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「祈り」と「遠隔ヒーリング」はなぜ効くのか!? ーその1ー

私は公認心理士や臨床心理士の資格で主にカウンセリング業を営んでおります。

このようなnoteを書くぐらいですから、昔から神秘的なことに関心がある人生を送ってきました。心理士を養成する大学院でも、研究テーマはトランスパーソナル心理学であったりと、あまり周囲の人とはテーマが違うので話が合わないことがほとんどでした。

TM瞑想のグループ実習

大学院の時には、TM瞑想の上級瞑想を行っていました。このTM瞑想の上級瞑想は、調和する波動が通常のTM瞑想よりも強力は波長を出すので、グループで瞑想をすることによって、その調和の波長が地域や世界に波及し、社会の肯定的な現象に貢献できるということでした。

実際に、グループで瞑想するときの効果も大学で検証されており、それはマハリシ効果と言われるものです。具体的な結果としては、犯罪率、自殺率、事故の減少などという現象が統計的に優位な割合でみられるというものです。

TM瞑想を普及する「マハリシ総合研究所」はよくこの研究結果をもとに、話をしていたものでした。この実験は有名ですが、初めから効果を信じこんでいた人々による実験検証なので、結果に無意識のバイアスがかかっているのではないか!?というような、よくある反論もあったものです。

しかし、いずれにせよ非常に意味のある研究であったと個人的には感じています。

グループ瞑想をすることで、地球をヒーリングしているというイメージです。

臨床心理学の目的とグループ瞑想

臨床心理学の目的の一つは、当然ですが虐待、いじめ、精神疾患、自殺、依存、犯罪などの現象を緩和し、癒し、解決し、再発を予防するということが目的にあるかと思います。

そしてそれらの個々の現象は、個人を取り巻く家庭や社会といった環境との相互作用で生じます。つまり、その環境に何らかの形でも肯定的な影響を及ぼすことを行うということは、臨床臨心理学や公認心理師の役割と一致します。

そういう背景もあり、大学院生の時は毎週2回はグループ瞑想を東京の新宿や下北沢の瞑想会に参加していた過去がります。

グループ実習の効果は、個人的には一人で瞑想を行うよりも深い静寂と心地よさが感じられます。

2019年までは、よくグループ実習に通って瞑想を1日続けていたものでした。しかしながら、コロナ関連で、2020年以降は実際に集まってグループ瞑想をする機会が無くなってしまいました。

かわりにオンラインで世界中の瞑想者と繋がり、時間を合わせて瞑想をするということを定期的に行っているようです。私も何度か参加しました。

個人的には実際に集まって瞑想したほうが、臨場感空間を共有している感覚が強いので、オンラインの方が何となく効果は劣るような気がしましたが、それでもやはり一人で行うよりは効果が感じられました。

遠隔治療やヒーリングは、慎重に考慮されるべきテーマ

こうした話は、遠隔ヒーリングや気功、祈りといった現象が効くか否かという話題にもつながると思うのですが、一般常識的な感覚や固定観念的な反応としては、その効果は単なる「プラセボ」や「気のせい」、「偶然の産物」としてかたずけます。そして、学問や臨床現場で扱うとかなり怪しい目で見られるのが常ではないでしょうか!?

私はそのような状況を、悲しい状況と思うとともに、もっともなことだとも思ってもいます。

というのも、遠隔ヒーリングや祈り、気功を信奉する多くの人達は、感情的、直観的、主観的に反応し、結論を出す傾向があります。

残念ながら論理的にじっくり考えることを怠るこ人が殆どであったようにおもえます。そして、それらの結果に彼らは責任が取れません。

結果、良いことがあったらその怪しげなヒーリングの技のおかげで、悪いことがあったらその個人の責任に転換するという、悪徳商法がまかり取る暗黙の了解があるように思えます。

それこそ私の経験による、主観的な統計に基づくものなので、気に障る方がいら者いましたら申し訳ありません。

私的には、祈りや遠隔ヒーリングという現象は確実に存在し、応用も可能な現象だと考えています。近い将来小学校からそのような知識と技術が学べる学校が出来ないかとさえ思ってしまいます。

しかし、そのような学校が出来たり、遠隔ヒーリングや祈りという現象が、個人の主観や怪しげなカルトではない現象だと、一般社会が認知するには、ヒーリングを行うひとびとが 、冷静に、論理的にその現象に向き合う真摯な姿勢があってなされることだと思います。

「神社」という概念をインストールしている日本人

しかし、通常の一般常識的な人々も正月になれば初詣に行き、寒い中ずっと並びながら神社にお参りに行くわけです。毎年の明治神宮の参拝者の数を見てみると分かると思います。

例えば、私の長男の通う公立学校には、隣接した神社があります。登校するときは、神社の参道を横切るわけですが、その参道を横切る際、殆ど100%の老若男女がいったん立ち止まり、本堂に礼をして、通学し、出勤します。

その行為は特にどこかで学んだ行為ではないのに、殆ど無意識にそのような行為をします。

また、近所の塀に⛩(鳥居)のマークのシールが貼られると、その塀にゴミを捨てたり汚されなくなる現象が起きます。

つまり神社という記号が、物理的な人間の行動を制御し、規制しているということです。

その数は、日本人の何千万人というか1億人以上はそのような無意識的な認識フレームを持っていることになります。

しかし、この文化を知らないアフリカ人やエチオピア人などの外国人は、神社の参道を横切るときにいったん立ち止まって本堂に礼をしたり、⛩(鳥居)のマークを見て、その周囲を汚さないような行動規制を行うでしょうか!?

私は、そのような概念がない外国人は、そのような行動化はしないと思います。

もう少しわかりやすい例で考えると、生まれたばかりの無垢の子どもや1~2歳の幼児は、神社や⛩を見たときに、大人と同じふるまいをするでしょうか。

いいえ、しません。

神社や⛩(鳥居)に際して、外国人や、赤ん坊、幼児が、日本人で小学生以上の意味を介する人間と同じ動作を取らない差は何なのでしょうか!?

何故かと言えば、それは当然ながら、神社という宗教、文化、慣習の「意味の場」を日本人の主に小学生以上の人々が共有しているからです。

人間をスマートフォンと例えます。スマートフォンにはラインやTwitter、メタ(フェイスブック)などの様々なアプリがあります。

例えばラインを誰かと行いたいときは、ラインのアプリをインストールした者同士でければラインで繋がれません。

ラインのアプリは基本的に他人と通信することが目的ですが、写真を撮って送ったり、TV電話が出来たり、イラストを送ったり、音声を保存出来たりと、詳しく知ればその用途は多岐にわたります。

ここでラインというアプリを「神道」という思想だとします。言語と意味を介することが出来るまで成長した人間は、「神道」というアプリをよりインストールするのに準備が出来ているともいい変えられます。

日本という風土に住んでいれば、無意識に神社の情報はインストール済みでしょう。そしてある年代に達すると、その神社の意味がまとまった概念として認識され、起動します。

そうなると、神社の⛩をみてどのように反応すべきかが、無意識のうちに心身が違和感なく発動してしまうというわけです。

そして、ラインのアプリのように、アプリも突き詰めればその用途や意味も多岐にわたり深いものがあります。

神道のように奥深い深淵な教えも、ただ神様にお参りするという初期の行為だけではなく、突き詰めれば大学以上の知識と智慧があるように奥深いものですが、それはその個人の趣向がどれくらい神道と縁があるかによります。

ラインのアプリを神道に例えると神様にぶっ飛ばされそうですが、まあそういうことです。

時空を超える意味の場とシンボル

つまり、キリスト教や仏教、イスラム教などをそれぞれのアプリとして考えると、キリスト教なら十字架をみてアーメンというかもしれませんし、仏教なら卍マークで、線香に火をつけ般若心経を唱えるかもしれません。イスラム教では定期的にラマダン(断食)を行う行動様式が埋め込まれています。

それぞれの宗教や思想の「意味の場」を共有することによって、その共有された場の人間の生態と反応に影響を与えてしまうということです。

そしてそこには✞や卍、⛩などシンボルがあり、それに伴った作法が存在します。

そして神道、キリスト教、仏教という意味の場は時空を超えます。

例えば、100年前の伝記やキリストや仏陀の2000年以上前の教えは、ある一定の意味を持ちながらも現代にまでその力を発揮しています。

これは過去から現代にまでその意味の効力が、信者たちに受け継がれ、引き続いているというこを意味します。

また、キリストの復活や、56億7千万年後に再来するとされている弥勒菩薩。これらは未来に関する情報ですが、現在の信者たちの行動を規定しています。

宗教という例に限らず、日常生活の例で考えてみます。

過去の伝記や100年前に掛かれた優れた文学(過去情報)が、現在の読者に強い影響を与え、人生を変えるということや、

未来に富士山噴火や首都直下型地震、南海トラフ地震(未来情報)に備えようとすることは、未来の情報が現在を規定しているということです。

つまり、「情報」は時空間を超えて働いているという、当たり前のことが言えます。

そして情報は人間の行動を規定し、それに基づく儀式や制度、建物や環境を作り出します。

つまりエネルギーを持っているということです。

これは大げさな現象ではなく、個人のレベルで考えても当たり前のことです。

例えば、過去の過ちや後悔することを思い出すことで、抑うつ症状を呈したり、怒りや悲しみがこみあげ、身体に影響を及ぼします。

過去の楽しいことを思い出すと、逆にセロトニンやドーパミンが脳内に発生し、リラックスしたり、ワクワクしたりもします。

未来に関しても、将来に関して不安視していればそれに伴う身体環境になり、明日のデートや、好きなミュージシャンのライブチケットに当選したなど、ワクワクする情報を思い浮かべると、それに伴った身体反応を呈します。

つまり、情報それ自体が生命現象にとって、物理的身体に影響する、プラスにもマイナスにも影響するエネルギーであるということです。

ーその2に続きますー



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