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【散文詩】大天使ウリエルの独白

それは、旅の道なかば、気まぐれに降り立った白く瞬く地でのことだった。
深く藍色の夜空に三日月が浮かび、ほのかな灯しが純白の砂丘の上を綺羅綺羅と輝いていた。

冷麗な彼女に、すっかり時を忘れ見惚れていると、背後から生暖かい風がふうと私の頬をかすめ、次に真横をまたふうと何かがかすめていった。咄嗟に振り返ると、遠くに、どんよりとした雲か霧のにじんだ点が、次第にゆっくり形をとってふくらみ、そのうちに、一頭の立派な馬と、馬にまたがった一人の青年の姿となった。

この目は見張ればどこまでも見える。

金と銀の甲冑に身をつつみ、頭には輝く黄金色の太陽の角、肩にかかる外套は煌めきの貴石に飾られて、虹色に光る鳳凰の尾羽が柳のように垂れ下がる。

顔は鷲のごとく鋭い眼差しに、逞しい肉体に宿した良質な魂の輝きが内から流れている。
風神を操り軽やかに宙を舞うように馬を操る。
なんと艶やかで煥乎かっこたる様。
この煌めく外套に、すっかり心をうたれ、いやだが、礼儀を怠ってはならぬと、まずは夜空の彼女に一礼し、それからまた向き直って、心眼にてこれを追うことにした。

再びの風。

よって足元の砂漠は平野へと変化して、月は燦々とした太陽へかわる。

遠方から唸る地響きと蹄の音。見える、見える。あれは大勢の騎兵隊が数にして千、いや二千か。どれも屈強な鍛えらあげられた体に細工のいい甲冑。それぞれに血潮のたぎった顔と顔。意気揚々としている。

彼らは、ひとつ目立つ大きな金色の旗をひらめかせながら、雄叫びをあげ、さきほどの煌めく外套を先頭に、天かけるがごとく神速の勢いでただ一点を目指して突進してゆく。瞬時、宙を浮き力強く地をけりあげ、砂埃が湯気のようにたちのぼる。

私の真横を通り抜けあっといまに通り過ぎ、現れた樹海の中へ飲み込まれていった。戦のただ中か。
しばらくの静寂。
のち、かすかに蹄の音。激しく枝を揺さぶる音がした。

どうしたことか森が己の意志で吐きだすような格好で、麗しの君が一人、どっと茂みから馬ごと飛び出してきたのだ。

ところがさきほどまでの輝かしい雄姿はなく驚くほどに変わり果てた相貌。もはや失念にからえた敗者の面構え。
興奮からさめぬ馬から降りて、よろよろと体をひきづるように再び森の中へ戻ろうとするが、愛馬がこれを幾度も阻む。
ついに力尽き、はたりと地面に膝をついた。

樹海の上では十羽の烏が平和をさえずり、とどろかせていた。待てど暮らせど従えた兵士たちは一人とて戻らず。
無情な太陽は、地獄の深淵に襲われている背中をじりじりと遠慮なく照らしつづけ。彼は黄金の蕪菁を外した。額からはびっしょりと汗が流れて滴り落ちて、漆黒の艶髪が、まばらに白い頬に張り付いていた。

朦朧とした虚ろな表情。蒼白の顔面。ふたつの灰色の瞳は残存の怒りの黒炎をうつしだし、悔恨の念に駆られた唇は死人のように微動だにしない。

それでも尚も、この淵にいて決して損なうことのない気高さに、わが哀切の心ゆさぶられる。

さて、うら若き指導者よ、はたして、失われた命の重さと尊さにどこまで耐えうるものか?

事のなりゆきを、ただ傍観した。だが答えは否。悔しくも否だったのだ。胸元を飾る王の印・獅子の首を手でもぎとって投げ捨てて、憐れ、最期、麗しの君、とうとうそのまま荒れ地へとおもむいてかわいい愛馬をみちずれに、剣で喉元をぐさりとひとつきに、自ら命をたってしまったのだ。

私の心は沈黙した。

その昔、いったん閉じたはずの心を思い出し、ひとり嘆く。

「望んだ死の先の理想郷など在りはせず。死して尚、償えない魂の、その哀れな骸が荒地の果てに横たわる。死肉を貪る生き物達よ、最後にこの者の為、鎮魂歌を捧げるがごとく頭上で大きく騒ぎ叫び地上で激しく遠吠えせよ。」

すると突如として、大きな稲妻が閃いて、何百年もの間乾いたままの岩土を、どしゃぶりの雨が勢り立つように突き刺した。

片方の蒼から冷たい頬につたって流れた己の紅の滴を、そっと指先でぬぐう。ああこの世は儚く、人の生は虚しい。
荒れる天を睨みながら。暗の空に赤い満月を見た。
砂漠には暴風。悲鳴のような風音が耳をつんざく。どこかで見聞きしたことのある風景だ。愛する者が歌ってくれた子守唄。

永延に続く純白の砂漠は、夜になると太陽と、この世から支配を解かれ浮かぶ月のものとなると云う。彼女は風を作り、風は死者の声を冥界からひろいあげ地上へと押し上げる。それは血の通う者が、けして立ち入らないようにするために、獣の吠えた恐ろしい音を作り上げるのだ。

赤い満月の夜になると、死を司る神が、地底に眠った記憶をおこしにかかる。静寂の地に、うっすらと目に見えない入り口を作り上げ、いや、私が思い出すよりも早く、目の前に、立ちはだかっているではないか。

巨大な霧の門。手でそっと押せば難なく開く。望みさえすれば狭間の力は許される。混沌と闇と夜の国の門。

気休めに、うたた寝のひと時を観照してみるのも悪くはない。最後に残るのは、夜空に浮かぶ銀の月、白砂漠、乾いた風に揺れる花、それだけだ。時は瞬く間に流れ、しかるに肥沃の大地は荒漠の砂漠となり。

あるいは記憶に残る都が確かに在ったのだ。杖をひとふりすれば起きる螺旋の砂嵐。地中深くから現れたのは金の冠をつけた髑髏。こうしてかざしてみれば思い出す。涙も嘆きもいらぬ。エステル、彼女はいつでもあそこで私を照らしていてくれる。名残惜しいが、もうすぐ夜明けがやってくる。早くこの地を去らねばなるまい。カルマの天使にみつかるまえに。

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