#01 保護生活1日目

平成という時代が幕を閉じようとしている2018年の暮れ。
私にとって何度目かの人生の岐路に立つことになった。1度目は高校を卒業し両親の元を離れ独り暮らしをはじめた時。2度目はシングルマザーになって1年後に閉鎖病棟へ強制入院となった時。そして、3度目が今回。サバイバーな自覚はあるが、今回の保護生活は正直言って納得がいかない。でも、私自信が引き寄せた???(こんな引き寄せとかいらへんねん)ことになるのだろうから、受けて立つほかないというよりも子どもがいるからこそしかたなくこうするほかないのだ。一応生活保護を受けなくてもお金を稼ごうと思えばいろんなやり方があることは知っているが、あえてそこは選びたくない。というか自分には向かないからだ。それが私なりのプライドといってもいいように思う。簡単にお金を稼ぐ方法が頭をよぎるが、そういう時は、テレビの特集かでみた、女優の吉田羊さんが下積み時代に貧乏だったからアルバイトをしようとしたけど、事務所の社長さんに貧乏くささや生活感がでるから止められたといった話を思い出すからだ。(というか、私は女優でもなんでもないから、別にいいんだけど、そういう柄じゃないし…)とそんなことはどうでもいい。全く私には関係ない話だけれども、本能的になにかがゆさぶられるようで、堅気の仕事で効率よく稼げる仕事を探していたのだが、惨敗に終わっていた。しかも、9年前から受給していた障害年金も障害の程度が軽くなったということで、めでたく卒業となったからだ。そして、自転車操業でなんとかなっていた生活もとうとう首が回らなくなったというか、どう考えてもなんらかの力が働いて、私はこうならざるを得ないというような拭いきれない誰かの思惑の中で、私は何も知らずにただがむしゃらに動き回っているようにしか感じられない。それでも、今の現状を受け入れるほかなく、時々泣きながらも毎日なんとか日々を暮していたのだが、そんな日々ともお別れとなった。
 前年の師走に入り、紆余曲折ありながらもドタバタで生活保護の申請をすることとなった。その申請するまでにあたっても、人よりも遠回りをし、何度も何度も同じ内容のことを訴えた。けれど、結局生活保護を申請するほか手立てがないのに、回りくどい認知行動療法のようなことで、私に気がついてもらい知らしめるようなやり方で気づかされてきた。そのやり方は意図的ではないらしい。が、そのやり方だから、冷静に話がきけなくなる。かなりむかつく。省エネできる脳の回路を揺るがしているのは、与えられたシナリオやマニュアル通りに覚えている人たちの支援策の穴としかいいようがない。ようは、書類をみて説明をし印鑑をうってもらうというような支援だけでよかった仕事をしていただけだったのだろう…。そう私は感じた。
 ああ、だったら私のような知的な遅れのないタイプの発達さんや精神障害の人たちや内部障害などの人たちの場合には、こういった制度を申請するにいたらなかったりするのもわかるし、申請したとしてもそこから抜け出せてなかったのは、腑に落ちた。あっ…いけないいけない。愚痴しかでてこないけれど、実際保護してもらわなければ生活はできない。だから受け入れるほかはないと思っていても、人を援けるという意味の深さを私は支援される側となって改めて考えることとなっている。が、はっきりいって、言語体力があっても体験したことない人やトンチ力のない人たちには、私のようなタイプの人は扱いにくいだろうと思う。私は何も情報をもたない中、そんな回りくどい支援をして私の認知を変えようとしているだろう人たちとのコミュニケーションを行っている。そんな私は広汎性発達障害なのだけれど…。
 前置きが長くなってしまったが、生活保護の日々をつらつらと赤裸々に綴っていこうと思う。日によってはこのように長い時もあれば、メモがわりに何をしたかだけの日もあると思う。でもそれが、その時の自分の思いを赤裸々に綴ることにもなるように思うので、この記事を書いているのは生活保護と認定されて2日目になるが、1日目の記録として残すことにした。
 どれだけの期間で生活保護世帯を脱出し、一般的な生活ができるようになるのかはわからないけれど、車も自由に使えない限られた生活から一日も早く卒業したい。なぜなら、息子がドライブに行ったり外食することが彼にとっての余暇だから。それらもできなくなる。公共交通機関を使えってできることというのは田舎だからこそ不自由なことを知ってもらういい機会なのかもしれない。都会と地方の生活保護の違い又は自治体毎での制度の違いなどそういうことも知ってもらえる機会になるのかもしれない。そこからみえる問題点から生活保護制度の在り方を皆さんに考えてもらえたらとも思う。というか、そのために記録に残しているわけではないが、正直言って生活保護になんてなりたくなったからあえてこうして記録に残してみようと思った。
 というか、こうして日記として綴ってみると、内側から溢れてくる言葉は『復讐』という言葉だったりする。それを飲みこむための仕返しのような日記になるのかもしれない。けど、こうでもしなきゃ、私の怒りがおさまらない。怒りのエネルギーで書きはじめることはたやすいが、そのエネルギーだけでこういったことをはじめると後が続かないことも知っているのだけれど…。とりあえず、衝動性はつかってみるもの えいえいおー。

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