忘れてしまっても、覚えていたいこと。その2。

引き続き、私の頭の中の消しゴムのお話。
http://www.keshigomu.info/

お芝居の話に終始してしまって、物語そのものの感想を書いてないな、と思い至り、再びnoteを開く。
アーカイブは、まだ見れていない。
こんな短期間で何度も観れるような物語じゃないなって思ってるし、もうこのままアーカイブを観ないって言うのもひとつなのかもしれないな、と。
でも、圧倒されるばかりの一回目のことだけで感想を書けるような物語でもないよなって思うんですよ。

でも、書き残しておかなきゃいけないような気がするのはやっぱりそうで、明文化することばかりが大切なことではないけれど、その時直撃した感覚を記録に残していくことはだいじなことだと私は思っていて、うまく言葉にならない感情を新鮮なままパッケージングすることって、私にとっては未来の私のために行うことなんだよね。
理解、なんてものは必要なタイミングで不意に訪れるもので、その時に振り返ることのできる記録物のひとつに、未来の私よりも圧倒的に幼い今の自分の言葉があって欲しい。
それがたとえば的外れであっても、いつかの私の手助けになるように、とキーパッドを叩く。

長々と前置きしたけど、簡単に言えば、お芝居の感想と物語の感想って、重なる部分もあるけどぜんぜん別の部分も当然あって、だから映画や舞台の感想を書くのって苦手なんですよね。笑
だけど、ちゃんと書き残しておこうって思うので、もう少しおつきあいください。

私が観たのは5/3の中島ヨシキさんと前島亜美さんの回。
この作品も初めましてだし、朗読劇自体も初めましてだ、ということはご了承いただきたい。
あと私舞台芸術とか特に詳しくないのでほんっとうに素人の感想なんでそのあたりもよろしくお願いします。
(感想書く前に予防線を張るの良くない癖だよね…)
観劇に至った経緯はひとつ前に書いたからもう良いかな。
要約するとヨシキさんがラジオで観て欲しいって言っててその時のお話に感動したので衝動的に前日にチケットを取りました。
ひとつ前の記事にラジオのアーカイブのURL貼ってあるから是非聴いてくださいね。

さて。本題。
※この先めちゃくちゃネタバレしますのであしからず。
※アーカイブは書いてることの確認に該当部分をちらちら振り返ってはいるけど通しでは辛くなるのでまだ観てないです、書き終わったら観ます。

あのね、始まりからもう、すごいなって思ったんだよ。
浩介が一人で出てきて、自分のものじゃない日記=薫の日記を読み始めるところから物語が始まるわけだけれど、この最初の行動だけで二人の関係性がまずわかる。

日記ってすごくプライベートなものだけれど、ふたりは互いにそれを読める立場にあると言うこと。
自分以外の男のことが書いてある日記を浩介が笑って読めていると言うこと。

文章にするとものすごくクリアなんだけれど、二人は親密な関係であり、同時にまだ物語の重たい部分に突入する手前にあるんだろうな、と。
個人的には結婚して引っ越したくらいのタイミングじゃないの?って思っている。荷ほどきの中にお互いの日記を見つけてじゃれあう、うん、可愛い。
たとえばこれがもっと淡々とした読み上げだったり、笑って読む声の中に痛みが滲んでいたとしたら、浩介は薫を喪った後(あるいは闘病中)にこの日記を見つけた、という可能性もあるんだけど、ほんとにすごく、まっさらに明るかったから、きらきらした新生活味を私は感じました。

それと同時に、これはふたりの出会いから終焉までを日記形式の掛け合いで描く物語だ、と言うのもわかって、たったふたりで描く朗読劇に客観と主観が入り乱れる日記形式は効果として計り知れない、って話だし、そもそもにして記憶を扱う物語で記録媒体である日記が真ん中にあるのあまりにもしんどい、って冷静になった今思ってこう、心の奥底がまたざわざわしてる。

あとこの部分で出てくるかずやさんはさぁ、絶対後々、薫が浩介に向かって「かずやさん」って呼ぶ伏線じゃん辛いじゃん…っていう。つまり事前情報をカットしていたとしても、ここで既にどちらが認知症を発症するのかもわかってしまうって言うね。
プロローグに当たるだろうこのお互いの日記を読み合う部分だけで情報量が多すぎるよ…。

さて。
そんな風に始まる物語の『起』に当たる部分の話。
ふたりの手の中にある日記が本来の持ち主の元へ戻って、巻き戻して再生するように物語が始まる、っていうのは物語構造としてはよくあるやつなんだけど(ドラマでもよく見るよね)、この先の展開を思えばこうやってイチから振り返るの辛いよ…だって人生に『もしも』はないんだから。

何かを確かめるように、何かを願うように、この物語を聴くことになるわけで、端的な言葉にまとめてしまえばそれは『愛』と呼ばれるものなんだけど、こうやってふたりで織り上げていった日々のあちこちにその片鱗があって、気づくのがたとえば最期の時だとしても、振り返ればこんなにもあふれていることに気づく仕様なの、日記の役割としてはあまりにも正解じゃないですか。
それでこれを観ている私たちは、終幕までを見終えてアーカイブを観るという選択肢が残されているんだって思うと、もう一度、彼らが積み上げていった日常を『読み返す』ことになるんだよね。

書いててぞわっとした…すごい朗読劇だなこれ…。

ところで、ひとつ前にも書いたけど、私はぜんぜん薫に共感できなくてだな。
一回観ただけのふわっとした記憶で書いてるから具体的にどこがどうだってのは言えないんだけど、何なんだこの女…ってすごく思ってましたよ。
お嬢様育ちだな、っていうのがすごくわかるし、基本的に周囲から『愛され、肯定されてきた』人間で、知らず知らず他人を頼り助けられ守られ生きてきた人で、それを特別意識したことがない人。
それをピュアって言葉で先日の自分は表したんだけど、なんていうのかな、この世に絶対的な悪意なんて存在しないと思っているというか、性善説の人間なのかな?って感じ。話せばわかる、って思っているというか。
わかんねぇよ、って思わず反発したくなっちゃう、私は苦手なタイプ。

対する浩介は同じ土俵で語るなら、たぶん性悪説の人なんだろうなぁ。そして、他人を信じていない人、自分の力だけで生きていこうとしている人。他人を否定することで自分を保っている部分さえある人。
観客という俯瞰の立場で浩介を見ていなければ、なんかいつも怒ってる人…って敬遠してしまいそうな感じ、でもそういう人って懐に入れた人のことはすごく大切にしそうですよね…キャラクターとして好きな部類、っていう相反する感想を持ちます。
余談だけど、どうして実際にいたらなんだこいつってなるタイプのキャラクターって物語において魅力的に見えるんですかね。

ここまで書いて思うんだけど、浩介と薫はシンメトリーだわ…なんでこのふたりが惹かれ合うんだって謎が過ぎるんだけど、シンメなら仕方ないわ…つまりこれは運命…。

細かく書いてくと長文にもほどがあるので端折るんですけど、この前半部分で、日記である分より内面的なキャラクター性を見せてくるから、後半戦が怖いやつです。
それにしても自分とは逆の位置にあるからこそ気になってしまうという恋愛物のセオリーを驀進する掛け合いは、これが過去の日記であることがわかっている私からしたら盛大なのろけですよ…。笑

『承』に当たる部分は再会のおでん屋あたりからかな。
いまいち物語構成における『承』の範囲ってどこからどこまでなのかが理解できないまま大人になってしまったな、そういう勉強をしていたはずなんだけどな…という反省。

ひとつ前にも書いたけど、私はここの3回繰り返す「見りゃわかんだろ」がめちゃくちゃ好きでね!!!
3回とも違ったし、3回とも言いたかったのはその言葉じゃない、でもどういう言葉を選んだらいいのかがわからない、っていうのが透けて見える感じ。自分の感情を持て余してる2回、からかうような薫の「私を待ってたんでしょ」は恋愛偏差値の違いを物語ってたし、それを受けての3回目がいちばん愛おしさの塊でした…。
まってヨシキさん、なんなの可愛い…可愛いの塊か…。

恋人同士として綴られていく日記で、今まで出会ったことのないタイプに恋をしているんだろうなって言う薫のはしゃぎようと、恋愛未経験者なのがわかる浩介のはしゃぎようと、2種類のハイテンションを見せられて、平和で、微笑ましくて、この明るさが壊れていくのが怖いなって、思った。
薫は笑顔が似合うし、浩介には笑っていて欲しい。
ここまで積み重ねてきた日々と心を辿ると、どうしてもそう思ってしまうくらい、2人の色がもうここにはあったんだよね。
願ったところで、物語は淀む物ではあるんだけれど。
余談だけど、舞台セットもお衣装も白系統で統一されていて、それはつまり、薫と浩介が2人で染めていく生活と、消えていく記憶の白さと、複数組のお芝居でそれぞれの色がそれぞれに馴染むようにって言う、あれなんでしょうか…

浩介が仕事仲間(かな?)の結婚に「よくやるよ」って嫌悪にもにた感情を声に滲ませたじゃないですか。
あ、これは家庭環境に何かあるな、と。そしてこれはフラグだな、と。つい反応してしまう心。
親の不仲かDVかネグレクトか、考えられるのはその辺り?
(後の、親の愛は永遠の愛の件で、あ…愛されなかったアレだ…ってなりましたね…)
これは薫と結婚はないな、って頭の片隅で考えかけたところに、結婚を考える薫の声が飛び込んでくるの胃が痛いのでほんとにやめてください…。

案の定結婚を匂わせる薫の友だちにガチ切れの浩介。ここの怒鳴り声もねぇ、良かったですよねぇ。空気がびりっと痺れるような、自分との間に、越えてくるな!って線を引くような、心臓が縮む拒絶反応すごく良かったし、何が引金になったのかがわからない、でもすごく怒らせてしまったどうしようどうしようどうしよう、っていう薫のパニックが伝わる前島さんのお芝居もすごく良かった。
とりあえず謝っとけば良いと思ってるのか?ぜんぜんわかってねぇなこいつ、って言う腹立たしさを感じさせるとこも含めて良かった。

この後に問題の擦り合わせがなかったのが割に生々しい話だな、って思って。問題に蓋をして、表面を均して、それが今君の感じてるぎこちなさの正体だよ…、っていう。
七夕祭りに誘った時に突っぱねられた件もそう。
教えてよ、ってあの声はさぁ、絶対直接はそうと伝えられてない声じゃん…文脈としては「教えて」とは言ったんだろうけど、知りたいのは自分のためだろ、って言うか。
踏み込ませない浩介も踏み込めない薫も、ああ、生きてきた土俵が違う2人なんだなって、でも、それがすごくリアルな感覚でもあって、ぐるぐるもやもやしました。

ひとつ前にも書いたけど、この辺りの業務日誌と化してる浩介の日記。
記録を読み上げているだけのはずなのに、増幅されていくものがあってすごくざわざわして、永遠の愛の件で爆発したの、ちょっと、びっくりするほど良かったですね…堪らずに怒鳴った声が直後にに感情を抑えつけるようなトーンで浩介にとっての事実を語ったのも、薫にはわからないって浩介が思ってるからなんだよな、って感じて私は泣きそうでした。
ずっと感情的に薫の心情を語る前島さんと、時に声を荒げつつも感情を抑え込もうとするヨシキさんの対比が、とても良かった。

喪ってから大切なものに気づく、というのはよくある話だから、喪わなくて良かったね、と思った浩介の変化のきっかけ。偏頭痛が予徴なのはわかっているので、このタイミングでMCI診断が出るかと思ったけど出なかったので、これはもっと進行してから気づくパターンの辛いやつです?

薫を喪いたくない、と思った浩介がまず自分の生活基盤というか、この社会を生き抜く力を得ようとしたことがものすごく印象的でしたね。
一級建築士の資格は薫の父親を説得する材料でもあるんだろうけど、薫が社長令嬢でも一般人でも、それは変わらなかったんじゃないかなぁって思うんですよ。
気持ちだけで持って行かないで、生計を立てる手段を手に入れようとする姿に、浩介はここまで他人に頼らず、守ってもらえず、自分の力だけで必死で生きてきたんだな、って思って、「人生は甘くない」がここでめちゃくちゃ効いてて、いっそ痛々しい気持ちになった。
でも同時に、「1人じゃないから」とそれを選択できた浩介が愛おしいと思った。

結婚生活の中で私が言いたいのは浩介の親の話なんですよ。
私はどうしてもこの選択が納得できないし、薫うざって思ったんですよねごめんな!
あのね、親を捨てたって別に良いんですよ。あの親にどうして会わせようと思うの?それが浩介の救いになるの?私にはまったくそんな風には思えなかったんだけど。
お金ならあるじゃない、じゃねぇよ、あの親の借金を肩代わりするためのお金なんてない、それは2人の未来のために使ってくれよ。って今もまだ納得できないでいる。

親の愛は無償の愛だ、ってたぶん薫は思ってるじゃないですか。浩介の話を聞いてもなおそう思えるんだったら、それは純粋さではなくて単なる無神経だよ。
人を許すための心の部屋、それは大切なことなのかもしれないしそうありたいとは思うけれど、私はあの母親は許さなくて良いと思うし、それを強要しないであげて欲しい。
とはいえ、心の家に母親を閉じ込めてその外で雨に濡れて震えてる、って表現は最高に好かったですね。

ぜんぜん関係ないけど、紀伊カンナさんの『雪の下のクオリア』っていう物語に、「人のことはひとりでいちゃわかんないよ。もし許したいって思えるなら、誰かと一緒にいなさいね」って言葉がすごく優しいので共有しておきたい。
浩介は別に母親のことを許したいと思ってたわけではないと思うけれど、誰かと、薫といることで、1人では絶対に選ばなかった選択をしたんだろうなぁ、って思うと別の生き方をしてきた人との関係って物事を動かす力があるんだろうなぁ、と思います。
まぁ納得はできないけどな!

ここのヨシキさんのお芝居がすごく好きだ、って話をしたと思うんだけど、「どうして七夕祭りだったんだ、ふつうの日にふつうに置いていってくれれば毎年思い出すこともなかったのに」っていう言葉にさ、でもそれは、毎日の中に思いだしてしまうかもしれないってことだよ、って私は泣きそうになったし、いつ置いていかれたんだとしてもずっとその傷は残り続けるんだよ、でも七夕を口実に浩介はその事実に蓋をしたんだなって、唯一の楽しい記憶が最低最悪の記憶と紐付いてるからこそ、それに心がぎりぎりと絞られるような気がしました。
涙を含んでいるのに掠れて聞こえるざらつくような声が、何度も強く息を吸う音が、助けて、って言っているように聞こえて、ぼろぼろと涙が出た。

淋しくて苦しくて痛くて愛されたかったんだってこと、薫の「わかるよ」が本当には浩介をわかっていなかったとしても、一生懸命考えて、浩介を想って綴った言葉を浩介に読ませることが、彼にそれを自覚させたんだろうなぁ、と思うともう、、
読み上げる浩介の声から拒絶が剥がれ落ちていって、違う色の涙が混じっていくのがあまりにも心を直撃して、冷静になった今、中島ヨシキ怖い…って改めて思っている。

この部分に対する私の新鮮な感想はひとつ前のnoteを読んでください。

この先の話は正直感想を書ける物ではないな、と思っているし、書くべきなんだろうか、とも思う。自分の中にしまっておいて、大事な時に行動や選択に反映すれば良いんじゃないかって。同時に、書かなければいけない、とも思う。難しい部分だ。

ひとまず、体に異変があったら病院に行ってくれ…何かおかしいなと思ったら病院に連れて行ってくれ。杞憂で終わればそれがいちばんなんだから、頼むよ。信じたくないならセカンドオピニオンを受けろ。
それから、お願いだからその情報を共有してくれ。時間を無駄にしないでくれ。って闘病に寄り添う側は思うよ。
リミットが決まっている病気であるなら、尚更だ。
私は切迫した状況に自分がリミットのある立場で立ったことがないから、薫の気持ちがどうしたってわからないけれど、余命宣告を受けた母と1年半を生きたんだ、だから何度でも言う、隠さないでくれ。

薫は、私が私でいられるうちに、って言わないまま線を引こうとしたけれど、そうじゃないんだよ、こっちが欲しいのは。有限である時間を、一緒に過ごさせて欲しいんだ。
それはほんとは、病気とか関係なく毎日毎日大切に積み重ねていくべきことのはずなのに、私たちはそれをすぐに忘れてしまう。

私が覚えているから、君は忘れていいよ。って思っているタイプの人間なんだけれど、だから余計なのかもしれないけれど。特別じゃない日々が特別であることを、思い知らされては涙が出る。当たり前にできていたことができなくなった今、誰かと織り上げていく愛おしさの正体がこのなんでもないような時間であることを、物語が『転』を迎えるまでの間の日記で心に降り積もっていて、いやほんとに、完敗です…という気分。

置いていかれることにトラウマのある浩介に、薫の黙って離れようとする選択はあまりにも古傷を抉っただろうと思うし、薬を見つけて薫が認知症であることに気づいてからの恐怖はすごいものだったろうな。
どんな形であれ、置いていかれる側に、また浩介は立ってしまったんだ。
それでも献身的に薫を支える浩介がとても愛おしいと思ったのは、やっぱり声の表情に起因する物が大きいなって思う。
ひとつ前にも書いたけれど、先生のように根気よく穏やかに接するその声の底の方に滲む諦めと、願い続ける身を切られるような必死さと、混じる涙と、反して意図を含まない透明さのある薫の幼い声の対比がすごくて、辛かった。

ミスを、私じゃない!って別人のように叫び散らかして否定する姿も、幼い子どものような拙いしゃべり方も、不意に戻る本来の薫の声が浩介への想いで滲むのも、前島さんすごかったな、って言う、語彙力のない感想で申し稚けないんだけれど、うん。すごかったんだよ。

闘病中の場面で辛かったのは付箋だったんですよ。
貼り付けた付箋の中身を2人で読み上げていく時の、楽しそうな薫の声と、最初は一緒に楽しそうなのに途中で涙が混じってしまう浩介の声とその後ろ姿に、私が泣いてしまったよね…。2人で生きるための対策は、さよならの準備だ。あまりにも、苦しい。

ヨシキさんの堪えるような涙声を聞きながらはらはらと落ちていく付箋を観ているのは地獄でしたね…付箋が剥がれるたびに、薫の中から浩介との記憶が剥がれていくってことだよ。それで、かずやさん、なんて呼ばれてみなよ…ほんとに…地獄…これは心が折れる…。

地獄と言えば、2人を繋ぐ紐を、赤い糸であると言う声は祈りのようだったし、邪魔って叫ばれた時にはもうちょっと辛すぎて顔を覆った…
誰にも頼らず愛を信じずに生きてきた浩介が、自分の内側に唯一入れた人だよ、浩介にとっての、唯一、なんだよ。やめてよ…。
もうちょっと言葉にならないわ…。

そして去って行く薫…去るなよ…去らないでくれよ…浩介を置いていかないでくれよ…
『結』に入ってからずっとヨシキさんの声は泣いているけれど、涙で嗄れた喉から絞り出された、独りにしないでくれ、って縋るような声がすごく内側を向いていて、もうほんとここ、心が千切れそうで頭がぐわんぐわんしました…
鼻を啜る音も音声には入っていて、それでも薫がくれたものを守るようにこの後声を正したのがとても好くて、うまく言えないけど、すごく、好きです。(語彙力…)

ラストシーンはもうねぇ、これはほんとに、言葉にする?しなくてよくない?薫が絵を描いてきたことが、付箋の件で『絵を描く』と何度も繰り返してきたことが、ここで生きてくるの…
薫が描いてた似顔絵が本当に浩介の顔だったのかはわからないけれど、そう信じたい、ってやっぱり思うじゃないですか。愛とか恋なんてものは幻想だって思ってた浩介が、そこでたぶん初めて、永遠の愛はあるのかもしれないって思えたのかもしれないじゃないですか。
彼女の中に残る自分の欠片に、気持ちがあふれ落ちるように笑み零して愛を誓ったのがとても切なくて、最後まで号泣でしたよ…。

最後にクローズアップされた花瓶の花は白いマーガレットだそうで。
「真実の愛」「心に秘めた愛」「優しい思い出」「私を忘れないで」
はぁもう、なんて言えばいいのかほんとに、ねぇ…。

ひとつ前のnoteにも書いたんですけど、浩介を救う物語だったな、と改めて振り返って思うし、後半の私の語彙力の無さよ。笑
だってこれもう感情過多になるから感想書けるものじゃないし、終演後しばらく身動きできなかったくらいに泣いてた後半の細部を考察なんてできないですよ…。
ひとつ言えるのは、いいから観ろ、ってことだけだよ。
書くのに時間を掛けすぎてもう1日切っちゃったけど、アーカイブ観て欲しいし、今回観れなかったとしても次に上演があるとしたらその時は是非観て欲しいです。

ヨシキさんに釣られて観た朗読劇だったけれど、本当に観て良かった。
浩介を生きてくれて、本当にありがとう。
ますますヨシキさんを好きになったよ。



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