娘の激痛 (その6 最終回)

更なる検査を受けるつもりでいた5日目の昼、突然、その日のうちに手術をするという決定を知らされた。うれしかった。不安は全く感じなかった。激痛に苦しむことに比べたら、どんな手術のリスクも、何でもない事に思えた。

手術に関する説明がされ、親として承諾書にサインをした。こうした法的なものには、母親である私の承認が必要なのだ。待っていました!という感じだった。
子供を連れて医者に行くと、今までは、親である私が質問や説明を受けていたのに、今回、診察や検査でのほぼすべてのやり取りは、17歳である娘本人にのみ向けられたものだった。言葉も視線も、娘にのみで、私はまるでカバン持ちのような立場だ。私は、娘の体も健康も、彼女自身のもので、彼女自身が理解して、責任を持って決定していく年齢になっていたことを、いやがおうにも知らされたのだ。ちょっぴり、親としての力を失ったかのような寂しさを感じつつ、娘が子供から大人になってきている事を、謙虚に受け止める機会ともなった。

三時間の手術は無事終わり、まだ残る麻酔の影響だろうか、半分酔っぱらっているような、おちゃらけた娘が、その一時間後に手術室から運ばれてきた。執刀医の説明から、娘の状態がいかに痛みをともなうひどい状態であったか、そして手術により、彼女がその激痛から解放されたことを知った。心からホッとした。
手術に至るまではずいぶん長かったけれど、術後は一泊しただけで、あっという間の退院となった。自宅に帰った娘のもとへ、友達が次々とやってきた。手術をしたばかりだと心配する私をよそに、みんな遅くまでおしゃべりに花を咲かせ、娘の回復を祝ってくれた。

娘は手術によって、あの激痛から完全に開放された。うれしいの一言だ。そして何年も彼女の日常となっていた、いつもの腹痛というのも、同時にぴたっと治まった。
痛みから解放された娘は本当にうれしそうだ。一回りも二回りも、表情に明るさが増している。

もしかしたら、ずっと長く抱えた痛みというのは、大きな大きな痛みを経て、私たちから去っていくものなのかもしれない。

(おわり)


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