娘の激痛 (その4)

3日目に救急外来に駆け込んだ時は、まさに駆け込むという形だった。駐車のチケットなど、買っている余裕はなかった。娘の状態はかなり深刻で、時間がたつことで自然と良くなるという事はないと、私は確信した。
受付で、待てるような状態ではないから早く中に入れてもらえないかと、私は懇願した。待合室から運よく早めに外来の中に入れてもらえたものの、そこからまた、待つしかなかった。
娘は何日も洗っていない髪を振り乱し、床に頭を突っ伏して、全身を震わせていた。泣き出した彼女の姿には、もう、ティーンエイジャーらしい力強さは残っていなかった。痛みに降参したように、小さな子供のように泣く姿が痛々しかった。これほどの痛みにすら、どうしてもらうこともできない絶望感で、悲しみにあふれているようでもあった。もう、私も、静かに待っているわけにはいかなかった。
「すみません、娘はとても痛がって泣いているんです。ずっと待っているんです」
「もうここへ来て3日目なんです。なんとかできないでしょうか」
何度もこちらから痛みを訴えた。モルヒネと同じだからと言われてとった痛み止めは、全く効いてくれる様子がなかった。
床に頭を突っ伏して、体を硬直させて震える娘の姿を、見かねたのだろう。近くにいた年配の方が、自分のブランケットを、どうぞ使ってと渡してくれた。娘にはもう、微笑んでありがとうと言う余裕もなかった。
次に、これはモルヒネよりも強いからと出された薬を、わらにもすがる思いで、娘は一気に飲み込んだ。さすがに楽になったと、椅子に座れるようになったのもつかの間、娘は激痛に再度もだえ続けた。

こんな痛みがこの世にあるなんて、私は知らなかった。娘の激痛は、私が初めて見るものだった。こんな痛みが存在することが、私に怖さを植え付けるほどだった。
生きることには痛みはつきもので、それに耐えることそのものに高い価値があるように、古今東西、人が伝えてきたところがあることを思った。
人間の社会がもっと、知識を駆使し、持てる能力と可能性の全てを駆使して、痛みを和らげたり痛みから解放することを、大切にしていくようになってほしいと私は思う。

(続く)

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