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屋久島はキッカリ青い空✨

世間は、師走で慌ただしさが加速するような時期に、ひとり屋上で昼から飲むビール🍺は贅沢なものですね…ふしぎと、屋久島に滞在している時はいつも満月🌕で、夜中に起き出して庭に出ると、まん丸なお月様がこちらを見下ろしています

同じ時計の1時間なのに、早く感じたり遅く感じたり、つまり、わたしたちの「尺度」は自分が決めた感覚で、それぞれが各自の主観に基づいてイメージするだけ、という現実に向き合う時、誰ひとり同じ尺度で存在して(生きてはいない)ことに気がつきます…だからこそ、便宜上の時を刻む万人向けの時計が存在し、とりあえず、同じ24時間の流れに沿って暮らしましょう、ということになっているわけです。子どもの頃は、そんなことはあまり気にしていませんでしたし、大人になってからは、それが当たり前、かつどうにかしてソレを無駄にしないように的な強迫観念で縛られていました、だって、時は金なりですから(笑)

しかし、そんなことは、もう、あまり気にしなくなりました。だからこそ、こんな時期に誰もいない屋久島のコテージでゆっくり時を過ごすことができるのですね、いいとか悪いとか決めるのは自分ですが、世間の常識や規定の路線というものはなかなか無視できないものです。

岡潔先生は、意識の階層を14織までとおっしゃっています。12織以降はもう意識すらできない「虚」の世界です。虚といいますと、何もない虚しい(むなしい)、空の世界のように思いますがそうではなく、認識はできないが、全てを成り立たせるための背景、スクリーンのようなものと表現なさってます…何事も背景のないスクリーンなしには光や映像のような見た目に正体のないものは浮かび上がってきません…そして、その認識できない存在が、わざわざ、低い階層のかたちを伴ってヒトとして生まれて来るのは、「見る」という視覚中枢の認識を経ることによって、映像化され、ハッキリと意識できるようにするためというのです。

意識の世界では、6次元が投影されたのがわたしたちの住む3次元といわれます。上層のものは、下層に投影されてはじめて認識されることが伺えます。だからこそ、原因と結果の法則が成り立つ、見えるものも見えないものも全てが意識を根源とする周波数であるから、同じ周波数帯にあるものは共鳴するわけですね。6次元が主、3次元が従だから、この世に形をとって存在するものは結果で、現実を変えるためには当然ながら主としての意識が変わらなければなりません。ここでいう意識は、健在意識として自覚しているものとは限りません。むしろ、認識していない(階を上った先にある)深層の潜在意識こそが本体というべきでしょう。

その本体こそ「情」といわれるもの、損得や善悪、知識や理解を超えた、ユングのいう集合的無意識のもっと先にある、時間も空間も超越した唯一只一面の意識です。情という言葉を通じて、わたしたち日本人にはイメージすることができる、そのこころの本体を真情とおっしゃっています。



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