娘の激痛 (その3)

救急外来の待合室は人であふれていた。入ったとたんに、これを待つのかと、唖然とするほどだった。まだ普通の表情でいられる娘と、待合室の端の窓辺に座った。
「こーれー、どーやってー充電するーのー?おねーちゃーん、てつだってーくれるー?」
お酒の匂いをプンプンさせ、ろれつの回らなくなった若い女性が、手持ちのブランケットを体に巻き、半分床に引きずりながら、ふらふらと娘に近づいてきた。今にもこちらに倒れてきそうだ。救急外来とお酒は、切っても切れない関係というのは本当らしい。
「娘は具合いが悪いですから」と、この女性を制止しようかと思った。でも、娘は素早く、「いいですよ」と、いつもの軽やかな声を出し、待合室に備え付けの充電器に、その女性の携帯電話をつなげてあげ、ろれつが回っていないその会話に相づちを打ち、けろっとした表情で対応していた。
私はこの女性がいつ、バタンと倒れるか、ゲロっと吐くか、もしくは無理難題を言ってくるかと気が気でなく、娘を守らなくちゃと緊張したけれど、娘は、私が思っているよりもずっと、世慣れしているようだった。

やはり、ろれつが回らないような状態で、お爺さんが近づいてきた。娘に何かを言っているようだけれど、もう、私がその言葉を理解できるようなものじゃない。娘に危害を加えることもあるかと思い、ひやひやしたけれど、ろれつの回らぬ言葉など聞き取れない私よりも、状況を理解できる娘の方が、ずっと頼りがいがあるのも確かだ。私は心配しながらも、黙っていることにした。
どうやら自分では電話をかけることが出来ないこのお爺さんは、親戚の誰とかにつないでくれるよう、娘にお願いしたようだ。娘はお爺さんの携帯電話を、慣れた手つきでピコピコと扱い、フレンドリーにお爺さんと会話をしつつ、親戚の人につないで、お爺さんに電話を渡した。お爺さんは待合室中に響く大きな声で、自分が病院にいることを電話口に向かって叫んでいた。
娘はやっぱり、そんなお爺さんすら何でもないという感じでこなしていた。私にとってはぎょっとするような人でも、ダブリンで生まれ育っている娘には、特に不安を覚えるような相手ではないようだった。娘にとっての「普通」が、わたしにとっての「普通」より、広いのを見ているようだった。

待合室の窓辺に座り、何時間も順番を待ち続けた。ひどい痛みが来ると、娘は座っている事も出来ず、床にひざを付けて、まさに四肢を踏ん張って、痛みに耐えていた。どうしても引いてくれない、姿の見えない痛みに、彼女は怒りをぶつけるように、こぶしをぎゅっとして体を震わせた。口からは時々、うなり声がもれていた。
痛みに怒りをぶつける姿が、ティーンエイジャーらしい荒々しさで、私は、彼女の若さがこの痛みに耐える力を備えているに違いないと感じていた。

待合室は混んだままだった。私は彼女の背中や手をさすり、頭をなで、何時間も待ち続けた。
見たからに苦しそうな、苦痛の表情をしている人もいれば、ケガをしているのは一目瞭然だけれど、笑いながらおしゃべりをしている人たちもいる。時々、奇声も聞こえる。警察に同行されて来ている人もいる。わけの分からない事を周りに話しかけ続け、嫌がられて無視されても止まらず、話し続けている人もいる。救急車で運ばれてきた人が、次々と中へ運ばれていく。ドアが開くたびに、自分の順番がいつ来るのかと、怒り声をあげて詰め寄っている人もいる。
17歳の娘が見る大人の病院の待合室は、自嘲しながら、「大人の世界へようこそ」と言っているようだった。

夜中近くなって、やっと娘の順番がまわってきた。七時間も待っていたことになる。状況を説明し、痛み止めをもらい、検査のための血液をとる。ところが、もう夜中なので、家へ帰って休み、翌日あらためて来院するようアレンジされる。
こうして、痛み止めを取りつつ、とにかく待っては一つの検査をするという、気の遠くなるようなプロセスが始まった。ここはアイルランドの公立病院。待つことは避けて通れないのだ。

(続く)

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