人間は、自分の知っている知識の中で情報を処理する

今日、夕方、ちょっとした用事で車を隣の市へ走らせた。

自分の仕事で使う資料の購入と、趣味でやっているバンドのちょっとした事務作業だ。

バンドで音楽を楽しむ分にはよいが、この事務作業は大嫌いだ。

事務自体は別によいのだが、そこにかかわる人間関係の微調整が非常にめんどくさい。

仕事よりどうしていいかわからない。

さて、そのめんどくさい人間関係は横のゴミ箱に捨てておいて、道中ラジオをかけながら目的地に向かうと、今日は「皆既月食」がおこる、とのこと。

そのラジオでテーマになっていたのは、「勘違い」

「皆既」月食を「怪奇」月食と思っていた、とか、「波浪」注意報を「ハロ~」注意報だと思っていて、「アメリカ人」が来るんだ、と思っていた、とのこと。

ただし、これは、みなさん小さい頃、こどもの頃にニュースで聞いたものをこのように思っていた、とのことだった。私も波浪注意報は、こどもの頃は「ハロ~」という言葉を連想し、なんなのかはよくわかっていなかった。

この「こどもの頃」には「皆既月食」、「波浪注意報」という漢字も知識も入っていない。

その頃に入っているであろう知識は「怪奇(現象)」「ハロ~(英語で、こんにちは、って意味やろ)」くらいだから、その中で理解するしかないのだ。

こどもの頃の話だから、かわいいなあ、ですむが、大人がこんなことを言っていたら、笑われる。

と、いうことは、自分の知識量が少ないと、間違った解釈をしてしまっていて、わざわざ大人に「間違ってるよ」と指摘してくれる人もいないから、気付いてないところで壮大な恥をかいているかもしれない。

それぞれの経験やら知識量は違うので、自分が恥をかいていることもあるし、逆に「こんなことも知らないの?」と思うこともある。

こんなこと書いといてなんだけど、恥ずかしながら、ニュースはネットかテレビがすべて、という人間なので、このラジオを聞いていて、社会情勢、その他もろもろ知識をもっておかないと、色んなことを間違えてそうだな、と感じたのだった。

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