見出し画像

禅の修行のような日々ですが

私は僧侶ではございません
ひとは
本来当たり前に禅問答を繰り返し生きています
というか
そうある事が本来の生きる意味なのですが
動きの早い世の中で
社会生活を維持しながら行うのはなかなか難しい事なのです

だから、マインドフルネスとか瞑想が流行るのですが

私はどの立ち位置でもない私の立ち位置で色々な物事を見聞きしていますが
総じて思うことは

表面しか見ていない

ということ
物事のおこるすべてをほとんどの人は表面しか見ていないんですね
まぁ深堀する時間が無いのも分かるんですが
その時間を作るのはとても手軽なんですよ


そのスマホを10分触らない
PCもしない
とにかくアナログでリアルな物事に集中する
それだけでいいんです

例えばクロスステッチをする
とか
料理をする
とか
絵を描く(紙にペンを使って)
とか
漢字練習帳に漢字を書く
とか
写経する
とか
ぼーっと空を眺めるでもいいし
興味のない映画をただただ眺めるでもいい

とにかく
ごちゃごちゃしたことを考えない時間を作る


そしてその逆もする

徹底して気になることを深堀する


まぁシンドいんですけど
投げ出すと余計にシンドくなります

何が言いたいんだ?
とお思いでしょうが

忙しいから禅問答なんてしてられない

というのは言い訳にもならないよ
ということですね


忙しい時ほどした方が良い


なんでこんなに忙しいんだよ?
何がいけない?
どれが正解?
どうすれば忙しいから抜け出せる?
なんでそんな気持ちになった?
どうすればその気持ちから抜け出せる?

こんな事をずっとぐるぐるやってみたらいいんです
それすらそれをすることすら、ネガティブだ!って拒否してたら何も進まないので
そこをしっかりやり尽くさないと


思いますね…


あくまでも私の経験上の自己理論ですので
全ての方へ共感頂けるとは思いませんが
夢や理想や幻想だけでは上手くいかないのが
この世の中なのだよ言うことと
禅問答した方が良いぞ
ということを置いておきます。

面白いと思えたらお賽銭気分で投げ銭よろしくお願いします☺️👍