宝箱に入った詩

手元にひとつ、とても大切なものが出来上がった。自分が今までに作ったものの中で最高にきれいで、とても大きな意味を持つものとなった。
私は詩を作ったのだ。英文で作り、しかもコンペティションに出したのだ。
駆り立てられるように、すごい勢いで書いた。心の中にあふれるイメージを言葉で表すのは、簡単な作業ではない。でも、自分の中にあふれるものを外に出さないと、息ができなくなるような気持ちだった。それほどの気持ちのものだからこそ、書くことが出来たともいえる。
詩のコンペティションを偶然見つけてから、ずいぶん時間が経つのに、締め切りギリギリでの作業となった。

あせりにあせって、近所のアナに助けを求めた。英語の文法のチェックをお願いすると、快く了解してくれた。
「絶対に笑わないで。」と念を押して、一枚の紙に手書きした詩を、彼女に見せた。
心の奥底にあふれるイメージを人に見せるのは、私にはかなり勇気がいった。とにかく表現したくて、この世に出してあげたくて、必死に心の中のイメージを言葉の持つイメージと重ね合わせていった末の、一枚だ。
アナは、「いいねえ。」と言いながら、丁寧に何度も読み返した。そして、文法上の間違いと、ネイティブの使い方ではないと感じさせるような、ちょっと引っかかる箇所を指摘してくれた。ありがたかった。心の底から、ありがたかった。

ご飯を食べながらも、家事をしながらも、その詩をどんな風に直すかを考えていた。
一つも余分な言葉はなくて、一つも足りない言葉もない、自分の心の中のイメージにぴったり合うよう、必死で考えた。

夜の11時も過ぎた頃、自分の今の能力の中では、これ以上はないと言い切れるものができた。夜勤で働いているアナの携帯電話に、迷惑は承知の上で、その詩を送り、チェックしてくれるよう再度、お願いした。数分してメッセージが帰ってきた。
「パーフェクトよ。本当にこれ、すごく好きだわ。」
ほっとしたし、うれしかったし、いやされた思いでもあった。

翌日、その詩をきれいにタイプして、何度も何度もミスがないかを確認し、震える手で郵便局に持って行った。
「これを速達で送りたいんだけれど、私、震えているのよ。」と会話を切り出すと、郵便局の窓口のおばさんは、「どうして震えているの?」と質問してきた。
「自分で詩を書いたの。これ、コンペティションに出すのよ。」

窓口越しにおばさんは、まだ完全には閉じていない私の封筒を受け取ると、おもむろにそれを開け、中から、詩が書かれた紙を取り出した。そして何度も目を大きくしながら、軽く首を縦にふりつつ、それに目を通した。
封筒を突然開けて読まれて、驚いたのは私だったけれど、中を読んだおばさんが、今度は結構驚いていた。
「すごくいいね。こういうの、あなた、いつも書いているの?」
「いいえ。いつもは別の言語で、ストーリーみたいなものを書いていて、今回初めて、英語で作った詩をコンペティションに出すことにしたの。」
「ふーん。成功を祈っているわ。」
「ありがとう。でも、コンペティションの結果よりも、自分の中からのものを出して表現できたことが、うれしくてたまらないわ。」
そう言いながら、私の手はまだ震えていた。
「結果が出たら、おしえてちょうだいね。」と、おばさんは窓口越しに、私を応援してくれた。うれしかった。

郵送した詩のコピーは、大切に、私の宝箱に入れられることとなった。今のところ、何度、宝箱を開けてそれを読み返しても、胸がいっぱいになる。
自分自身に忠実であること、そしてそれを美しく表現することが、これほどの喜びと満足感を与えてくれるものであることを、私は初めて体験したと言える。

これからも、宝箱に入れる作品ができるかもしれないと思うと、楽しみでたまらない。

『空の下 信じることは 生きること 1年目の秋冬』より


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