見出し画像

北海道スピードウェイのネタ

北海道スピードウェイ関連のツイート/ブログにまとめる前の散文的なまとめ

1974年のグランチャンピオンレースのエキシビジョンについて

地元の方の証言と貴重な資料を見せてもらった時のツイート

(3:56~の爆発する背景を走るカルタスのCMだと思われる)

・聞いた話1
地元の人は"サカタランド"と呼んでいた。
お話してくれた方が小さい頃(S50~51年ぐらい?)、サカタランドへ親と山菜採りをしに行ったことがあり、ボロくなったタイヤアーチや広告看板が一部残っていたことをおぼろげに覚えていると言っていた。
(BSのタイヤアーチが最終コーナー辺りにあった)
・聞いた話2
自由に入り放題だった。
コース1周は道が一部断裂されていたので出来なかった。
自転車やバイクが走っていたり、カートを持ち込んで走っている人が居たらしい。 その頃、子ども(?)の死亡事故があったらしい。
平成に入ってから閉鎖されたらしい。
・聞いた話3
舘ひろしがカルタスのCM撮影をしに来た事がありストレートの爆発音が聞こえた。
・聞いた話4
バブル期に日産が復活させるかもという噂があった。

☆写真

北海道スピードウェイが白老カーランドとして再オープンする際の説明資料

・コースを2つに分割出来るようにレイアウトが追加されている他、小型飛行機が着陸できるエリアやオフロードエリアなどが構想されている。
※表紙の空撮写真(?)は北海道スピードウェイ当時の写真だが、タワーが写真処理で消されていることに注意。

その他

北海道スピードウェイ閉鎖により新サーキット開設の計画
HISCO(北海道スピードウェイ)は、さる3月31日で突然閉鎖された。これは所有者であったサカタランドが日産地所に売却し、さらに去年12月にスポーツ振興株式会社に持ち主がかわり、ゴルフ場に変更することにし、スピードウェイの代表となっている佐々木憲氏に3月28日通知してきた。昨年度にかわされた契約では、今年度いっぱいサーキットとして使用することになっていたのだが、所有者が変わり、急遽、この決定をみたもの。
これは3月末までに土地使用変更を出さないと、ゴルフ場に改造する許可が来年度までおりないためということだ。
 なお、佐々木憲氏は、北海道スピードウェイとともに道内のモータースポーツがここまで盛んになってきていることを考え、新しいサーキット開設計画を北海道有力者の援助のもとにたてることになった。目下、その候補地を物色中である。できれば今年中にも、開設のはこびにしたいと考えていたようだが、これは少し遅れそうだ。
(オートテクニック 1973年6月号 P77)


日産のサイトで見ることが出来る北海道スピードウェイ オープニングレースの高画質写真


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?