緑陰のGymnasium

アイドルマスターSide M未履修の人間の初見感想であることを、最初に断っておく。
そんな人間がなぜ聞いたのかと言えば、私がヨシキさんのファンだから。
次郎さんの担当の方がイベ中にツイートしてた内容が気になりすぎたのと、
他のえむますユーザーから劇中劇は未履修でも聞けますって言われたので。
リリースまでの間にサイスタはとりあえずタイムリーだったので始めてみたんだけど、各キャラについてほとんど何もわかってないので、
あの、変なこと言っても怒らないでください…。


予防線を張るのはもう癖なので。
何を思われようと私は私の感想を書くのだけれど。



立体に光を当てることで陰影ができるのが現実で、写真や動画は光を使って陰影を描き立体を浮き彫りにするものだと思うんだけど、絵の世界は陰影を描くことで光を描き、立体を映し出すんだよね。

私があまりボイスドラマを聞き慣れない人間だからなのかもしれないけれど、表情は見えても三次元的な動作が見える事は少ない。
映像でもアニメでもなく、かといって漫画ではなく、2Dゲームのパターン化された動きみたいな感じ?わかりにくいな。まぁいいや。
それは別に悪いことではなくて、耳で聞く物語は声に引っ張られて表情の割合が多い、と言うだけの話なのだけれど。
身体表現は視覚情報で、声から得るのがたぶん不得手なんだと思う。
声のお芝居は眼に見えるものがない分、表情が濃いし多いから、どうしてもそっちに引っ張られがち。

ちなみに小説を読んでる時は文章によって情景は描けるけどやっぱり動きを見るのは苦手だ。
文章として頭の中に入ってきてしまうから、どうしてもそれを映像に組み立てる過程まで頭の中で展開されてしまってごちゃごちゃする…

情報を得る手段によって可視化される物は私には違っていて、ボイスドラマでは表情に特化されてるんだと思う。

なんの話だって、冒頭の陰影と光の話。
ボイスドラマって私にとってはどっちかっていうと絵なんだと思う。
陰影を描くことで、人物と物語の立体感を描いてる感じ。
だから二次元的に聞こえる。

緑陰のGymnasium、入りが劇中劇からだったんですけど、とて立体的だなって、だからすごく驚いたの。
三次元的な立体感が耳から入ってきて、表情と動作と情景が見えて、すごく、奥行きがあった。
簡単に言えば、『映像』だったんだ、耳から入ってきたのが。
それが劇中劇からアイドルたちの普段の会話に戻ると途端に二次元的な立体感に変わって、それが実に興味深くて、思わずnoteを書いているわけです。

で、それが全アイドルそうかと言えばそうじゃない。
次郎さんとピエールと旬くんと巻緒くん。
この4人は特に、劇中劇の三次元的な立体感が強かった。

キャラクターの違いとかの話じゃなくて、アニメとかナレーションとか吹き替えとか、声を吹き込む仕事の内容によって発声も喋り方もぜんぜん違うと思うのね。
つまり、朗読と読み聞かせと音訳は違うんですよ、ってことだよ、言いたいのは。

誤解を恐れずにいえば、sideMはあくまでも二次元なわけで。
私は二次元アイドルも好きだし二次元と三次元が溶ける感覚も知っているけれど、頭の中で声を聞いた時に浮かぶ像は生身の人ではなくイラストだっていう意味で。
それはごく当たり前のことだと思うので、悪い意味ではない。
(リアルライブや2.5の話は置いておいてくれ。それは別件だ)

だからね、sideMのアイドルを演じている時は、二次元的なんだと思う。
でも、それが劇中劇になるとぐっと三次元に近づく。
それってたぶん、私に見えているキャラクターたちは二次元でも、その世界で生きている彼らが緑陰のGymnasiumという作品で演じるのは彼らにとっては二次元ではないからじゃないかな。。
彼らは彼らの世界を生身の人間として生きていて、だから演じる役だって生身の人間なんだよね。
劇中劇のキャラクターを演じるのは声優さんではなくて、sideMのアイドルたちなんだって、お芝居の違いからすごく、伝わったの。

次郎さんの中の人がヨシキさんであるように、ルカ先生の中の人は次郎さんなんだなって、思う。
それをピエールとルークス、旬くんとピース、巻緒くんとリックにも強く感じる。
私は声優さんには詳しくないから、ヨシキさん以外は他の担当されてるキャラクターがぱっと出てこない人の方が多くて、ふだんどんなお芝居をされる方なのかはわからないけれど、劇中劇のキャラクターのお芝居の差がぜんぶディレクション通りなら、次郎さんとピエールくんと旬くんと巻緒くんは自分が演じる役の人物像を説明から得られる情報よりもずっと立体的に捉えていたのかな、って思う。
撮影に臨むまでの役への向き合い方は描かれてはいないし、彼らの仕事への向き合い方も私はまだぜんぜん知らない。
役へのアプローチの仕方は人それぞれだと思うけれど、どんな風に生きている人なのか、情報としてではなく人として向き合っている感じがする。

その上で思うのは、エチュードを越えて想楽くんのお芝居は少し奥行きが変わったなってこと。
あのエチュードをしたことで想楽くんの中でレイモンドは『ドラマの登場人物』から『どこかに存在しているかもしれない人物』に変わったのかもしれないな、なんて思っている。
劇的な変化じゃなくてほんのり厚みが変わった感じが、演者として生々しい。

玄武さんは良くも悪くも、めちゃくちゃ似合ってたのでそのままの玄武さんで良かった感じ。
巻緒くんはエチュードからなので比較ができないけど、このエチュードのお芝居はとても三次元的だった。
エチュードをしようってなった流れも巻緒くんが説明してた(よね?あってる?声の聞き分けが未だに甘いので…)のもあって、この子も制作から提示された説明以上に役を立体的に捉えようとしてたんじゃないのかなって思うから、エチュード前のお芝居も聞いてみたかったなぁ。


アイドルの中にも演じることがすごくうまい人っていて。
歌って踊ってもだけど、この先の役者としての彼らも見てみたくなったな。緑陰のGymnasiumというドラマを最初から最後まで観てみたくなった。

っていう、一周目の感想。
かろうじて名前とキャラクターのビジュアルが一致してるくらいのほぼ未履修の状態で聞いてるから、キャラクターのことがもう少し掴めた頃に、もう一度聞き直そうと思います。


曲についての感想はまたそのうちどこかで。

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