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折り紙やけん玉やコマ回しにはまる子を見て、子ども時代を振り返った。


娘は折り紙が大好きだ。ハマるととことんハマる。

先日、娘が熱心に折り紙に取り組んでいた。

息子は、今けん玉やコマ回しにはまっている。

折り紙をする娘やけん玉やコマ回しをする息子を見て、自分の子ども時代を振り返る時がある。

こういう伝承遊びのようなものは、一通り私も遊んできた過去がある。

こういうのって、どこで誰にどうやって教えてもらったのだろう、と記憶をたどってみた。

娘が折り紙を折るところをじっと見ながら、時折手を貸す時に、こういうのは授業ではやらなかったはずだ。母に教えてもらったのだろうな、と振り返った。

折り紙を授業で教えるのはとても難しいだろうな、と思った。

折り紙やコマ回しやけん玉や、ビーズ遊びやあやとりやゴム飛びやら縄跳び、色んなボード遊びやトランプなどそういう遊びは、子ども時代に親や友達と繰り返し遊んできたのだろう。

そう思うと、子ども時代の濃密な時間を共に過ごしてくれた親やきょうだいや友達たちにとてつもなく大きな感謝が生まれてきた。

同時に、今子どもたちと一緒に過ごしている時間がとてつもなく有意義なものであって素晴らしく価値のある素敵なものに思えてきた。

子どもが歌っている歌も知っている物語もよく言うジョークのようなものも、昔からずっと伝わってきたもので、私もよく知っているものであることも多い。

小学生は何年経っても小学生なのだと思う。

変な言い方であるが、のび太くんやしずかちゃんたちがいつまでも小学生であるように、小学生時代に通過するものは時代が大きく変わってもそんなに大きく変わるものでもないのではないかと思ってしまう。

子どもを育てていて面白いと思うのは、自分の子ども時代をまた生き直すことができるような気がするところ。

小さかった時のことをよく思い出し、その時の若かった両親や祖父母を思い出す。
今になってやっとその時の両親や祖父母がどんな気持ちだったのだろうかと思いを馳せることができることもある。

折り紙をする娘の手元や色とりどりの折り紙を見ながら昔一緒に遊んだ友人の顔や名前や一緒に遊んだ思い出を思い出していた。

子どもにも大人にも平等に時間は流れていて、子どもの時の私も今と同じように1日24時間を過ごしていた。それが積み重なって今につながっている。私も娘と同じように折り紙に夢中になって、一日中折り紙ばかりやって日が暮れていくような日を過ごしたこともあるだろう。今日という日が、未来に続いていく。なんでもない時間を共に過ごすことが、日々をつくる。こういう時間を共に過ごしてくれる人がいたこと、そして、今一緒に時間を過ごしてくれる人がいるということ。すごく有難いことだなあと思う。

折り紙を折る娘を見ながら、自分の娘時代を思い出した。

色とりどりの色紙は遠い過去へと繋がっていて、遠い未来へも続くもの。

娘がもっと大きくなって、器用になって、難しい折り方の折り紙を難なくおり終えるようになるということは、それだけの時間を共に過ごしているという証になるのだろう。

これからも子どもといる時間を共に楽しみたいなと思う。

読んでくださり、ありがとうございました。

そら

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