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「広告」より「振る舞い」が大切な時代へ。西武そごうの広告が議論を生む理由。②

※この記事は前後編の後編です!①はこちら

今、話題になっている西武そごうの記事が議論を生んでいる理由。それは「企業としての振る舞いが、いい方向に捉えられなかったから」であると書いた。①で考えたのは、見る側が「男女平等の問題、本気で考えてる?」という疑問を抱いた時点で、良い振る舞いとして捉えられなかったのでは、という点。単に表現が少し違ったら、とかそんな話ではなく。その問題に直面している人にとっては、時に心を砕きながらとても大切に向き合っている問題だからこそ、ほんの少しのニュアンスの違いからも「真摯に向き合っているかどうか」は感じ取られてしまう。

以下ではなぜ今、ブランドや企業にとって「広告」よりも、この「振る舞い」が大切になるのかを深掘りして書こうと思う。

②行動なき宣言には、何の未来も想像できない

この議論が巻き起こった時、私が1番気になったのは

「そごうは何か女性の活躍を支援したり、対策をとっているの?」
「そごうは、今年何らかの改革などをするつもりなの?」

というコメントがとても多かったこと。social goodは確かに1つの大きなキーワードだ。さらに企業・ブランドのVISIONや思想(mission,value)、ストーリーの重要性はここ数年でかなり浸透した。が、実はそれをアクションまで完全に一気通貫できている企業やブランドは、少ないのだ。いくら「この世界をよくしたいんです!」「こんな風になったらいいですよね!」と叫んでいる人がいても、その人自身が何も具体的に行動していなかったら信用されないのと同じなのだ。行動無き宣言は、単なる「口だけ」に捕らえられてしまい誰も「より良い未来」を想像できないために、共感されない。

調べてみると、実は西武・そごうは百貨店の中でも初めて店長に女性を起用し業界に一石投げた存在だそう。役員や店長の登用率はトップクラスだったという記事を読んだ。きっと、女性の労働に関しては真摯に向き合ってきたのだと思う。だとすると尚更、なぜこの広告にはそのようなアクションをセットで見せられなかったのだろうか、と疑問を抱いてしまう。ユーザーは、ポイントポイントでしかその企業の振る舞いを目にすることができない。だからこそ、その時どんな態度を取っているかは非常に重要になってくると思うのだ。

特に消費行動の鍵を握る、ミレニアル世代は社会貢献の文脈に関する意識が高い。海外では当たり前のように、セレブリティたちが環境・多様性・政治などに対し自分の意思を表明し、人としてのあり方、尊厳に反するような振る舞いをする企業やブランドには厳しい目が向けられている。それは時に、顧客の信頼を完全に失ってしまうことにつながるのだ。当たり前に企業やブランドについて検索できてしまう時代には、アクションを着実に積み重ね、示していくことの重要性を感じる。振る舞い続けることによってしか、VISIONはVISIONとして達成されえないから。例えば、として2つの海外ブランドの事例を比較したい。

NIKE 

昨年きっとアメリカで1番賛否両論が巻き起こり、物凄い勢いで議論がなされたキャンペーン。それは、人種差別に抗議しNFLの試合前の国歌斉唱の際に起立を拒否し、実質的にリーグを追放された元49ers選手のコリン・キャパニックを起用した件だった。スニーカーが焼かれたり、ボイコット運動が起きたりと大きな問題になった。アメリカ人の友人たちに聞いても、完全にアメリカ全土が50:50で真っ二つに意見が別れていたそう。

Believe in something. Even if it means sacrificing everything.
何かを信じよう。たとえそれが、全てを犠牲にすることになったとしても。

これはNIKEが長い間掲げ続けている「Just Do It.」のキャンペーンの一環。NIKEはこのメッセージを掲げながら、スポーツ界から見放された彼を起用するという大きな決断をすることで、自分たちの意思を表明した。それは同時に、人種問題について差別行為に対して強く抗議の意を示したことになる。結果、一時的に株価は落ちたものの、広告発表後の祝日3日間には公式オンラインの売り上げが上昇、市場価値は過去史上最高値を叩き出した。これは、NIKEが掲げるメッセージに「自らの意思を貫いたColinを支持する」という振る舞いが伴っていたがために起きたことだ。「何を」言ったかよりも、彼をサポートするという事実と姿勢が共感を生んだ。

一方で、もう一つの事例。

VICTORIA'S SECRET

かつてはセクシーでデザイン性の高い下着やAngelと呼ばれる美しいモデルたちが人々の憧れの的となったランジェリーブランド「VICTORIA'S SECRET」。昨年は20店舗が閉店に追い込まれたり、2014年には800万人以上が視聴し大人気番組だったshowの視聴率も、米最低の記録を叩き出してしまった。それは、VSの振る舞いに共感どころか反感を示す人が増えてしまったからだ。

アメリカでは、特に美の文脈において多様性の概念が広く浸透している。美しさの基準をブランド側が押し付けることはもはや時代遅れで、いかに多様な美の形を提案できるか、そこに寄り添ったブランディングできるか、がキーとなっている。たとえばアメリカンイーグル アウトフィッターズが展開するAerieや、歌手のリアーナが展開するSavage x Fentyなどのブランドは、リアルな女性たちのイメージを反映させ、シェアを拡大している。Instagramに登場するモデルたちは、体型も人種もバラバラ。時には妊婦も。根強くファッションやランジェリー業界が抱えていた起用モデルに関する問題を、華麗にひっくり返し大きな共感を得たのだ。

しかしVSでは方向性を変えることなく、それに対する人々の声を無視し続け、“修正され、美化された”スーパーモデルたちのイメージを示し続けることをやめなかった。

さらにブランド離れを加速させたのが、マーケティング責任者のこの発言。

「トランスジェンダーのモデルをショーに出演させるべき?それは、私たちがすべきことではない。なぜか。それはこのファッションショーがファンタジーだからだよ。42分間の特別なエンターテイメント、それがヴィクトリアズ・シークレット・ファッションショー。唯一無二で、どのファッションブランドも一目置く。私たちの粗探しをする競合でさえもね。」

この後ブランドは謝罪文を出すことになるのだが、実際にVSがこれまで起用してきたモデルの歴史を見てきた人々は、もはや何を言われても信用できなくなってしまった。結果、モデル発信の不買運動やショーに対する抗議運動が各地で起こってしまうという事態に。いくら、WEBサイト等を通じて「顧客に寄り添う物作りを」等と言ったとしても人々は、何をいうかではなく、企業・ブランドの姿勢と態度を見て判断している。

対比として、ブランドの振る舞いが好転した例と悪い方向に向かった例を出したが今後ますます、この点は重要になると思う。社会問題にどれだけ真剣に向き合い、態度とスタンスを決め、それをアクションに繋げているか。企業・ブランドとの信頼関係を求めるこれからの世代は、いつだって口先だけの広告には騙されない。

西武・そごうが描く理想の「女性の時代」は、どんな時代なんだろう。そこにワクワクしてみたかった、と思う気持ちが強い。そしてパイは投げ合うものでもなく、男も女も関係なく、同じ方向に向かって投げちゃえばよかったかもしれないし、一緒にワイワイ食べるものがいいよね!なんて思ってしまった。

個人的に2019年は、“ blur ”というキーワードが重要になるなと思っているのですが次回に書こうと思います。

*今年はいつも考察している海外のブランディング・マーケティングをできるだけ書こうと思います〜よかったらフォロワーになってください♡


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