の私たち


先日、中学のときの友達に会った。高校で外部進学していった子で、もう一人の外部進学した仲良しの子と文化祭に来るらしいからチケットを渡しに行った。

中1のとき仲良くしていたいつめん(懐かしい響き)の一人で、部活のない日は一緒に帰っていた子。今回はその子と会っての心境について考えていこうと思う。


その子は中3の終わりに学校を休みがちになった。不審に思って理由を聞いたら高校受験をするらしい。ずっと高校まで一緒だと思っていた私は、そんな話は聞いていないと彼女を問いただした。なぜ学校を変えるのか、なぜもっと早く言ってくれなかったのか、なぜ、なぜと。
彼女は言った。
「親の決めたことだから。本当は私だってみんなと同じ学校に行きたいよ。」と。
今なら分かる。あのときの彼女の言葉が彼女の本心であったこと、学校が好きだったことが。でも、あの頃の自分は想像力が足りなくて猜疑心だけが強かったから、本当は学校が嫌になったんじゃないか、私のこと嫌いになったから内緒で受験して離れようとしたんじゃないかと疑って、結局疎遠になってしまった。


二年ぶりに彼女との再開を果たして、私は彼女のこういうところが好きで仲良くしていたんだなっていう中1のときの気持ちが蘇ってきた
・何を言っても変にツッコまず受け流してくれるところ
・簡潔なLINE
・私が話題に詰まってもたくさん話題を供給してくれるところ
・私の優柔不断な買い物にも付き合ってくれるところ
・パーカーばかり集めってしまうところ
・面倒くさいのが嫌いで愚痴ばかり言うけど人を否定するようなことは絶対に言わないところ
・高校の情報を共有してくれるところ
・人に気を遣って合わせようとするところ
・人を待たせないように急ぐところ

思い出した。彼女はサバサバしてるようで、人のことは絶対に傷つけないところが好きで、一緒にいて心地よかったんだ。私はまだ自分のことが好きにはなれないけど、彼女といるときの自分は少しだけ好きだったな。

彼女に 親友と話すような人生についての話題 を持ちかけても、めんどくさがりな彼女は軽く流してしまうだろう。ぱっと考えても答えの見えない問はなかったことにする彼女だから、私も難しいことを考えずにすむ。


生きやすいってこういうことなのかな、そりゃ未来のこともいつかは考えなきゃいけないけど、現実逃避したっていいじゃない。
先生も言ってたよね「友達に頼るってことは悩みを話すだけじゃなくてその悩みを忘れちゃうくらい一緒に楽しませてもらうことだ」って。


ありがとう。文化祭ちゃんと来てね、私のクラス寄ってね。また会おうね。

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